ほっとやましろ情報局

石川県加賀市「山代温泉」のHOTな 旬な温泉地情報をお届けいたします。

アイウエオ~明覚上人と日本語

2017年06月17日 | 局長ブログ

薬王院温泉寺

山代温泉の中心街「湯の曲輪」(ゆのがわ)のすぐ近くに、霊峰山薬王院温泉寺というお寺があります。寺の由来は、いろいろと有る。

最初は行基菩薩が白山登錫の折りに霊烏の指授により、温泉を発見、温泉守護の為に、薬師如来、日光、月光両菩薩及び十二神将を彫刻して堂宇を建て、又白山大権現を勧請して鎮守としたのが、始まりとされる。白山五院の随一にて、末社、別院数百坊を有していたちおされます。

この後、廃院されるが、花山法皇の勅願により、随層明覚上人により七堂伽藍を建立し、勅願所として栄える。

この明覚さんが、今の薬王院温泉寺の歴代住職のルーツとされています。

この方が凄い人なんです。

梵字インドの音声に関する学問をどういうのかご存知でしょうか?

悉曇学(しったんがく)と言い、わが国の五十音図(アイウエオ)のルーツに関わるところのものなのです。(何やら、私の知識の範囲を超える話になって来ましたので、ここでこの話はうち止めるとしましょう。(*^-^*))

・・・という事で、今回、大東文化大学(文学部准教授中国文献学)の山口謠司先生にお話を聞く機会が到来 ♪  

先生の書籍「日本語の奇跡」(<アイウエオ>と<いろは>の発明)では、『明覚、加賀で五十音図を発明す』と書かれている。

今、判っている史実によると、五十音図の原型は1079年まで遡って、書き写された「金光明最勝王経音義」となっているそうです。五十音図ではないが、そのプロトタイプ的書籍は「孔雀経音義」(更に70年ほど前)(四十音図になっていて五十音図ではないそうです。)

明覚が作った五十音図は「五音(ごいん)」又は「五音図」と呼ばれ、江戸時代まで引用されたそうです。

仏教が伝来したルートと、五十音図の成り立ちは同じです。

インドで書かれたサンスクリット語、中国から伝来した学問、悉曇学(しったん)。と大きく関わっています。

その基礎を作った明覚が山代温泉でアイウエオの研究をしていたなんて、悠久のお話ではありませんか。