日本の語り継ぐべきお話
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/7e38086e6f2a41eb283b387d4d56e012
からの続き
◆日本を考える <日本なかりせば>
日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
昭和30年(1955年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は招待されました。敗戦後間もない日本でしたから慎重論が多かったのですが、高崎達之助経済審議庁長官や外務省参与の加瀬俊一氏らが出席しました。加瀬氏は日本はいいこともしたけど、わるいことをしなかったわけじゃないので、あまり気が進まなかったと回想しています。ところが、日本は大歓迎を受けました。
「よくきてくれた!」
「日本のおかげだ!」
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった!」
「大東亜共同宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた」
「アジア民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く」
平成17年(2005年)、バンドン会議50周年を記念して開かれたアジア・アフリカ会議・小泉首相(当時)は次のように演説しました。
「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」・・・まったく的外れな演説をしたものです。
平成4年(1992年)10/14 香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう」
このマハティール首相の演説は暗に大東亜戦争のことも含まれています。この演説を聞いた白人は怒って席を立ち会場を出て行った人もいたといいます。
マハティール首相は「ルック・イースト」政策(日本を見習え)を実施し、東アジア経済会議(EAEC)を提唱しており、この「日本なかりせば」演説はアメリカをを警戒させました。クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」などとほざきました。
平成6年(1994年)にマレーシアに訪問した村山富市首相(当時)、土井たか子衆院議長(当時)は型どおり謝罪するとマハティール首相はこう述べました。
「日本が五十年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」
「日本に対して今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」
このマハティール首相の言葉に村山総理は何の言葉も返せませんでした。しかも村山総理はシンガポールで華僑ゲリラの慰霊碑に謝罪を述べています。死者に対して慰霊するのは構いませんが、違法であるゲリラに謝罪するなどキチガイ行為です。東南アジアは華僑を追い出すのに多大な苦労してきており、ゴキブリのように侵入してくる華僑をブロックしたい思いがあります。
マハティール氏
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」
麻生元総理は日本がリーダーシップをとる「自由と繁栄の弧」を主張しました。ところが、3年前半の政権交代で鳩山総理(当時)はシナ様を盟主とする東アジア共同体構想を出してきました。小沢幹事長(当時)が人民解放軍野戦司令官になるというのですって???
「ルック・イースト」政策から30年。もはやマレーシアでは日本から学ぶものは「先端技術」のみであるという声さえ聞かれます。昨年末、新政権が誕生し、日本は新たな門出を迎えました。再び立ち上げれ、ニッポン!
参考サイト
「日本なかりせば」演説
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/maha.htm
WikiPedia「マハティール・ビン・モハマド」
◆武士道
武士道といえば、佐賀の「葉隠れ」を思い浮かべる人が多い。その神髄は「武士道とは死ぬことと見つけたり」で、戦時中、軍部がこれを戦意高揚に利用したため、「死に急ぎの哲学」ともいわれた。しかし、葉隠れの真髄(しんずい)は「武士はいつ死んでも悔いがないように日々立派に生きよ」ということにある。進駐軍はこの葉隠れの精神を嫌って剣道の競技まで禁じた。父は後年、「アメリカ人はもっと他に良い生き方があると教えてくれるのかと思ったよ」と笑っていた。
