2014年6月15日で劇団を結成して35年になる。
35年前(1979年)のその日、東京都新宿区早稲田鶴巻町の6畳一間の部屋(鶴巻ハウス)で産声を上げた。
まるで秘密結社のようでもあった。
演劇そのものが事件であるような世界を作ろう!革命的な演劇を!
怪しげなスローガンが狭い部屋で舞っていた。地に足がつかず、言葉に酔っていたのだった。
熊本から4名(夢現、上村源太、浦上女史と私)、海幸大介、夏目一樹、上杉和歌、その後仲間入りした、高瀬進(映画評論家)、万十蔵、小池喜久恵、坂上淳一(カメラマン)、内田真介(音楽)などが主要な初期メンバー(第1期)だった。
くるくるぱーの劇団に渇、アドバイスをしてくれたのが流山児祥さん(現、流山児★事務所)だった。「役者とは地獄めぐりよ~。」が今でも強烈に突き刺さっている。それがバネになりつづけている。
今年の7月中旬くらいには熊本市で「35周年記念パーティー」をする。
全国に散らばっている仲間たちにも呼び掛けるつもりだ。仲間とは元劇団員に限らず、私たちを支えてくれた人たち全てである。
連絡がとれない人たちも多くいるが、風の便りとして届けば良い。
会ってうれしや花いちもんめ。・・・この夏の楽しみである。
35年前(1979年)のその日、東京都新宿区早稲田鶴巻町の6畳一間の部屋(鶴巻ハウス)で産声を上げた。
まるで秘密結社のようでもあった。
演劇そのものが事件であるような世界を作ろう!革命的な演劇を!
怪しげなスローガンが狭い部屋で舞っていた。地に足がつかず、言葉に酔っていたのだった。
熊本から4名(夢現、上村源太、浦上女史と私)、海幸大介、夏目一樹、上杉和歌、その後仲間入りした、高瀬進(映画評論家)、万十蔵、小池喜久恵、坂上淳一(カメラマン)、内田真介(音楽)などが主要な初期メンバー(第1期)だった。
くるくるぱーの劇団に渇、アドバイスをしてくれたのが流山児祥さん(現、流山児★事務所)だった。「役者とは地獄めぐりよ~。」が今でも強烈に突き刺さっている。それがバネになりつづけている。
今年の7月中旬くらいには熊本市で「35周年記念パーティー」をする。
全国に散らばっている仲間たちにも呼び掛けるつもりだ。仲間とは元劇団員に限らず、私たちを支えてくれた人たち全てである。
連絡がとれない人たちも多くいるが、風の便りとして届けば良い。
会ってうれしや花いちもんめ。・・・この夏の楽しみである。