浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

ロックフェラーの日本支配 ②

2015-02-09 00:09:51 | 資料

ロックフェラー兄弟財団、化石燃料投資から撤退宣言

2014年09月23日 AFP

【9月23日 AFP】世界最大の石油財閥であるロックフェラー一家(Rockefellers)が22日、化石燃料に対する投資を止めると発表し、米ニューヨーク(New York)で23日に開かれる国連(UN)の気候変動サミットにとって大きな後押しとなりそうだ。

 サミットを翌日に控え、民間機関や個人、地方自治体などによる連合はこの日ニューヨークで、化石燃料に対する計500億ドル(約5兆4000億円)以上の投資撤退を宣言した。この連合には資産規模8億4000万ドル(約900億円)のロックフェラー兄弟財団(Rockefeller Brothers Fund)も含まれており今後、化石燃料との関わりを可能な限り減らし、また環境に最も有害なエネルギー源とされる石炭灰と油砂(オイルサンド)へのすべての投資を止めると発表した。



 ロックフェラー兄弟財団は、ジョン・D・ロックフェラー(John D. Rockefeller)の子孫たちによる財団。石油王ロックフェラーが創始したスタンダード・オイル(Standard Oil)の後身である世界最大級の石油大手、米エクソンモービル(ExxonMobil)は、気候変動に関する取り組みの敵となることが多い。

 化石燃料産業全体の規模に比べれば投資撤退の規模は小さいが、気候変動問題に取り組む人々からは歓迎の声が上がっている。南アフリカのデズモンド・ツツ(Desmond Tutu)元大主教は、この宣言を歓迎するビデオ・メッセージを発表し「私たちはこれ以上、化石燃料への依存を支えるわけにはいかない」と述べた。(c)AFP/Shaun TANDON

http://www.afpbb.com/articles/-/3026745

◆米ロッキード、10年以内に小型核融合炉実用化へ

2014年 10月 16日 ロイター

[ワシントン 15日 ロイター] - 米航空防衛機器大手ロッキード・マーチン(LMT.N: 株価, 企業情報, レポート)は15日、核融合エネルギー装置の開発において技術面の画期的進展(ブレークスルー)があり、10年以内にトラックに搭載可能な小型の核融合炉を実用化できると発表した。

開発チームを率いるトム・マクガイア氏は記者団に対して、これまでの作業を通じて出力が100メガワット(MW)で、現在存在するものより約10倍小さく大型トラックの後部に入れられるほどの核融合炉が製造できるめどが立ったと説明した。

ロッキードは、1年ほどで設計やテストなどを終えて5年以内に試作品を作り、10年で実用の核融合炉を生産できるはずだとの見通しを示した。

核融合エネルギーは科学者がずっと有望な分野とみなしてきたが、現在まで実用可能な動力システムは生み出されていない。

ロッキードによると、小型の核融合炉は、重水素(デュートリウム)と三重水素(トリチウム)の融合反応を利用したもので、同量の化石燃料の約1000万倍ものエネルギーを生み出せるため、石炭火力発電よりもずっとエネルギー効率が高まる。また将来的には別の物質を使って、放射性廃棄物を完全になくせる可能性もあるという。

マクガイア氏は、ロッキードが開発に関していくつかの特許を申請中であるとともに、学界や産業界、政府の研究者などを対象に今後の協力相手を探していることも明らかにした。

小型核融合炉は、この先米海軍艦艇が使える可能性があり、そうなれば他の燃料がいらなくなって補給面の課題が解消できる。米海軍では潜水艦や航空母艦が核動力式となっているが、搭載しているのは核分裂反応を利用した大型原子炉で、定期的な交換が必要だ。

http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPKCN0I509K20141016



出力が100メガワット(MW)で、現在存在するものより約10倍小さく大型トラックの後部に入れられるほどの核融合炉が製造できるめどが立ったと説明した。

ロッキードは、1年ほどで設計やテストなどを終えて5年以内に試作品を作り、10年で実用の核融合炉を生産できるはずだとの見通しを示した。

世界最大の石油財閥であるロックフェラー家(Rockefellers)が22日、化石燃料に対する投資を止めると発表

その理由がこれだったんですな。

◆カーギル=ロックフェラー

大方の人が忘れているだろうが、オバマが大統領としてデビューしたときの国内向け演説に「グリーン・ニューディール政策」というのがあった。ご存じのように、彼の最大のスポンサーはモンサント社である。オバマが大統領となり、現在では食料、種子、水だけでなく傭兵会社を抱えるなど軍需産業として大きく成長している。
では「グリーン・ニューディール政策(緑の革命)」というものがどういうものであったのか振り返ってみたい。