評論家・屋山太郎氏
◆葉隠と三島由紀夫
【佐賀藩士 山本常朝】「葉隠聞書」での一文…
『武士道と云うは死ぬこととみつけたり』
[原文]
『二つ二つの場にて、早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわって進む也、図に当らず、犬死などいふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二 つ二つの場にて、図に当るやうにする事は及ばざる事なり。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。もし図に外れて、生たらば、腰ぬけ也。此境危 き也。図に外れて死にたらば、気遣いにて恥にはならず。是が武道の丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度な く家職を仕課すべき也。』
[訳文]
『二つのうち一つを選ばなければならない状態、つまり死ぬか生きるかというような場面では、死ぬほうに進むほ うがよい。むずかしいことではない。腹をすえて進むだけのことである。思ったようにいかない場合を考えたり、それでは犬死にだなどという意見は、上方風の 思いあがった武士道である。二者択一の場で、思ったようにするなどということは、そうそうできることではない。自分も人も生きるほうが好きである。おそらく好きなほうに理屈がつくであろう。しかし、もし選択を誤って生き延びたととしたら、腰抜けである。思ったように行って生きるのと、思っ たように行かないで生きることとは、紙一重の差である。うまく行かず死ぬことになってっも、「気違い」だというだけで恥にはならない。これが武士道の一番 大切なところである。毎朝毎夕、いつも死ぬ覚悟をしていれば、武士道の自在の境地に達することができ、一生失敗することがなく、家職をまっとうすることが できるのである。』
常朝は、二者択一の場においては死ぬ確率の高いほうを選べ、犬死でも構わないから腹をすえて進め、と言います。その理由は、切迫した場面では、最善の選択をすることはまず不可能だからです。
人は誰でも死にたくはありません。ですから死なない方に理由をつけて選ぼうとします。この場合、理由がうまく当たって適切であれば、自分も生き延びて事態 も収まるかもしれません。しかし問題はその選択理由を誤った場合です。その場を生き延びることはできますが、結果は「腰抜け」「腑抜け」となります。
例えば仲間が敵に斬られようとしている時に、助太刀すれば自分も斬られてしまうかも知れません。或いはもし敵を斬り倒したとしても、争いをしたという理由 で切腹を命じられるかも知れません。
しかし、それらは「気違い」であっても、決して「恥」にはなりません。かえってその勇気を称えられて「見事」と誉めら れることもあります。しかし、見て見ない振りや、逃げた場合は、「恥」になります。もしそれを誰かが見ていれば、武士たる者、切腹は免れません。
だから、恥にならないよう、どちらにしようかと迷う場では、死ぬ確率の高いほうを選べ、というのです。そのように毎朝毎夕、死の覚悟をしていれば、かえって一生落ち度なく、家職をまっとうすることができる、という訳です。
◆日本人のDNA
2014年04月19日 真実の日本・再生
日本人の遺伝子というのは、アジアでも特殊な遺伝子を持っていまして(特にY染色体)
日本人のルーツというのは、世界の七不思議に入れてもいいかも?(笑)
日本人のルーツというのは、人類の起源にも深くかかわっていまして
一番知っているのは金融マフィアと言われる偽ユダヤ人の方々ではないでしょうかね?
一番知らないのが、当の日本国民ですね。
女系天皇が論議されていますが、男子にのみに受け継がれる遺伝子を考えたら
とんでもない話だということがおわかりになるはずです。
それを許せば、日本は単なるアジアの三流国になってしまいますよ。
だから、それを知っている日本壊滅を狙う勢力は「皇室典範改正」を叫ぶわけです。
(女系天皇と女性天皇とは違います)
(まずは参考から)
ヒトのゲノム(46本)は、22対(44本)の常染色体と1対の性染色体
(2本、男XY・女XX)に分かれて収められている。
各染色体は一本の長いDNAのひもで成り立っていて、その長さは 1m強で、
