『星野富弘 ことばの雫』(2008年発行)
星野富弘さんのことばには優しさが溢れています。
星野さんはかつて中学の体育教師でしたがクラブ活動の指導中に頸髄を損傷し、以降、首から下の機能を失ってしまいました。
絶望の中で、口に絵筆をもってお花や詩を描くようになり、今では多くの人に、心に響く絵や言葉を伝えています。
群馬県出身でわたらせ渓谷線沿いに富弘美術館がありますから行かれた方も多いと思います。
本も何冊か出されてますし、いろいろな本の挿絵なども描かれています。
この本は奥様が写した写真と共に星野さんの言葉が綴られています。
なぜにこうも優しくなれるのだろう・・
なぜにこうも苦難を受け入れられるのだろう・・・
受け入れざるを得ない訳ですが、明るく、優しく、前を向いて生きている姿には、感動します。
初めての著書『愛、深き淵より』は私が若いころ・・もう30年以上前に読み、今もまだ本棚にありますが、とても衝撃を受けたものでした。
今回もいろいろな言葉に励まされ、カラカラに乾いている心に潤いを戴いたような気がします。
「・・・命ある言葉を、もっともっとたくさん、心の中に貯えたいと思った。」まさにそうですね。
花が「だんだん下に垂れてきたり、古い花びらになって」きた時の方がずっといい絵になるというのも人間味のある、すてきな人生観だと思います。
下に垂れても、枯れても、がんばる勇気が湧いてくるような(^^ゞ
「絵を描くことだって、知らない道を迷いながら歩くようなもの」・・・「迷いながら描いた絵の方が私は好きだ」・・・そっか。。。すごいな。
そして「ものを創る人は持っていたものをどんどん出して創る。そして最後、出すものが本当になくなってからが本当のその人の力。」
いつも思うのですが、作家とか作曲家とか、どうしてあんなに次々作品を作り出せるのだろうと感心してますが、力のある人だからなんですね。
私なんて始めから出すものが無いなんて諦めてますが、論外ですね(汗;
人間には時間が解決してくれるという自然治癒力が備わっています。中には執念深くいつまでも忘れない人もいるでしょうし、それを糧に頑張っている人もいると思いますが、忘れずにそれが後になって楽しく思い出せるようになるというのは有難い仕掛けかもですね。
私は確たる信仰をもちませんが、山登りだけでなく、人生の山も心の山もしっかり歩けるようでありたいものです。
自分のためだけでなく、人の役にもたっていたいものですが、ちょっと道を見失いそうな立ち位置にウロウロしている年代でもあります^^;
些細なことで腹を立てる人に腹を立てる自分というのも情けないけれど、それならどうすれば良いのだと苛立つ気持ちも押さえがたい日々もありまして、そんな中この本からいろいろ温かい気持ちもいただきました。
心の中に宝物を貯えるようにしないと。。!(^^)!
星野富弘さんのことばには優しさが溢れています。
星野さんはかつて中学の体育教師でしたがクラブ活動の指導中に頸髄を損傷し、以降、首から下の機能を失ってしまいました。
絶望の中で、口に絵筆をもってお花や詩を描くようになり、今では多くの人に、心に響く絵や言葉を伝えています。
群馬県出身でわたらせ渓谷線沿いに富弘美術館がありますから行かれた方も多いと思います。
本も何冊か出されてますし、いろいろな本の挿絵なども描かれています。
この本は奥様が写した写真と共に星野さんの言葉が綴られています。
なぜにこうも優しくなれるのだろう・・
なぜにこうも苦難を受け入れられるのだろう・・・
受け入れざるを得ない訳ですが、明るく、優しく、前を向いて生きている姿には、感動します。
初めての著書『愛、深き淵より』は私が若いころ・・もう30年以上前に読み、今もまだ本棚にありますが、とても衝撃を受けたものでした。
今回もいろいろな言葉に励まされ、カラカラに乾いている心に潤いを戴いたような気がします。
「・・・命ある言葉を、もっともっとたくさん、心の中に貯えたいと思った。」まさにそうですね。
花が「だんだん下に垂れてきたり、古い花びらになって」きた時の方がずっといい絵になるというのも人間味のある、すてきな人生観だと思います。
下に垂れても、枯れても、がんばる勇気が湧いてくるような(^^ゞ
「絵を描くことだって、知らない道を迷いながら歩くようなもの」・・・「迷いながら描いた絵の方が私は好きだ」・・・そっか。。。すごいな。
そして「ものを創る人は持っていたものをどんどん出して創る。そして最後、出すものが本当になくなってからが本当のその人の力。」
いつも思うのですが、作家とか作曲家とか、どうしてあんなに次々作品を作り出せるのだろうと感心してますが、力のある人だからなんですね。
私なんて始めから出すものが無いなんて諦めてますが、論外ですね(汗;
人間には時間が解決してくれるという自然治癒力が備わっています。中には執念深くいつまでも忘れない人もいるでしょうし、それを糧に頑張っている人もいると思いますが、忘れずにそれが後になって楽しく思い出せるようになるというのは有難い仕掛けかもですね。
私は確たる信仰をもちませんが、山登りだけでなく、人生の山も心の山もしっかり歩けるようでありたいものです。
自分のためだけでなく、人の役にもたっていたいものですが、ちょっと道を見失いそうな立ち位置にウロウロしている年代でもあります^^;
些細なことで腹を立てる人に腹を立てる自分というのも情けないけれど、それならどうすれば良いのだと苛立つ気持ちも押さえがたい日々もありまして、そんな中この本からいろいろ温かい気持ちもいただきました。
心の中に宝物を貯えるようにしないと。。!(^^)!
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