(以下オルタナティブ通信から引用)

引用開始***日本のジャイカ等、国連機関による経済支援が貧しい国をさらに貧しくし、国連が1000人で済む餓死者を10万人に増加させてきた。ロックフェラーの経営する世界最大の穀物商社カーギルと提携した化学企業モンサント社が、国連と協力し推進してきた「緑の革命」が餓死の原因である。

 「国連と一体化」して、カーギル=ロックフェラーは食糧を増産するという名目で、世界中の貧しい国々に単位面積あたりの収穫量が増加するという大豆の種子等と、農薬、化学肥料をセットにし大量に売り付けてきた。この種子は水を大量に必要とするため、井戸を掘る事業もセットにされていた。それ等の購入費用は貧しい国に借金として残った。日本の海外青年協力隊などが、井戸掘り、農薬の使い方の「指導」を世界中で行った。

 種子は単年度しか使えず、収穫された大豆を再び翌年植えても発芽しないように、カーギルは遺伝子組換えを行っていた。毎年貧しい国は、カーギル=モンサントにお金を支払って種子を買わなくてはならなくなった。農薬、化学肥料とセットにしてである。カーギルの金儲けのための遺伝子組換えであった。貧しい国の借金は増える一方になった。

 しかし、食糧が増産出来たのはわずかに数年であった。井戸から汲み上げた水には塩分が含まれ、化学肥料の残留と一体化して数年で畑は塩まみれ、残留肥料、農薬まみれになり、耕作出来ない状態になった。農民は農薬によるガンでバタバタ倒れて行った。カーギルの売った農薬DDT等は、人体に危険な発ガン物質が含まれるため、先進国では販売を禁止され、在庫としてカーギルの倉庫に売れ残っていた「毒」であった。

 貧しい国の今までわずかでも食糧を生み出していた畑は、塩害等で砂漠に変わって行った。貧しい国には餓死者が大量に発生した。貧しい国には、農薬、化学肥料、種子、井戸掘りの費用が莫大な借金として残った。借金だらけの政府は、ガンに犯された農民への医療と食糧補助を打ち切った。死者はさらに増加した。

 これが「国連による経済支援」の実態である。「国連の仮面」の下にカーギルが居た。カーギルとモンサントだけが、数千万人の農民の死と引き替えに莫大な利益を上げた。農薬、化学肥料の使用法の指導、井戸掘り支援を「善意」で行った日本の海外青年協力隊、ジャイカの若者達は、その無知と国連への「盲信」のために「貧しい国に哀れみをかける殺人部隊」となった。貧しい国を助けたいという善意と情熱では、カーギルやモンサントには「歯が立たない」。

 これが悪名高い「緑の革命」である。

 農薬、化学肥料を大量に使う農業は、その肥料が比較的「安全」な物であっても土壌を悪化させ、10数年で土壌の悪化とその回復のために耕作を止めなくてはならなくなる。現在、米国でもこうして土壌悪化した休耕地を持つ農民への生活支援のために、莫大な補助金を政府が投入する結果になっている。

 カーギルの副社長であったドウェイン・アンドリース等が、カーギル退社後、ドレフュス=ADM(アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド)社の最高経営責任者に就任する等、長年カナダで活動するADMとカーギルは一体化して来た。ソ連=ロシア領土であったウクライナ等から、エネルギー、食糧等を密輸して来たウクライナ・マフィア=ドレフュスは、ウィスキー帝国ブロンフマン一族と一体化しつつ、世界最大の穀物商社カーギルとも一体化して来た(この点は、拙稿「今後100年世界を支配する者」、また「ゴルバチョフ1~5」を参照下さい)。

 このカーギル=ADMが推進した「緑の革命」の化学肥料は、ウクライナ経由でカナダのアルバータ州に密輸されてくる、旧ソ連の天然ガスから作られていた。カーギルの子会社であるアルバータ州のカナディアン・エイティ・エイト・エナジー社は、エネルギー企業の名前を持つ化学肥料会社である。

 ここで生産される化学肥料は、海路で米国、貧しいメキシコ、ブラジル等、南米諸国、さらにはアフリカ、インド等に「販売」されて来た。この化学肥料を運ぶ船舶が「死を運ぶ」船である事は既述の通りであった。

