The mere word sentō (or public bath) reminds me of the good memories of daily visits to the local bathhouse in my salad days. In recent decades, as bathing at home has become the norm, the number of public baths has declined steadily. But this is the only public bath that has survived in Aioi city.
「都湯」は創業103年。造船が盛んだった相生の繁栄を見てきたが、昭和50年代には各家庭に風呂が普及し、現在は「都湯」が相生で一軒のみ残る銭湯である。
光明寺 真宗大谷派の寺院であり、狭い長い路地の入り組んだ街並みの中に立派な伽藍がある。
JAあいおい港支店
都湯から徒歩1分の所にある。
播磨造船所、石川島播磨重工業などが戦前、日本海運を支えたが、戦後には播磨造船所は大型船の新造を禁じられた。やがて1960(昭和35)年。石川島重工業と合併し、社名を石川島播磨重工業に改め、高度経済成長の時代に、ドックがある相生第一工場(当時)は62~64年、1年間に進水させた船の総トン数で世界首位の造船所となった。1970年には人口が4万人を上回る造船の街になるが、1980年代からは造船不況で人口が減少する。現在も相生湾沿いにはクレーンや工場が並んでいて造船の街の面影を残している。長崎県出身の造船所従業員が故郷を偲んで始まったペーロン祭は、今でも相生の風物詩として有名である。
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