塩基数にして 約30億個ある。
ヒトゲノムの中には、3万個程度の遺伝子が入っているが、そのうち遺伝情報
としての意味を持っているのは全体の5%程度である。
(2003年の春にヒトゲノムの99%が解読されたが、それがどのような意味を
持つかは大部分が解明されていない。体細胞の数は60兆個あるので、一人の
ヒトのすべてのDNAを一直線につなげると60兆m= 太陽系の直系位 になる。)
ヒトの遺伝子の95%以上は常染色体上にある。
【フロリダのミイラと日本人】
1986年、アメリカのフロリダ州でミイラ化したヒトの脳組織が発掘されました。
このミイラは約7000年前のものと判り、従ってこの脳組織はアメリカ・インディアンの
祖先のものとされました。
カリフォルニア大学では、この脳組織からまず、微量のmtDNA(ミトコンドリア・デオキシリ
ボ核酸)の抽出に成功しました。
次に当時最新の画期的なDNA増幅技術・PCR法を使って、mtDNAの一部を増幅し
塩基配列(DNAの文字列)の決定にも成功したのです。
その結果、大部分の現代人では、≪GGGCCC≫という文字列になっている塩基配列が
このミイラには≪GGACCC≫となっていました。
そこで、まず現代インディアンの中に≪GGACCC≫の塩基配列を持つ人がいないかを
調べましたが見いだせなかったのです。
ところが、遺伝子研究の宝来聡氏(故人)が調べた日本人の中の5人が、ミイラと同じ
≪GGACCC≫という配列であることが明らかとなったのです。
このような変異型のDNA配列を持つミイラと現代日本人の一部が一致するというようなことは
偶然では起こり得ないことです。
従って、現代日本人と7000年前に生きていた北米インディアンが、遺伝子レベルで共通の
基盤を持っていたことがわかったのです。
これはどういうことかというと、はるか昔、アメリカインディアンの祖先が北アジアから
太平洋を 渡って北米大陸に移住したということで、アメリカインディアンはアジアを
起源とする民族集団であるという常識を、図らずも証明するという興味深い結果となった
のです。
(参考)
Y染色体DNAは 父親から男の子のみに伝わり(男→男の子→男の孫→・・・)、
ミトコンドリアDNAは、(受精卵の中で父親からの精子にあるミトコンドリアDNA
は破壊されてしまうことが知られている) 母親から女の子にのみに伝わる
(女→女の子→女の孫→・・・)。
したがって、たとえば父親に女の子しかいないと、その Y遺伝子はそこで途絶える
ことになり、祖先のDNAの追跡はできない。
もっとも、同じ Y染色体をもつ近縁の者との間の子には、この印を伝えることができる。
同様に、母方の家系の血を引く女性をめとった場合もミトコンドリアDNAは引き継がれる。
【日本人の遺伝子は東アジアでも異質】
アジア人のミトコンドリアDNAタイプ (母系遺伝子です)
ミトコンドリアDNAは母親から子(男子・女子)に伝わる遺伝子。
D型は日本人とチベット人に固有。
チベット人と日本人って容姿的にも似ていますよね。
【東アジア人のY染色体DNAタイプ】
Y遺伝子は父親から子(男子)に受け継がれる遺伝子。
日本人はアジア人は絶対に持っていないとされる、YAP+遺伝子
を持っていることが判明。 本土日本人は全体の75%にYAP+遺伝子を高頻度に持つ人種で、
これは少数民族を除いてアジアで唯一。 ちなみにアイヌ人はYAP+遺伝子を88%持っている。
この事から日本人全体が他の東アジア人に比べ、かなり異質な民族である事が判明してきている。
【東アジアの民族の遺伝子の近似値】
日本人は東アジアでかなり特殊なタイプであることがわかる。
これはY染色体のYAPとミトコンドリアのD型という特殊性のため。
韓国人はほぼ漢族と非常に近い 。
父系のY遺伝子、母系のミトコンドリア遺伝子を見ても、
日本人は他の東アジア、東南アジアと異質である。
日本人は何処から来たのだろうか?
【日本人の血液に宇宙的なもの?】
日本人の血液の中には普通の民族にはない霊的な光のエネルギーが無限に
入っているのだそうです。YAPマイナス遺伝子を利用して血清をつくると、
抗がん剤とか難病を治す薬が全部できるようです。
血清で一番効率よく薬に変えることができるのは、日本人の血液です。
日本で血液を集めるのは、赤十字社ですが、そのほとんどはヨーロッパにある研究所
に運ばれてしまうそうです。日本人はその血液を使っていません。
ということは、日本人の輸血には外国人の血液が使われるってことでしょうか?
