♬私の過去の記事です。伊藤博文の暗殺について、読んでみてください。この内容を知って私はケネディ暗殺と酷似していると思います。偶然とはおもえません。皆さんはどうおもわれるでしょう?
つまり、この二つの暗殺のシナリオが偶然なのか、組織は同じなのか?という不可解さを私は感じているのです。
なぜ満州国を作ったのか?<NO657>
ウィキペディアより転載しました。
満州(満洲、まんしゅう、拼音:Mǎnzhōu)は、現在中華人民共和国において「中国東北部」と呼ばれる地域およびロシア連邦において「極東」と呼ばれる地域の一部を含めた北東アジアの特定地域を指す地域名。渤海・金朝・後金・清朝を建国した満洲民族や、夫余・高句麗を建国した濊貊族、鮮卑・烏桓・契丹・奚などモンゴル民族の故地である。
「満洲」という言葉は、もともとは12世紀にはおもに民族名を指していた。しかし19世紀の日本では満洲、満洲国とは地域をさし、民族は「満洲族」と呼ぶようになった。(以上転載)
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♬ 満州という名前はよく耳にしてきましたが、実際には
北朝鮮から北へ、西に広がるの広大な土地の事でした。
今は中国とロシアの土地になっています。
なぜ日本が満州国をほしがったのか、単に植民地として
傀儡国家を作ったのでしょうか?
私は上記の地域名を見て、納得しました。
渤海という名前は、岸信介たちの先祖が日本に来る前に
住んでいたところです。アベ首はその血族です。彼らの出身地です。
高句麗も一時は満州に匹敵する土地を所有していました。
朝鮮半島は、ドラマでも見て思ったのですが、戦の繰り返しの
中で中国だけでなく、半島を支配するものが、日本の戦国
時代のように、変わっています。
そういった歴史をもつ半島から、戦にやぶれて、
日本にたどり着いた、という事のようですね。
ですから、彼らがなぜ満州国を作ろうとしたのかは、
どこから来たのかってことです。
自分たちを阻害した国、先祖のふるさとを
奪還して自分たちの国としようと、企んだのだと
かってに推理想像しています。
自分たちの先祖がそこにかつて住んでいたことが
発端になっているのは、明白ではないでしょうか?
知らない土地を植民地支配するのは、簡単では
ありません。
イギリスやオランダですら、偵察隊をアジアに送り込んで
下調べをして、策を練っていたのですから。
満州国を作っても満州国の皇帝には座ることも出来ずに、
日本に騙された、あるいは利用していた皇帝博儀のもくろみ
は外れて、日本の天皇の下に置かれてしまいました。
そして第2次世界大戦で中国の財宝を、強奪したのも、
韓国の歴史をみれば、なるほど、とおもいました。
中国の下に置かれ、奴隷状態の半島人にとっては、
この上ない、良い気分になったことでしょう。
そして今でも中国は嫌いってことも、謎が解けました。
韓国人は「恨」ハンという言葉をいいますが、恨みは根深く忘れないのです。
日本人は全くそのことを、知りません。
ですから、日本人は兵士として優秀な国民でした。
彼らの思うままの世界を作るための、いわば、奴隷
そのものなんですね。
ですから、自分達の血筋のことは、隠しておきたかったのでしょう。
なぜなら日本人には秘密にしておきたかった。
この地は自分たちの生まれ故郷ではなかったからです。
それから、韓国を併合しましたが、その時に伊藤博文(彼も同じ出身)が
暗殺されました。犯人の安重根は韓国では歴史的なヒーローとなっていますが、実はこの犯人は、ケネディ大統領の暗殺のような不可思議が
残されています。
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♬かつて日本は美しかったblogより、転載しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/26814087.html
日露戦争終了直後の明治38年(1905年)11月17日、日本と大韓帝国の保護条約の方針が発表されると、韓国統監府が設置されることになり、伊藤博文が初代統監に就任しました。この頃、韓国の民衆パワーは公称100万人の一進会に結集されており、「李朝政府の外交権を日本に委任せよ」と大規模なデモが行われていました。伊藤が赴任してきた日にはソウルの南大門に「歓迎」の巨大な幕が張り出されました。
伊藤は4年後の明治42年(1909年)10月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家安重根によって狙撃され、死亡しました。現在、韓国では安重根は英雄となっています。
元九州大学大学院客員教授の若狭和朋氏は伊藤博文暗殺の犯人は安重根ではないと指摘しています。氏によると伊藤博文には三発の銃弾が命中し、体内に残っていた二発の銃弾はフランス騎兵銃のものです。(もう一発は肉をそいで対外に出ている)安重根は7連発ブローニング拳銃です。まず、銃弾が異なります。伊藤に同行した貴族院室田義文も5発被弾し、犯人は安重根ではないと書き記しています。その内容の一部。
「駅の二階の食堂からフランス騎兵銃で撃った者がある。・・・右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて斜め下に狙うには絶好であった」