 カーギルは、アルバータから輸送されてくる「ウクライナ産」化学肥料を輸出入する「専用港」をミネアポリスに建設した。カーギルの化学肥料のため「だけ」の専用港を莫大な費用をかけて建設する程、膨大な量の化学肥料が製造販売され、莫大な利益を上げた事をこれは示している。

 旧ソ連との密輸こそ、カーギル=ADMの「生命線」であった事をこれは示している。この「生命線」は、カーギル=ADMに何をもたらしたのか。

 カーギルはカナダ最大の牧草生産会社=食肉業者に成長し、同時に、単独で世界の穀物流通の50%以上を独占する巨大企業に成長した。そこにADMが加わると、このカナダのウクライナ・マフィアは世界の穀物流通の7割以上を「単独」で独占すると言う、「世界の支配者」に成長した。その支配力の源泉が、種子、農薬、化学肥料の販売独占である。人間の命の源である食糧を、地球上で単独で7割以上を独占する等、もはや「世界帝国の独裁者」としか呼び様が無い。化学肥料も農薬も石油化学製品であり、世界の石油王ロックフェラーにのみ可能であった帝国建設と言える。

 なお、農薬はカナダのウィスキー帝国ブロンフマンの経営する、化学企業デュポン社が提供している。

1998年8月9日、インド全土で大規模なデモ行進が行われた。スローガンは「カーギル=モンサント社はインドから出て行け」であった。ハイテク産業の興隆で注目を浴びるインドは、実は世界の栄養失調児童の過半数がインドに居るという食糧不足、社会的不平等が常態化している国でもある。

 ベンガル地方で食糧不足が起こっている際に、大規模農場経営者であったロックフェラーのカーギル=モンサント社がベンガルから8万トンもの穀物を海外に輸送していたため、インドの市民達が激怒し全国的なデモが起こった。これは日頃から大規模農場経営者と結び付き、雇われ農民を極めて安い賃金で働かせ続けてきたカーギル=モンサント社への、インド市民の怒りが爆発したものでもあった。

 なおインドその他では、モンサントが遺伝子組換えを行い「害虫ワタノミ虫に耐性を持つ」とされた綿花の種子を高価な費用で購入し栽培した農場主、農民達が、モンサント=カーギルを裁判所に告訴している。害虫ワタノミ虫の被害に合わないとモンサントが宣伝した「遺伝子組換え綿花種子」が、ワタノミ虫で全滅し莫大な被害が出たためである。これはロックフェラーのモンサントによる農民に対するサギ行為であり、このように「遺伝子組換え種子」に関し金儲けのために嘘を付くモンサント=カーギルが、「遺伝子組換え食品は安全です」と言っても市民は絶対に信用しないであろう。***引用終わり

もうお分かりだろうが、 モンサント=カーギル=ロックフェラー が本当の姿である。

◆ロックフェラーによって導かれる日本の政治家・財界人の政略結婚によるネットワーク作り

(以下オルタナティブ通信から引用)

ソニーの創業者・盛田昭夫がロックフェラーの世界戦略(世界帝国建設の戦略)を組むロックフェラー委員会のメンバーであった事は良く知られている。またロックフェラー一族は、ロスチャイルドが米国を支配下に置くために、資金を提供オて作らせた財団・企業組織であり、ロスチャイルドの子分としてのロックフェラーに提供される資金の窓口となったのがモルガン銀行である。ロスチャイルドの米国での番頭がモルガン、その子分がロックフェラーであったことになる。ソニーの盛田は、このモルガン銀行の重役でもあった。

日本におけるロックフェラーの人脈・金脈を明らかにするためにはソニーの人脈・金脈を明らかにする必要がある。

ソニー会長であった盛田昭夫の姉妹・菊子は、ソニーの社長であった岩間和夫と結婚し、その娘・裕子は三井銀行の情報開発部門の顧問・城戸崎武の息子・博孝と結婚する。創業以来、ロスチャイルド系銀行として天皇に仕え、天皇のブレーンであった三井銀行のコンピューター・ネットワーク構築に、ソニーはここで関わることになる。そしてロスチャイルド系三井銀行がソニーの資金源ともなる。

ロックフェラー、ロスチャイルドは、なかなか表に出てこない。余り目立つと「世界支配を完成する前に、皆に憎まれ、邪魔が入る」ためである。日本では三井銀行等を窓口に、天皇のブレーンである三井を使い「ロスチャイルドが天皇に命令を下して来た」。