日本人に外国人の血が輸血され、外国人に日本人の血が使われるということですかね。
顕微鏡で見ると、日本人の一部の人たちの血液の中に宇宙的なものがあるそうです。
古代ユダヤ人(現在の白系ユダヤ人ではない)や、古代日本人の血脈を持っている人
は全部そうなんだそうです。血液中の成分が霊的に全然違うそうです。
DNA研究が進歩すれば、日本人の中にしか存在しない神聖な遺伝子が見つかるでしょう。
日本人は五色人の中で黄色民族ですが、日本人がある時覚醒し、日本人の役割、
天命に気づいた時に黄色から黄金民族に変わり、その影響が世界中に共鳴して、
地球人類が黄金民族に変容します。
そして、古代の聖者たち、仏陀もモーゼもキリストも、日本人だったそうです。
少なくとも日本人の血が混ざっていたそうです。
聖者たちは必ず日本に帰ってきて、修行をしていました。
人生最後の地も日本だったそうです。空海も早くに中国での修行を終えて帰国
しましたが、 それは、中国で学ぶものは何もなく、日本で学ぶべきであると
知らされたからだそうです。
(引用元)
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2642
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000idennsi.htm
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51822667.html
http://ameblo.jp/yuji-horiki/entry-11809713949.html
朝鮮人が日本人は朝鮮から移住した同じ血を持つ民族と盛んに主張するが、図を見れば明らかに全く異なった関連性のない民族であるということがよく分かる。結局は、彼らの見果てぬ夢のファンタジーである。
◆神道の心を伝える
【生かされている事への感謝】
大切な人が亡くなれば、その人に対して供養を行う。
しかし、私達を生かさせて頂いている食べ物に対して供養を行う者はいない。
その食べ物にも等しく【命】が存在する。
その命を頂く事で私達の生命は繋がっている。
その命に対して私達の祖先は【供養】を【感謝】という形で祭祀を執り行って来た。
感謝とは生かされていることへの【供養】の意味も含まれていたのである。
また、人間にとって都合の悪い物を取り除く事がある。
その罪や汚れを神様に引き受けて貰う
その事を【お祓い】と言った。
神社でお祓いを行い、祈願するのはこの様な事からである。
また、多くの場合、罪や汚れは仕事をする事で起こる作用である。
大きな仕事を行えば行うほど多くの命を頂く事になる。
私達の祖先はその命に対して感謝し、お祓いを行って来たのだ。
そうやって私達の傲慢さを祓い
謙虚さを保って来たのかもしれない。
(「神道の心を伝える」のDVDより引用。)
◆日本は、古代からずっと天皇を国の頂点に抱く君主国です
「ねずさんの ひとりごと」より引用
もともと日本は、いまから2674年も前に、神武天皇がご即位されて建国の詔を発せられてから、ずっと日本であった国です。
けれどもその日本が国をあげての敗戦によって、昭和20年に占領統治を受けることになりました。
日本は、古代からずっと天皇を国の頂点に抱く君主国です。
ですから占領軍は、はじめ天皇に戦争責任を負わせ、退位を迫ろうとしました。
けれど、あまりにも昭和天皇が日本国民に愛されている。
その事実を目の当たりにした占領軍は、もし軍が天皇を抹殺した場合、日本人の怒りは収拾不能なものとなり、日本人のひとりひとりがすべて占領軍に敵対するという、おそろしい事態を招くことに気がつきました。
そこで彼らが考えた方法が、天皇の存在を据え置いたまま、政治機構だけ中身をすっかり入れ替える。
つまり日本政府を「占領軍の傀儡政権」にしてしまう、という選択でした。
日本的精神をしっかりと持っている政府高官や、教育者、政治家、町道場の師匠などをことごとく追放し、中身をそっくり反日主義者に置き換えたのです。
なにせ追放者20万人です。
まともな人20万人を追放し、反日主義に凝り固まった異常者たちを20万人、そのポストに就けたのです。