室田義文は伊藤公の遺体の処置に立会い、右肩を砕いて右乳下に止まった一弾と右腕関節を貫通して臍下(せいか/へそした)に止まった一弾を現任しています。ところが不思議なことに、検事の調書には室田が「騎馬銃」について述べた記録はなく、安重根を裁いたこうはん記録のどこにも「騎馬銃」の文字は出てこないし、遺体の処置に当たった医師の談話にも「騎馬銃」は出てこない・・・
若狭氏はここで外務省外交資料館の「伊藤公爵満州視察一件」というファイルに以下の記載があるのを指摘しています。
「・・・真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、ウラジオ方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行首謀者および凶行の任に当たりたる疑いあるものを挙げれば左の数人なるべきか」として25人の名前を記しており、安重根の名前もこの中にありますが、この25人は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織でした。つまり、安重根を犯人にしたてあげて外交的にも内政的にも幕引きにしたということです。ロシア特務機関がなぜ伊藤を狙ったかは若狭氏の記述は長いので簡単にいうと、日露戦争前に伊藤はロシアと協商を結ぼうとしていたものの、その後、日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなり、そのためロシアは敗北した。対ロシア謀略の中心人物が伊藤であると判断しており、裏切り者として復讐したというものです。
よく言われているのは伊藤博文は日韓合邦慎重派で、日韓合邦に反対する安重根は伊藤を暗殺して日韓合邦を加速させたバカなテロリストだったというのがありますが、伊藤暗殺が日韓合邦の思惑の外であれば話はあってきます。少なくとも安重根の銃弾は伊藤には命中しなかったのは間違いないでしょう。彼はテロリストとしても成果は無く、韓国でいう義士としても成果は無かったわけです。
参考文献
「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
「歴史通」2010/7『安重根は犯人ではない』若狭和朋
参考サイト
WikiPedia「伊藤博文」「安重根」
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♬ ここでは、ロシアの策だとして結論がでているようです。
しかし、私は勝手に推理するのが好きなために、
この内容には、ちょっと不満です。
なぜ伊藤博文なのか、
伊藤博文は、あの明治天皇の教育担当もしていました。
もちろん、彼は孝明天皇の暗殺にも関わっていたようですから、
殺されたことに、私は何の気持ちもありません。
歴史はそう簡単ではないと思っているから、推理をして
いるだけです。
ロシアがなぜ伊藤博文をやったか、その答えは、頼まれたから
だと思います。では誰がやらせたのか?
それには、2つ上げることができます。
偽ユダヤ人ロス茶とロック、そして、日本の支配者天皇。
偽湯田やだとすると、韓国を併合して仲良くしてもらっては
困るのです。今後も戦争をさせて儲ける為です。
そして、日本の支配者天皇なら、伊藤博文の口をいつかは
封じなければと思っていたと思うからです。
「ダヴィストック研究所)(本)に明記されていましたが、
天皇にゾルゲを介して、偽湯田やからお金が
渡っていました。ゾルゲはロシア人でした。
ロシア人に狙撃をさせるのも、できたはずですよね。
伊藤は明治天皇の教育を担当して多くを教えたのです
から、その後の天皇にもそれは煙たいものもあったはずです。
なぜなら、伊藤は自分たちを作った本人ですから。
消し去って、自分たちこそ本物だとしたかったのでは
ないでしょうか?
また、伊藤博文は日本の首相を外されて、外地赴任となります。伊藤博文はじつは韓国併合に「反対」だったということです。ですから左遷?されたのではないでしょうか。
日本では「日本の陰謀」というサイトによく書かれていましたが、「褒め殺し」という言葉のように、褒めて左遷し:::となるわけです。
デービッド・バーガミニの「天皇の陰謀」(初版)では山縣有朋が、「俺たちが天皇を作ってやったのに何を言うのだ」と言葉をもらして
いたと、言う話です。
ドラマ好きにはうってつけの、お話でした。
追記===========
ケネディ暗殺についての詳しい内容は、以下のウキペディアにあります。
私達が最初にケネディ暗殺ニュースで知ったのは、ビルからの狙撃によるものだということでした。その後の調べ(かなり年数がたっての事)で実は前方向から狙撃されたこと、当日に車の走る道が変更になった事など、不審なことがありました。
真犯人が別にいて、なぜビルからの共産主義者のオズワルドが犯人となったのでしょうか?
古い伊藤博文暗殺と、ケネディ暗殺が、あまりにも似ている事に私は唖然としています。
ケネディ暗殺について、調べてきたジャーナリストが何人も死に追いやられていたのも、相当なものが感じられますね。
これらから思うのですが、伊藤博文の真犯人は刑から守られたということです。
そして、ケネディ暗殺も長年にわたり真犯人は刑から守られているということです。
偶然とは思えないほどの、類似点があります。