天皇が、ロックフェラーの世界支配の下に日本が入る事を阻止するための「拠点」になる、などという発想は児戯に属する妄想である。天皇こそ、日本をロックフェラーの支配下に置くための、ロックフェラーの「先兵」であり、ロックフェラーが日本を支配するための「暴力装置・抑圧装置」が天皇である。

三井の城戸崎博孝の姉妹・孝代は森永製菓の取締役で森永経営一族の森永剛太と結婚する。剛太の姉妹・恵美子の娘・昭恵が、前首相の安倍晋三の妻である。森永を通じ、ロスチャイルドは、ここで日本の首相に「資金を流し込む」。このロックフェラー・ロスチャイルド人脈・金脈の「政界工作資金」に対し、脅迫を加えた暴力団=ある意味での日本の愛国者の行動が「グリコ・森永事件」である。

安倍晋三の妻・昭恵の母・恵美子の姉妹・初恵(つまり安倍晋三の義理の叔母)の夫が、山崎誠三であり、山種商事の会長である。この山種グループの中核・山種証券が父子共に首相になった福田首相の最大資金源である。

政治家・財界人の政略結婚による「ネットワーク作り」は、ロックフェラーが日本の企業と政治家に、その活動資金となる電流を流し込むための「配線工事」である。ロックフェラー資金がソニーと三井銀行を経由し、森永製菓に入り込み、そこから政治献金の形で安倍首相へ、さらに山種証券という傍流証券会社をトンネルとして福田首相の政治資金へと流れ込んで行く。

右派で強硬派の安倍政権から、リベラルで意見調整型の福田政権への移行が、安倍=福田一族の「狭い人脈」の中での、政治権力の「たらい回し」でしか無い事が分かる。それは、ロックフェラーの「子分達」が日本で形成した人脈の「ごくごく一部」でしかない。***引用終わり

少し古いですが、参考までに
◆ロックフェラー三世とキリスト教人脈
日本政財界地図

 盛田昭夫は愛知県小鈴谷村の300年も続く造り酒屋の名家盛田家の15代目当主であり、その夫人盛田良子も大手書店「三省堂書店」を経営する亀井豊治の四女であった。夫婦共にエスタブリッシュメントの血を引くものの、当時世界を代表する財閥であったロックフェラー家やモルガン家とは明らかに格の違いがある。それにもかかわらず彼らのサークルに招かれた理由を探って行きながら、日本の現代史におけるキリスト教人脈を明らかにしたい。

 このキリスト教人脈を説き明かす鍵も「盛田・ロックフェラー対談」にあった。読売新聞は1991年12月3日付の「盛田・ロックフェラー対談」を一冊の本にまとめた「21世紀に向けて」を92年12月に出版している。この中でロックフェラー家と盛田家の出会いを「妻と私は、あなたのご家族とはちょっと変わったつながりを持っておりまして、妻は(ジョン三世夫人の)ブランチェット・ロックフェラーさんとは非常に親しくさせていただいています。」と発言している。実際デビッド・ロックフェラーの日本初訪問は62年であり、それまではデビッドの実兄であるジョン・D・ロックフェラー三世とその妻ブランチェット・フェリー・フッカー・ロックフェラーが日本と米国とのパイプ役を務めていた。

 このジョン・D・ロックフェラー三世(1906-1978)に関わる日本人を丹念に調べていくと戦前・戦後のキリスト教人脈がはっきりと浮かび上がる。彼らは英語力を武器に戦後日本企業史に名を残すソニーの原点はおろか、そのネットワークが保守本流、財界、そして天皇家まで及んでいることがわかる。

■「第二世代キリスト教人脈」と吉田茂

 ここで簡単に整理してみたい。昭和後期から現在に至る山本正、緒方貞子、小林陽太郎らの国際派カトリック人脈を中心とするキリスト教人脈を「第三世代キリスト教人脈」と位置付けることにしよう。第三世代はデビッド・ロックフェラー主導のもとで1972年の設立準備会を経て翌73年に設立されたトライラテラル・コミッションの現在の中核を担うメンバーである。そしてこのトライラテラル・コミッションのメンバーの多くが世界的なビッグ・リンカーとなっており、小林に代表される世界規模の日本人ビッグ・リンカーを生み出した。