官公庁へ、学校へ、大学へ、法曹界へと、です。
ですから多くの日本人は、戦前の日本の統治機構が、そのままいまの日本へとつながり、憲法だけが明治憲法から昭和の占領憲法に変わったと思い込んでいますが、実は違います。
器はそのままに、中身がごっそり入れ替わっているのです。
そうして日本国政府は、占領下の傀儡政権として、占領憲法とともに君主国としての日本を棚上げして、占領統治を行うための機構となりました。
このことは、当時の吉田茂総理がどうのとか、その後の岸信介総理、池田勇人総理、佐藤栄作総理の資質や思想性がどうのということとは関係ありません。
同じ会社でも、社長や支店長、あるいはオーナーが変われば、同じ商売をしていてもまったくその企業環境が変わるように、日本は、皇国2700年の世界最古の君主国でありながら、その中身は、すっかり占領統治下の日本となってしまっていたわけです。
どんなに立派で高性能な電車であっても、敷かれたレールが斜めなら、斜めの方向にしか走れません。
そしてそのレールは、いまもなお、斜めのままです。
そしてその斜めのレールのままに、占領統治憲法である日本国憲法が施行され、サンフランシスコ講和条約が締結され、斜めのまま戦後政治が行われ、そして現代に至っています。
ちなみに多くの日本人は、サンフランシスコ講和条約によって日本は主権を回復したと思っています。
けれど、回復したのは「平時の日本の自治権」だけです。
これが何を意味するかというと、日本はいまだに、いわば占領下にあって「町内の自治権だけを回復させてもらった」と同じ状況にある、ということです。
町内会は、町内の助け合いのための自治権は持っています。
しかし、町内で大規模な犯罪や災害が発生したときの非常事態における権限は、何もありません。
そういうときは、警察や消防に来てもらわなければ、手の施しようがありません。
同様に日本も、国としての自治権は回復させてもらっていますが、国家的異常事態、たとえばオウムのような大規模広域型犯罪や、原発事故、あるいは震災や外国による国際紛争としての領土の奪取、あるいは超先端技術研究の保護といった国家をゆるがすような大問題に関しては、実は日本国政府は、何の権限も持ち合わせていません。
つまり平時の自治権しかないのです。
こう書くと東日本大震災のときに自衛隊が出動したではないかという声が聞こえてきそうですが、実際には、陸海空の自衛隊幹部が、辞表を胸に出動命令を出したにほかならず、国としての自衛隊動員は、当時、事後的に承諾しただけのことでしかないし、それどころか、大震災の際、米軍は日本国政府の承認なしに、「お友達〜〜♬」と言いながら、勝手に日本に上陸してきています。
もちろん米軍の上陸とその援助は、被災地にとっても日本国民にとっても、たいへんありがたいことです。
けれどもこれは、占領統治下の日本で朝鮮人の暴動が発生したときに、武装を持たない丸腰の日本の警察に変わって、米軍のMPがその鎮圧にあたったのと、流れとしては同じものです。
そして、竹島は韓国が勝手に軍事占領し、北方領土はロシアが勝手に軍事占領しています。
尖閣領海内に支那漁船と称する人民解放軍が侵入しても、日本国政府は軍を出動させることができず、銃撃して追い払うことさえできません。
それどころか、日本の領空を侵犯した外国の軍事飛行機に対して、日本国政府は、自衛隊機にスクランブル発進させることはできても、相手が発砲し、自機が撃墜されてからでなければ、反撃もできないことになっています。
さらに、本州、四国、北海道、九州は、日本人の誰もが日本国の領土(日本国政府の領土)だと思っていますが、その日本国政府には、本州、四国、北海道、九州の領土主権はありません。
日本国憲法に規程がないのです。
当然です。占領統治下の日本国においては、領土主権は執行が停止され、占領軍が事実上の領土主権を掌握しているからです。
要するに日本の領土主権は、巧妙に占領軍によって執行停止されたままになっているわけです。
ということは、日本は、主権国家ではないということです。
主権というのは、排他独占的に自国の領土を保持できる権利ですが、戦後の日本国政府にはそれがありません。
