「アイウエオ」の基礎を築いた・・・明覚
山代温泉の開湯は今から約1300年前に白山登山の帰りに烏の導きで温泉を発見されたとされています。 その後寺は廃れますが、 平安時代後期、明覚によって七堂伽藍が建てられ、初代薬王院温泉寺住職に就任したといわれています。 この明覚が五十音図の基礎を築いたといわれています。 彼は「インドの梵字、サンスクリット文字」=悉曇学の研究者だったのです。 すごい方が山代温泉にいたんです。 4日から実施されております「山代温泉菖蒲湯まつり」で この紙芝居が披露されます。 山代の歴史がしっかりと理解できます。 「伝承紙芝居」鑑賞会は・・・ 6月5日(火)10:30~と14:30の2回公演です 於 薬王院温泉寺「本堂」(無料)
(第1回目の披露会風景)
霊峰・白山に向けて修行の途上にあった僧行基が発見されたといわれている山代温泉では、古来より菖蒲(匂い菖蒲)で邪気を払う菖蒲湯まつりが4日と5日に執り行われてきました。 今日一日、山代温泉では総湯や古総湯で「菖蒲湯」に入り事ができます。(総湯の方は昨晩の入湯式後に入ることが出来、一番風呂を競って入ります。) 菖蒲は中国、韓国の行事でも使用されてるそうです。 その昔より、雨季(梅雨)の伝染病や害虫の虫除け・消毒の意味あると言われてきました。 菖蒲湯まつりは、鎌倉時代に武士の世となり、菖蒲は「尚武・勝負」に通じる、ということで武家に、今にみる端午の節句が登場してきたと聞きます。 従来は5月5日(こどもの日)が多いのですが、旧暦又は月遅れで行う地域もあるとされます。 山代温泉は旧暦で行われてきました。(昨日行われた祭り風景の一コマをご覧になってください。) 今日は菖蒲の湯に浸かって下さい。
(軒先に飾られた菖蒲) (本番前の護摩焚きの祈願祭会場)
(ここに火入れがされます) (出番を待つ紅白半被を着た若者)
(火が入りました! 会場は白い煙で覆われ、やがて炎が上がります)
(この薬王院温泉寺の山門を菖蒲俵でつくられたこの御輿がくぐります。)
(街なかを担ぎ、引き擦りねった御輿が「湯の曲輪」に戻り、フィナーレを迎えます)
※ 菖蒲湯まつりで使用された菖蒲の湯に入ると一層効能が際立つ言われています。