 「第二世代キリスト教人脈」を戦後の昭和期に活躍した人物と位置付け、前回取り上げた石坂泰三(元東京芝浦電機会長)、そして戦後を支えた名宰相の誉れ高い吉田茂(1878-1967)もここに含まれることになる。

 「陰の総理」と言われたと石坂はすでに触れたとおり、石坂本人もキリスト教への関心が深く、戦死した次男泰介はカトリック信者だった。泰介との天国での再会を願った石坂の妻雪子もカトリックを信じ、「マリア」の洗礼名を授かっていた。「雪子のところへ行きたい」と本音を語った石坂の晩年にはカトリックの洗礼名「ペドロ」が用意されていた。

 吉田茂の妻は大久保利通の二男で文相、外相などを歴任した牧野伸顕の長女雪子である。従って石坂の妻と同じ名前であった。石坂同様、雪子の影響でカトリックに興味を持った吉田も最後の病床でカトリックに帰依して、自分を「天国泥棒」だというジョークを吐いてこの世を去っている。吉田の葬儀は故人の信仰に従ったカトリック教会(文京区関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂)での葬儀と東京・日本武道館で行われた戦後初の国葬とに分けられた。この吉田のカトリックへの改宗はその子供達によって政界と天皇家に拡がりながら、第三世代へと引き継がれることになる。

 吉田の三女和子は麻生セメント社長や自民党代議士を務めた麻生太賀吉と結婚している。その長男が現在の財務大臣、麻生太郎である。つまり麻生太郎は吉田茂の孫にあたる。拙著「最新・アメリカの政治地図」(講談社新書)でも書いたとおり、麻生太郎もカトリックである。
96年3月15日に和子は亡くなっているが、ミサ・告別式は父吉田茂と同じ東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた。
麻生太郎の妹である信子(三女)は三笠宮寛仁親王殿下と結婚されており、三笠宮寛仁親王妃殿下(信子さま)もカトリックではないかと思われる。

 この麻生太郎は米国の昨今のイラク戦争におけるキリスト教右派やネオコンまではいかないまでも、理想主義からくる暴走傾向が見られる。これもキリスト教人脈の特徴として認識しておく必要があるだろう。

 吉田茂や石坂泰三の周辺で第三世代の山本正と同じようにフィクサー的な存在として日米における民間レベルのパイプ役を担った人物がいる。山本正の先輩格にあたるこの松本重治(1899-1989)について詳しく見ていきたい。

■松本重治の橋渡し人生

 松本重治は太平洋戦争を阻止できなかった反省から、「宿屋(国際文化会館)のオヤジ」を自認し、民間レベルでの日米の懸け橋となってきた。「国際日本の将来を考えて」(朝日新聞社)では松本を「明治の気質」と「平和憲法の精神」とを兼ね備えた無形文化財と評し、松本を形作るイメージとして、進取の気性、不屈の闘志、教育重視、博愛主義、愛国心、人生意気に感ずる男気、民主主義、自由主義、平和主義、性善説、国際協調、文化国家などをあげている。実際には「現実をふまえて物言うキリスト教的理想主義者」あるいは、「戦後リベラリスト本流」などが似合っているかもしれない。

 松本重治は1899年に松本松蔵の長男として大阪に生まれる。
明治時代に銀行、現在の南海電鉄などを興した関西財界の松本重太郎の孫にあたる。妻花子は明治の元勲、松方正義公の孫で、松方コレクションで有名な松方幸次郎の娘である。松本はエドウィン・ライシャワー元駐日大使とも家族ぐるみでつきあっていたが、ライシャワーの妻松方ハルは松本のいとこにあたる。

 松本は東京帝大法学部卒業後、米エール大学をはじめとする欧米の大学に留学し、帰国後は東大の高木八尺教授(米国憲法)の助手に就任する。1925年に太平洋会議などの国際会議の裏方を務めたあと、32年に同盟通信社の前身である新聞連合社の上海支局長となり、中国人要人、「中国の赤い星」の著者エドガー・スノーらと交遊を深めた。この時には日本軍に父張作霖を爆殺された張学良が蒋介石を監禁し、国共合作の契機となった西安事件を36年にスクープしている。39年に帰国し、終戦まで同盟通信社編集局長や同社常務理事を務め、戦後は公職追放処分となった。

 その後、松本は「宿屋(文化会館)のオヤジ」の拠点となる財団法人「国際文化会館」を設立し、ソ連封じ込めのジョージ・ケナン、インドのネール元首相、歴史学者アーノルド・トインビー、キッシンジャー元米国務長官らを招き、文化交流に努めた。 