では、占領軍が、いまでも日本の領土主権を持っているのかというと、これも違います。
国際法上、占領軍は、領土主権を保持し、奪うことができないからです。
このブログで何度も説明していますが、イラク戦争のあと、イラクではフセイン政権が崩壊し、無政府状態になり、そして連合軍がイラクを軍事占領しました。
この場合、イラクの主権はどうなっているかというと、主権者であるフセイン政権がなくなり、占領軍は主権を保持できませんから、主権はイラク国民に均等に分散されているというカタチになります。
そして、イラクに正当な政府ができ、統治者が確定したとき、国民の主権は、その統治者に帰属します。
日本はイラクと異なり、終戦後も天皇と政府機構は残りましたが、ただし、天皇の主権は戦後68年間、ずっと棚上げとなり、傀儡政権としての日本国政府が、日本の統治のうちの「国内政治」だけを行ってきたわけです。
それでも平時においては、国民生活に支障がでることは、あまりありません。
日本は、ずっと平和を満喫できたし、国土の復興も経済の発展もできました。
ただし、領土に関する問題や、日本国の歴史伝統文化に基づく日本国としてのカタチは、いまだ取り戻すことができていません。
ですから戦後の日本国政府には、竹島問題や北方領土問題、あるいは慰安婦問題や南京問題、靖国問題など、国内法を超える事態が起きたとき、何の対処もできません。
なぜなら権限がないのです。
せいぜい、遺憾の意を表して相手国に話し合いを呼びかけるのが精一杯です。
国連規程によれば、侵略した側とされた側、双方の国で、まず話し合うことと決められています。
その話し合いが不調なら、客観的な裁定を受けるために、国際司法裁判所に訴えることができるとも決められています。
ところがこの裁判所は、我々が国内に持つ裁判所とは、まったくその構造が違うものです。
国内の裁判なら、その裁判に当事者が出席しなければ、その時点で相手の言い分を全部認めたことになります。
ところが国際司法裁判所では、双方の当事者が揃うまで、裁判そのものが開かれません。
何故かといえば、主権国家というものは、それぞれが他国に干渉されない排他独占性を認められているからです。
ですから、話し合いをする気のない当事者国は、裁判そのものに出席する必要がない。
それが国連加盟国に与えられた正当な権利なのです。
そうなると、話し合いも裁判もできませんから、残る解決方法は、戦争しかありません。
軍を差し向けて、勝手に領有している他国を追い払います。これは自衛権の行使です。
家の敷地内に、隣の家が勝手に入り込んで、そこで畑をはじめたら、誰だって怒ります。
それで話し合いを申し込んで、ダメなら警察呼ぶし、裁判にするし、それでも駄目なら実力で排除するしかない。あたりまえのことです。
そしてその実力行使は、侵略を受たことに対する抵抗(アタック)ですから、これは正当な自衛権の範囲に属する問題であり、正当な国の権利とされています。
ところが戦後の日本国政府は、国連憲章上も、日本の領土の侵犯に対し、何もできません。
なぜなら、日本は、国連(United Nations)の敵国だからです。
ちなみに国連を英語で書いたら「United Nations」です。
これは日本がかつて戦った連合国(United Nations)のことです。
そもそも「国際連合」という日本語訳がおかしいのです。
「United」は連合、「Nations」は国々です。
どこにも「国際」という意味の英単語はありません。
ところがそれが「国際連合」と誤訳されていることで、多くの日本人は、国連がオフィシャルな世界政府であるかのように誤解しています。
全然違います。
日本は、いまでも「United Nations」の敵国であり、「United Nations」に世界一の経済的貢献をしていても、あくまで敵国は敵国なのです。
そしてその敵国に置かれた「United Nations」の傀儡政権が、日本国政府だということです。
ですから日本がいくら「侵略を受けましたぁ〜」と「United Nations」に泣きついたとしても、彼らに同盟国と戦争をする気がないなら、いっさい相手にされない。
敵国なのです。あたりまえのことです。
