♬ この本の日本でのタイトルは、「さとりをひらくと、人生はシンプルで楽になる」です。
エックハルト・トール「さとりをひらくと、人生はシンプルで
楽になる」より
第2節 「愛と憎しみ」が表裏一体の人間関係・・・・・・・・・・・p199
「大いなる存在」に意識的に繋がっていないかぎり、どんな人間関係も(親密な関係は特に)深い亀裂が生じ、しまいには機能不全になってしまいます。恋愛関係も、互いに夢中になっているバラ色の頃には、何もかもがパーフェクトに思えます、しかし、その一見したところ「パーフェクトなもの」は口論、衝突、不満、感情的もしくは肉体的暴力によって、ガタガタと音を立てて崩れ始めます。しかもそれは、坂道を転がるように、悪化の一途を辿ります。殆どの「恋愛関係」は、それほどたたないうちに、「愛ー憎しみ関係」に豹変してしまいます。皆さんにも覚えがありませんか?
愛はスイッチ一つで、手のひらを返したように、容赦のない攻撃、敵意に変わってしまうのです。しかも私達の多くは、これを「ごくありふれたこと」と割り切っています。
カップルによって期間はまちまちですが、カップルは数か月から数年の間、愛と憎しみの両極の間を、振り子のように行ったり来たりし、快楽とおなじぐらいの痛みを経験します。カップルが快楽と痛みを交互に繰り返すパターンに中毒になってしまうのも、決して珍しいことではありません。
面白い物で、こういった「ドラマ」によって、人は生きる実感を味わっているのです。ポジティブ極とネガティブ極のバランスが失われ、ネガティブ極、すなわち破壊的なサイクルのほうの振り幅が大きくなり、頻度を増すようになると(遅かれ早かれそうなる傾向にあります。)関係が破局を迎えるのは、時間の問題です。
皆さんはこう考えるかもしれません。「それならネガティブなサイクルの方を取り除けば、いいじゃないか! そうすれば、苦しみとはおさらばで、恋愛関係には喜びだけが残るはず。」-ーところがどっこい、そうは問屋がおろしません。 ポジティブ極とネガティブ極は、表裏一体の関係にあるからです。二つの内の一方をぬきにして、もう一方だけを手にすることはできません。ポジティブは、すでにその中にネガティブの芽を含んでいるからです。さらに言うと、ポジティブもネガティブもひとつの機能障害のふたつの側面なのです。
誤解を招かない為に、ひとつお断りしておきますが、わたしがここで説明しているのは、いわゆるロマンチックな恋愛関係のことで、「本当の愛」ではありません。「ほんとうの愛」は思考を超越した「おおいなる存在」から湧き出ているため、対極に位置するものが存在しないのです。現在ではまだ「ほんとうの愛」を育んでいるカップルはごくわずかです。
「さとりを開いた」人と同じくらい稀だと見ていいでしょう。ただし、思考の流れに隙間が生じたとき、つかの間の愛を垣間見る人は、かなりいるのではないでしょうか。
ご存知のように、恋愛関係では、ポジティブ面よりも、機能障害などのネガティブ面のほうが、目につきやすいものです。しかも、ネガティブ面の原因は、自分ではなく、相手の側に見つけるほうが簡単です。ネガティブ面は様々な形で表れます。例をあげると、独占欲、嫉妬、支配欲、カラに閉じこもる、自己の正当化、無神経、自己中心的、要求、操り、口論、批判、決めつけ、非難、攻撃、怒り、親から被った痛みを原因とした無意識のうちの復讐心、暴力などがあります。
ポジティブ面はと言うと、あなたとパートナーが「恋愛関係」にあることです。これは最初のうちは、心がとても満たされます。あなたは生きる喜びを、強く実感します。自分の存在価値が高まったように思えます。誰かがあなたを求め、必要とし、特別扱いしてくれるのですから。しかもあなたも相手に対して同じ気持ちなのです。相手と一緒にいると、自分が完全になったように感じます。「愛ってなんて素晴らしいんだろう! 」しかし、この感覚が度を超すと当人同士以外は目にはいらなくなり、重要性が薄れてしまう事もあります。この心理状態は、幸福感と同時に「依存」や「しがみつき」の性質も帯びているからです。
あなたは、すっかり相手に「おぼれて」しまっているのです。相手はあなたに対して、「麻薬」に似た役割をしているのです。あなたは「麻薬」が手元にあるときには「ハイ」でいられます。ところが、相手があなたの元を去るのではないか、という考えが頭をよぎっただけでも、嫉妬、独占欲がわきあがり、脅迫、非難などの手段で、相手を操ろうという思いにかりたてられます。これは相手を失うことへの恐れに起因するものです。万一、相手が実際にあなたのもとを去ろうものなら、もっとも激しい憎悪の念、もしくはもっとも深い絶望に苦しみ兼ねません。
愛情に満ちた優しさは、一瞬にして、冷酷な攻撃や胸がはりさけんばかりの悲嘆へと姿を変えてしまいます。あの愛はいったいどこへ行ってしまったのでしょうか?
愛がこんなにすぐに、正反対のものに変わり得るのでしょうか?
そもそもあれは愛だったのでしょうか? それともただの中毒的な所有欲や、しがみつきにすぎなかったのでしょうか?・・・・・・・・p202
(♬つぎは、『完全になろうとして、中毒症になってしまう私達』です)