 この松本が亡くなったのは1989年1月10日である。その二日後の1月12日、東京都世田谷区にある日本聖公会の東京聖三一教会で松本の密葬が行われている。東京聖三一教会が属する聖公会はローマ・カトリックとプロテスタントの中間に位置し、両者の橋渡しの教会(ブリッジ・チャーチ)と呼ばれている。聖公会は松本の人生そのものを映し出していた。

■アメリカン・アセンブリーでの命がけのスピーチ

 松本の密葬に集まった約350名の中には中山泰平(日本興業銀行特別顧問、以下当時)、柏木雄介(東京銀行会長)や池田芳蔵(NHK会長)などとともに、わざわざ米国から駆けつけたジョン・D・ロックフェラー四世(ジェイ・ロックフェラー)の姿もあった。

 現在、ジェイはウエストバージニア州選出の大物上院議員(民主党)として、イラク戦争の大義、そしてイラク人虐待問題をめぐってブッシュ政権を激しく追求している。ジェイは知日派として知られており、ハーバード大学卒業後の57年から60年の3年間を東京三鷹にある国際基督教大学に留学している。また、強い要請によってトヨタのウエストバージニア工場(TMMWV)の誘致を実現させたことでも知られている。

 ジェイの国際基督教大学の留学に際し、保証人になったのが松本であった。そして、ジェイの父、ジョン・D・ロックフェラー三世と松本重治とは誰もが認める親友同士であった。

 ここで現在につながる松本のエピソードを紹介しておきたい。松本は当初からベトナム戦争に反対し、米国外交最大の失敗と語っている。そして、外務省の参与でありながらも周囲の反対を押し切り、「中央公論」や「ニューヨーク・タイムズ」に米国批判の記事も掲載している。一部から反米家とのレッテルを貼られながらも、米国を愛すればこそ勇気を持って発言したのである。

 松本は当時のことを振り返って、健康上の問題と国際文化会館がつぶされる心配から、まさに命がけだったと告白している。そして北爆が始まった1965年に命をかけて米国に乗り込み、スタンフォード、バークレー、ハーバード、プリンストンなどの大学を回って、米国批判の講演を行った。中でも1965年10月にアーデン・ハウスで開かれた第二十八回アメリカン・アセンブリーに招かれて講演したことは日米関係史に残る出来事だったかもしれない。この時の概括的テーマは「日米関係」であった。

 アメリカン・アセンブリーはコロンビア大学の付属独立機関として1950年に後に大統領となるアイゼンハワーらによって設立されている。会合場所となるアーデン・ハウスはニューヨーク市北方の広大な丘陵地の山の上にあり、もともとは鉄道王W・アヴレル・ハリマンの別荘であった。ハリマンはこの別荘をコロンビア大学に寄付し、現在は80人程度が宿泊できるように増築されている。会議は年に一度もしくは二度開催され、米国の公共問題について大物知識人が数日間缶詰となりながら討論を行い、時には米大統領への提言としてまとめられる。最近では対中国政策などが盛んに話し合われているが、現在のアメリカン・アセンブリーの理事長はリチャード・W・フィッシャーが務め、理事会にはポール・ボルカーの名前もある。リチャード・W・フィッシャーはキッシンジャー元国務長官とクリントン時代の大統領首席補佐官を務めたマック・マクラーティが1999年に共同設立したキッシンジャー・マクラーティ・アソシエイツの副会長であり、トライラテラル・コミッションのメンバーでもある。

 このアメリカン・アセンブリーに乗り込んだ松本は国務省高官、言論界の代表、大物財界人を前に「日米関係が過去数ヶ月の間のような緊張状態にあるのは戦後初めてのことだ」と指摘し、次のような直言を行っている。

一、戦後の日本国民のなかには、アメリカ人の想像する以上に、反戦感情が根強く心の底にしみこんでいる。なぜ半数以上の日本人がベトナム戦争に批判的かを知るには、この戦争反対の感情を理解する必要がある。(中略)もしアメリカ政府が、日本の保守党政府が世論を無視して望むがままのことをなし得ると考えるなら、それは重大な誤りである。ベトナム戦争がこのような状態で長引けば、日米関係は深刻な危機に直面するだろう。

一、ベトナム戦争は、結局中国問題の一部である。アメリカと中国との間にある日本は対中関係の好転を・・・それをむずかしいものと知りながら、期待せざるを得ない。日本はアメリカとの友好を望むとともに、隣国である中国との正常な関わりを望んでいる。