「United Nations」を「国際連合」だと勝手に誤訳して夢を見ている方が、バカなのです。
ところが戦後68年経って、その「United Nations」体制にもほころびがでてきました。
それが中共政府の台頭です。
日清、日露の戦争の頃、欧米で盛んに言われたのが「黄禍論」です。
これは一種の黄色人種脅威論で、郷に入って郷に従わない民族が、欧米に大量に乱入したことから、この論は欧米における中心的言論となりました。
もともとはこの論は、人としての常識をわきまえない支那人、朝鮮人に対して向けられた民間ベースの迷惑被害論だったのですが、欧米人からみれば、日本人も同じ東洋人の顔をしています。
そして国際舞台では、日本の活躍がとりわけ目立つものであったために、いつの間にか東洋人全体を十把一絡げにした論になってしまいました。
その一方で、東亜における広大な土地と人口は、植民地利権をもくろむ者たちにはたいへんな魅力で、そういう意味では、土地が狭く、人口も1億しかいない日本よりも、当時5億の人口を抱える支那の方がはるかに魅力的な市場に映りました。
このことがきっかけとなり、支那における大陸利権を求める(当時の世界は英国の支配地であり、後発国の米国にとってはフィリピンと支那大陸くらいしか、植民地利権を求める先がなかった)米国によって、支那国民党への武器、経済、食料の支援が行われ、これが支那事変、そして大東亜戦争へとつながるきっかけとなりました。
この流れは、実は戦後も、まるで変わっていません。
支那は、文化大革命当時は、世界の超貧国であり、市場としての魅力もなかったわけですけれど、その支那が経済力をつけ、人口も小麦の生産量の拡大によって15億にも増えてくれば、国土が狭く人口も1億しかいない日本よりも、はるかに大きな市場的魅力を彼らが感じたであろうことは、容易に想像できることです。
そして米国を筆頭として、欧米各国は支那への投資をさかんに行いました。
ところが、実際に大金を投じてみると、中共政府はあまりにもこずるくて、投資したお金の回収もままなりません。
それでも、文化や経済が発達してくれば、自然と国際常識が備わってくるだろうと思っていたら、ますます悪くなる。
あげくの果てが、わけのわからない覇権主義などと言い出して、太平洋を中共と米国で二分しましょうなどと、不埒な発言を堂々としてくるようになりました。
そして、いつのまにか核まで保有する国になっています。
ここまでくると、約束を守り、紳士的な付き合いがちゃんとできて、経済的にも力のある人口1億の小島と、広大な大陸と15億の人口がありながら、約束を守れず、嘘ばかり言っている非常識な国とでは、果たしてどちらが、国としての交際相手となりうるか、そしてまた取引による利益が確保できるか、選択は大きく変わることとなります。
これまたあたりまえのことです。
カネを払わない15億人と、カネを払ってくれる1億では、商売上どちらが大事かというだけの問題です。
秩序のないところに経済はないのです。
支那が経済力をつけたのは、自国の努力ではありません。
他国が支那に投資してくれたというだけの話です。
言い換えれば、支那の経済力は(これは韓国も同じですが)、他国が投資をあきらめたら、それだけで崩壊するのです。
にも関わらず彼らはその投資額で政府官僚の個人的私腹を肥やすことと、自国の軍備の拡張しかしてきませんでした。
民衆はほったらかしです。
そしてその投資を他国がいかに回収するかは、もはや欧米諸国(特に米国資本家)にとって、いまや喫緊の課題となってきたわけです。
そしていまの中韓の体制が続く限り、その投資の回収はありえない。
そのことが完全に完璧に明確になったのが、昨年のことでした。
こうしたなかにあって、米国でひとつの大きな判決が、連邦裁判所によって出されました。
それは「台湾は天皇領であり、米国政府は United Nations の代表として、台湾における天皇主権を回復させなければならない」というものです。
むつかしい理屈は省きますが、要するにサンフランシスコ講和条約によって、棚上げされた東亜における天皇主権は、回復されなければならないということが、連邦裁判所によって、判決されたわけです。
そしてこの判決には、大統領も従わなければならない。
