キリスト教は道徳の道にあらずして贖罪の道である。そして贖罪は十字架の上におこなわれたのである。
十字架の道、これキリスト教である。キリスト教に何があっても、もし十字架がないならば、キリスト教はないのである。
キリストは人に人道または天道を教えんために世に来たりたまいしにあらず。人類の罪を負いてこれを除かんために来たりたもうのである。
キリストの十字架にこの普遍的の意味がある。この意味において十字架を解して、聖書と人生とを解し得るのである。(内村鑑三)
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「十字架の言(ことば)は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である」(コリント後書1:18)
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(今日のお弁当)