鳥取市鹿野町鹿野は鳥取市中心地から20キロほど離れた場所にある。戦国時代末期の武将、亀井茲矩(かめいこれのり)が鹿野藩初代藩主、初代鹿野城主となり築き上げた町である。400年流れ続ける水路が巡らされていて風情があり、萩のように美しい城下町である。近江八幡のような、あるいは岡山の足守のような雰囲気もあるが、どことも違う、不思議な町である。亀井茲矩は前回の秀吉の鳥取城攻めの折に功を上げ、鹿野城を大改修したという。後に秀吉に虎を献上したとか。朝鮮出兵をしているようだ。
かつて川が運んだ砂や礫が溜まってできた台地の上に位置しており、洪水の害がなく、水はけもよく床を高くする必要がなかったという。地震にも強く1943年の鳥取地震でもほとんど被害が出なかった。
亀井茲矩はや、鹿野城を「王舎城」、住民が住む区域は「鹿野苑」とネーミングしたことから、大陸、インドなどへの憧れが伺える。また深く仏教へ帰依していたようだ。山陰の大名では唯一、朱印船貿易をしたという希有な人物らしい。The Japanese Shoguns regulated trade by issuing vermilion seal certificates to ships specifying where the ships were allowed to trade.
鹿野往来交流館 童里夢では角町紋入りの大きな提灯が出迎えてくれるが、この町は鍛冶屋町 紺屋町 上町 下町 山根町 大工町などなどに分類されるらしい。作家司馬遼太郎は鹿野の街並みを次のように表現した。「人通りは、ない。通りは水の底のように静かで、時々京格子の町屋や、白壁の腰板といった苗字帯刀身分の屋敷などが残っている。全体にえもいえぬ気品を持った集落なのである。」『街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち』通りには、足下行燈が整備されている。夜も独特だろう。あっ岡本太朗はここには来たのだろうか。
鹿野そば道場(鹿野町鹿野)で蕎麦定食 1020円税込 9月24日を食べる。ここでは食事だけでなく、蕎麦打ち体験もできるらしい。蕎麦はもちろん!のこと、そば茶とそば湯が美味しかった。なぜ、鹿野町で蕎麦?と思うが、町おこしの一環として、約100軒の農家がそばを栽培しているとのこと。蕎麦は播種から収穫までの期間が稲、麦などに比べ短く、種蒔き後、4~5日で発芽し、70~80日で収穫適期となることから、減反から転作しやすかったから蕎麦に注目したのだろう。お店の窓際の花瓶に生けてあるのも蕎麦の花だった。どこまでも蕎麦にこだわっている。
幸盛寺には山中鹿介の墓地がある。
「週末だけのまちのみせ」がまた面白い!庭瀬・吉備・陵南地区では毎年秋には「まちかど博物館」なるものが開催されるが、このお店群はまた違う、リフレソロジーの店やら、絵本作家の似顔絵やらレベルの高いお店がたくさんある。非常に面白い。観光客も意外と多い。こんな町があったとは!!
庭瀬・吉備・陵南地区の「まちかど博物館」
鳥取県の琴浦町は農業が盛んであるが、農業者の高齢化や担い手の減少で耕作放棄地が増加しており、耕作放棄地を有効活用した新たな特産品が栗である。栗は落ちている栗を拾うという収穫作業のため、負担が少なく、また、大粒で皮がむきやすく品種改良された「ぽろたん」の栽培拡大を進めている。
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