さらに、そうなると、サンフランシスコ講和条約で棚上げにされたままになっている南シナ海における主権者も、これまた天皇の主権ということになります。
その南シナ海には、中東に匹敵する豊富な石油の埋蔵が確認されており、しかもそこはいま、中共政府が「United Nations」の承認なしに、勝手に軍事占領しています。
これらを、正常化させなければならない義務を、米国大統領は負ったのです。
今日、みなさまにお伝えしなければならないことの最大のポイントは、戦後の日本には、実は二つの別々な日本が内在しているということです。
ひとつは、天皇が統治する2674年続く、君主国としての「天皇が統治する日本」です。
もうひとつは、占領統治のために置かれた占領軍の傀儡政権としての日本国政府が自治する日本です。
そしてこの両者は、まったく別なものだということです。
なぜなら前者は、完全な主権国家としての日本ですが、後者は、主権を持たず、自治権だけを持つ占領下の日本です。
そして「天皇が統治する日本」において、天皇の主権の及ぶ範囲は、本州、四国、北海道、九州、沖縄、小笠原諸島だけではありません。
東シナ海、南シナ海、北方領土、台湾なども、天皇の主権の及ぶ、国際法上認められた正当な日本の領土であり領海です。
そしてこれら領土領海は、サンフランシスコ講和条約によって、その処分権(領土割譲権)は連合国に委ねたものの、いまだその処分先(割譲先)は決まっていません。
そうした東亜における主権の帰属の問題と、新たに起こった黄禍の問題、この両者を理詰めで解決していくためには、実は、「United Nations」は、あらためて「天皇が統治する日本」を回復させなければならないということになったわけです。
そしてそのことは、わたしたち日本人にとって、本来の日本を復活し、蘇生できる大きなチャンスがやってきたことを示します。
こう書いても、おそらく皆様は、「まさか」と思われることでしょう。
けれど、世界は動いているのです。
こうした背景のもとで、今回、オバマ大統領が来日しました。
3年前の来日とは、ずいぶん違います。
まず、ファーストレディを連れていない。
警備が、1万5000人もの警察官を配備した厳重すぎるくらい厳重な警備でした。
そして通行する自動車には検問が行われ、すべてのゴミ箱にはふたがされました。
そのふたへの注意書きは、日本語と、支那語と、韓国語です。どこの国を警戒していたか、これは一目瞭然です。
メディアでは、TPP交渉のための来日だったと報道していますが、これも結論はもちこしとなりました。
そもそも、こういう問題は、次官や閣僚級で充分に煮詰め、話がついてからトップ会談と共同声明になるものです。
それができるだけの関係は、日米にはしっかりとあるわけで、北朝鮮と対談するのとは、わけが違うのです。
つまり、オバマ大統領の来日は、現在報道されている内容とは、実はまったく別な目的のものであったということです。
ではそれが何かというと、実は、日本の統治権を、傀儡政権である日本国政府から、ふたたび天皇統治に戻す、ということです。
これは、米国が日本を呼びつけてできる話ではありません。
米国大統領が、直接自分の足で日本にやってきて下話を行うことです。
そして日本が天皇統治の日本に戻るということは、東アジア圏全体の天皇の主権が回復するということを意味します。
つまり、中共政府の東亜における覇権主義は、これによって完全に否定されるのです。
そしてこれを行うことは、日本における占領憲法も否定されるということを意味します。
今回のオバマ大統領の訪日には、これに先立って米国議員団が来日しています。
その議員団は、中曽根元首相とも面談しています。
その中曽根氏は、そもそも憲法破棄論者です。
こう書いても、おそらく多くのみなさんは、「まさか」としか思えないと思います。
けれども、ここに書いたことが、正しいかどうかは、今年の夏頃までには、はっきりすると思います。
世界も日本も、いま、おおきく変わりつつあります。
日本人も、変わるときがきています。
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