■3月19日ー20日 下関にて
2年前より脳梗塞で入院していた母94才が3月18日に亡くなった。
マシマン送別会で南阿蘇の温泉に行く途中で連絡があった。スグにでも下関に帰りたかったが19日にお通夜をするのでそれに間に合えば良いということだった。
今年の1月に父33回忌で下関に帰った際、これで最後かも知れないと病院に見舞いに行ったが、その通りになってしまった。
その時、熱心な仏教徒である母に「お坊さんの話がよかった。」と言うとニッコリ笑顔を返したのだった。人の話が理解できたが、自分では話すこともできず、この2年間の入院生活はどんなに苦しかったことだろうと思う。
又、実家の近くに住む姉やその家族も母の面倒をよくみてくれ淋しい思いはなかったろう。姉には感謝。
19日のお通夜は葬儀場に安置されている同じ部屋で過ごすことができた。
この5月に結婚式を挙げる姪、秋に出産予定の私の息子嫁、オメデタイこともある。
この時、今から命を育む者、この世を去る者が同居する。
母の遺言通り派手なお葬式にはならなかった。御近所にも知らせていなかった。
ほぼ身内、親戚だけである。・・・母らしい。人生一歩下がって歩いてきた母である。
葬式で20年、30年ぶりに会うことが出来る従兄や甥姪たち。
会場は涙ばかりではなく笑顔も絶えない。
従兄の年長は70才を超え、甥の年長は45才。時代の移り変わりを感じる。
母は孫、ひ孫までみたことになる。
生まれた年がロシア革命だから長生きは歴史の証人になる。昭和の太平洋戦争の話はよく聞かされた。
平凡に生きることが一番!はその戦争体験に基づいてのことだった。
わが家からは伊丹のトウマ夫婦、長崎出張中のユウム、サキと私たち全員でかけつけることができて良かった。
母には言っておいたのだが公演中だと行けない。葬式の一週間前が公演だった。不義理をせずに済んだ。
善人なおもて往生をとぐ。
骨になった母をみて拝む。・・・いわんや悪人(私)も往生を目指そう。
笑って待っていて下さい。
2年前より脳梗塞で入院していた母94才が3月18日に亡くなった。
マシマン送別会で南阿蘇の温泉に行く途中で連絡があった。スグにでも下関に帰りたかったが19日にお通夜をするのでそれに間に合えば良いということだった。
今年の1月に父33回忌で下関に帰った際、これで最後かも知れないと病院に見舞いに行ったが、その通りになってしまった。
その時、熱心な仏教徒である母に「お坊さんの話がよかった。」と言うとニッコリ笑顔を返したのだった。人の話が理解できたが、自分では話すこともできず、この2年間の入院生活はどんなに苦しかったことだろうと思う。
又、実家の近くに住む姉やその家族も母の面倒をよくみてくれ淋しい思いはなかったろう。姉には感謝。
19日のお通夜は葬儀場に安置されている同じ部屋で過ごすことができた。
この5月に結婚式を挙げる姪、秋に出産予定の私の息子嫁、オメデタイこともある。
この時、今から命を育む者、この世を去る者が同居する。
母の遺言通り派手なお葬式にはならなかった。御近所にも知らせていなかった。
ほぼ身内、親戚だけである。・・・母らしい。人生一歩下がって歩いてきた母である。
葬式で20年、30年ぶりに会うことが出来る従兄や甥姪たち。
会場は涙ばかりではなく笑顔も絶えない。
従兄の年長は70才を超え、甥の年長は45才。時代の移り変わりを感じる。
母は孫、ひ孫までみたことになる。
生まれた年がロシア革命だから長生きは歴史の証人になる。昭和の太平洋戦争の話はよく聞かされた。
平凡に生きることが一番!はその戦争体験に基づいてのことだった。
わが家からは伊丹のトウマ夫婦、長崎出張中のユウム、サキと私たち全員でかけつけることができて良かった。
母には言っておいたのだが公演中だと行けない。葬式の一週間前が公演だった。不義理をせずに済んだ。
善人なおもて往生をとぐ。
骨になった母をみて拝む。・・・いわんや悪人(私)も往生を目指そう。
笑って待っていて下さい。