一、私は自由主義者であり、日本の共産化には強く反対するものであるが、日本の民主主義国家としての発展、アメリカとの友好関係の永続のため、アメリカと中国との激突を恐れる。私はアメリカ国民が中国問題について反省し、考え直されることを切望する。ベトナム戦争のために日米の友好が失われてはならない。
(以上、「国際日本の将来を考えて」P72、73より)

 ベトナム戦争をイラク戦争に置き換えれば松本の想いは現在に蘇ることになる。

 アメリカン・アセンブリーの影響力については、この時にキー・スピーチを行った人物からも理解できる。初日のスピーカーは後にシティー・バンクの会長となるウォルター・リストン、最終日三日目はCIAから当時国務省極東担当次官補(ジョンソン政権)となっていたウィリアム・バンディである。ウィリアム・バンディはケネディ、ジョンソン両元大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めたマクジョージ・バンディの実兄であり、後にフォーリン・アフェアーズ誌の編集長になっている。そして松本のスピーチは二日目に行われた。

 なおこの第二十八回アメリカン・アセンブリーで日米関係が初めて取り上げられたことが、二年後の下田会議開催のきっかけをつくったのである。下田会議はアメリカン・アセンブリーのフォローアップという位置付けだった。下田会議が山本正の率いる日本国際交流センターとアメリカン・アセンブリーの共催となっていたのもこのためである。

 従って、山本正は松本なくして存在しなかったといっても過言ではないだろう。松本は命をかけて米国に向かった。はたして山本正はイラク戦争に関して行動を起こしたのだろうか。

 アメリカン・アセンブリーに挑む松本に対して保守派として知られたロックフェラー三世(アメリカン・アセンブリーには風邪のために欠席できなかった)は「君の考えはだいたいつねづね承知している。君の考えどおりに素直にやってください。日米関係のためになると信じているからね」と激励している。

 はたして現在の日本政府関係者や「第三世代キリスト教人脈」、そして「小泉純一郎首相を囲む会」の中に米国の有力者との深い友情に支えられて、時には批判であっても発言が許される人物はいるのだろうか。

 軽々しい親米・反米論争や親中・反中論争が飛び交う今、我々は先人達の生き様を学ぶ必要があるのではないだろうか。

http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160704.htm

◆TPPで家庭菜園やるとタイホされちゃうようになる!?
(米国食品安全近代化法)
http://ameblo.jp/ruroibrown/entry-11493879449.html より

アメリカ に、食品安全近代化法というとんでもない法律がある。

この法律では、
・野菜直売所は禁止
・種苗は政府が認めた種苗だけ、公認の機関からしか買うことができない。
自分で育てた種や苗を使うと違法。
・家庭菜園も禁止

以上に違反すると、犯罪者として逮捕・監禁される。というもの。
「国民の健康を守るため、食品の安全を確実なものとするための法律である」
と、1%のご主人様たちが支配する米国政府が、議会と自国民に説明したそうだ。
この法律をTPPで、日本にも適用することを狙ってる。

◆インターネットから見るアメリカの現状
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/13594e342f6fe65234910a415ca6f90d

◆グローバル企業が支配する米国
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/b346cbdb62f5f81e6415e1089585c835

◆遺伝子組み替え作物や種子は既に日本で流通
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/9ba8a91a148e91c006620c00dd5cf10f
     ★ゲイツ、ロックフェラーの人口削減計画と北極の種子バンク
     http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1050.html

◆グローバル企業の世界戦略
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/e875a04d214f256393aafa06d384d6c4

◆ジョン・ロックフェラー4世

1937年6月18日生まれ
1985年以来ウェストバージニア州選出の上院議員

石油王ジョン・ロックフェラーの曾孫であり、ネルソン・ロックフェラー元副大統領は叔父。

1967年に上院議員チャールズ・パーシーの娘シャロン・パーシーと結婚した。
夫妻は四人の子供がいる。ジョン、ヴァレリ、チャールズおよびジャスティン。

1954年にフィリップス・エクセター・アカデミーを卒業
ハーバード大学で東洋の歴史および言語を学び1961年に卒業、
東京の国際基督教大学で日本語を三年間学んだ。

大学卒業後、ロックフェラーはワシントンD.C.で平和部隊に働き、最大の海外事業であるフィリピンでの計画の監督を務めた。

ロックフェラー一家はウェストバージニア州チャールストンに在住である。
2013年に旭日大綬章を受章した。

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ロックフェラー家

ロックフェラー家(Rockefeller family)は、ドイツ南部のプロテスタントの一派バプテスト(浸礼派)として起源を持ったアメリカ合衆国の名門一族。
祖先はフランスの出であり、本来の家名はロクフイユ(Roquefeuille)であったが、ドイツへの移住とともにロッゲンフェルダー(Roggenfelder)となり、アメリカに移住してからロックフェラーと名乗り始めた。

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世界最大の石油トラストとして君臨したスタンダード・オイル創始者のジョン・D・ロックフェラーと弟でナショナル・シティー銀行ニューヨーク(現在のシティグループ)創業者の一人であるウィリアム・ロックフェラーによって発展した一族。

世界的な財閥で、石油業や軍事産業、金融業など様々な企業を傘下に収める。その中の代表的企業には、ジョンの孫のデイヴィッド・ロックフェラーが頭取を務めたチェース・マンハッタン銀行(現在のJPモルガン・チェース)がある。

モルガン財閥、メロン財閥と並ぶ米国三大財閥の一角。英国の世界的な財閥であるロスチャイルド家としばしば比較され、2012年5月30日のRITキャピタルパートナーズでの歴史的な資本提携は話題を呼んだ。

更には、ジェラルド・R・フォード大統領の下、副大統領に就任したネルソン・ロックフェラーやアーカンソー州知事を務めたウィンスロップ・ロックフェラー、現職のアメリカ上院議員のジェイ・ロックフェラーの3名の政治家も輩出した。

また、ジョン・D・ロックフェラー2世が自らの資金で建設したロックフェラー・センターや初代が慈善事業の一環で始めたロックフェラー財団やロックフェラー大学など、その名を冠した建造物や組織もある。

・ジョン・ロックフェラー - アメリカ合衆国の石油王。
ジョン・ロックフェラー2世 - アメリカ合衆国の慈善家。ジョン・ロックフェラーの息子。
・ウィリアム・ロックフェラー - ナショナル・シティー銀行ニューヨーク(現在のシティグループ)創業者の一人
・ネルソン・ロックフェラー - 第41代アメリカ合衆国副大統領。ジョン・ロックフェラー2世の息子。
・ジョン・ロックフェラー4世 - アメリカ合衆国上院議員。ネルソン・ロックフェラーの甥。
・デイヴィッド・ロックフェラー - アメリカ合衆国の銀行家、慈善家。ジョン・ロックフェラー2世の息子でネルソン・ロックフェラーの実弟。ロックフェラー家の現在の当主。
・マイケル・ロックフェラー - ネルソン・ロックフェラーの息子で民族学者。1961年にニューギニア西部で行方不明になり、首狩り族に殺されたと一部では信じられている。
(wikipedia)

◆デビッドロックフェラーの息子、飛行機事故死

2014年6月13日(金) DAILY NEWS

デービッド・ロックフェラー氏の99歳の誕生日を祝い、米北東部メイン州の自宅に帰る途上だった。

【ニューヨーク=広瀬英治】石油事業で大財閥を築いたジョン・D・ロックフェラーのひ孫で
医師のリチャード・ロックフェラー氏(65)の操縦する自家用飛行機が13日、ニューヨーク市郊外で離陸直後に墜落し、同氏が死亡した。
 同乗者はいなかった。飛行場周辺は当時、霧が出ていた。
ロックフェラー家の広報担当者によると、リチャード氏は豊富な飛行経験があったという。
 リチャード氏は前日に父親で元銀行家のデービッド・ロックフェラー氏の99歳の誕生日を祝い、米北東部メイン州の自宅に帰る途上だった。

http://www.nydailynews.com/news/national/single-engine-plane-crashes-suny-purchase-campus-westchester-report-article-1.1828480

◆国連ビルはロックフェラーが提供

1946年12月ジョン・ロックフェラー2世が土地購入費用850万ドル提供し、人口密度の高いマンハッタンに決まった。

しかしフランス・イギリス・オランダは当初国連本部をアメリカに置くことに反対していた。ニューヨークが選ばれたのも、各国国連代表部の暗号公電・訓電をアメリカが盗聴するのに都合がよかったからだと云われている。

また主要ポストはロスチャイルド財閥の人脈(血縁者)とロックフェラー財閥関係者で占められた。
いまでも国連の主要ポストは両財閥の関係者で占められている。

 



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