タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

花桃実桃(中島京子)

2024年06月26日 | 読みました!見ました!

中島京子さんの「花桃実桃」を読了しました。先日のこと、長岡市の中央図書館の映画会に行った時に、「自由にお持ち帰りください」って感じで「図書館の窓から」という広報誌が置いてあったのですが、その中で紹介されていたのがこの「花桃実桃」でした。作者は直木賞作家の中島京子さんです。

父親が遺したアパート「花桃館(はなももかん)」に入居しているのは、ひと癖ある住人ばかり。その花桃館を相続することになった花村茜は、大家としてそこで暮らすことになります。住人達と奇妙な毎日を過ごす中で、悩みながらも次第にやりがいを感じていく茜の姿に、清々しさを感じる1冊です。(「図書館の窓から」より)

主人公の花村茜は40過ぎ独身女性。個性あふれるアパート住人との日々を描くこの小説は、大きな事件が起きるわけではないけれど、 クスッと笑ったり、ドキッとしたり、ほんわかとしたりして読み終えました。昭和の香り漂うアパート「花桃館」の住人は、ウクレレをかき鳴らす青年や、韋駄天のように走る老女など、揃いも揃ってへんてこな人たちばかり。「ほんとうに味のある人だよ」と周りから評価される主人公の茜さんですが、彼女自身も昔は「袴みたいなスカート穿いて、眉剃ってた」という元ヤンキー。なかなか魅力的な女性だな…と思いました。

素っ頓狂な行動に出る茜さんに目を丸くしたり、くすくす笑ったりするうちに、気持ちが軽くなって、ボクらの人生の後半戦もけっこう面白かもしれないぞ、と思えてきました。そんな「穏やかな効き目」を感じられる作品です。映画化されたらきっと面白そうです。この役はこの役者さんが似合いそうだな…なんてことを楽しく想像しながら読みました。

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カレーライスを一から作る

2024年06月20日 | 読みました!見ました!

長岡市の中央図書館で開かれた映画会で、ドキュメンタリー映画「カレーライスを一から作る」を見てきました。

探検家・関野吉晴氏は、武蔵野美術大学で一風変わった課外ゼミ活動をしています。通称「関野ゼミ」。関野ゼミが2015年に始めたのが、「カレーライスを一から作ってみる」という試み。野菜や米、肉、スパイスなどの材料をすべて一から育てるというこの途方もない計画に、学生たちと取り組みました。この映画は、野菜の種植えからカレーライスが出来上がるまでの9か月間の記録です。

「カレーライスを一から作る」。関野氏の狙いは、「モノの原点がどうなっているかを探していくと社会が見えてくる。学生たちにはカレー作りを通して色々なことに“気づいて”もらいたい」ということです。

集まった学生たちは、知らないことや慣れないことばかりの現実に悪戦苦闘しながらも、野菜や米、家畜を一から育てていきます。思っていたよりも生育が遅い野菜を見て「化学肥料を使ってもいいのではないか」「いや、使うべきではない」と意見が分かれたり、一所懸命育てるうちに鶏に愛着がわいてしまい、「殺すのを止めよう」「いや最初から食べるために飼ったのだから屠るべきだ」と議論が巻き起こったり…。

これは「命を食べて生きる」という、人間にとってごく当たり前で、基本的な営みを見つめ直すドキュメンタリー映画です。

この映画、面白かったです。それはエンターテイメントとしての面白さとは違いますが、学生たちが悩みながら、でも意外なほどに淡々と決断をし実行していくドキュメンタリーとしての面白さに満ち、見ているボクも追体験しながらいろいろ考えさせられました。特に可愛がって育てた烏骨鶏の首を学生たちが捻るシーンには、息を呑みました。

こういう映画。大スクリーンではなく小さな講堂やコミュニティセンターで上映されるのが似合う映画も、なかなかいいですね。中央図書館の映画会に初めて参加してみたのですが、無料で映画を見れるのも気に入りました。これからも機会があったら参加したいと思います。

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からかい上手の高木さん

2024年06月05日 | 読みました!見ました!

永野芽郁と高橋文哉が主演の映画、「からかい上手の高木さん」を見てきました。

とある島の中学校。隣の席になった女の子・高木さんにいつもからかわれている男の子・西片は、どうにかしてからかい返そうとさまざまな策を練るも、彼女に見破られて失敗ばかりしていた。そんな2人の関係はずっと続くと思っていたが、高木さんがある理由から引っ越すことになり、心に秘めた互いへの思いを伝えることなく2人は離ればなれになってしまう。それから10年が過ぎたある日、母校で体育教師として奮闘する西片の前に、高木さんが教育実習生として現れる。

とまぁ、こんな感じで映画はスタートします。

からかわれ、からかい続けた男女の恋愛スケッチ。まぁ最初は「ちょっと青臭い青春映画だな」って印象は否めなかったけど、見ているうちにどんどん映画に引き込まれ、感情移入して夢中になってしまいました。主人公が教師で舞台が中学校なので、不登校生徒の描写などもあるのですが、深掘りされることもなく、純粋に主人公2人の恋愛模様を楽しめる作品です。高橋文哉、永野芽郁の二人が爽やかに演じていて好感度が高いです。なんか、心が洗われた感じ。ツッコミどころはたくさんあるんですけどね。

「きっと若い子たちばっかりなんだろうな?どうしよう?」「映画館は暗いから大丈夫、バレないよ」なんて言いながら、還暦を超えた夫婦で見に行ったわけですが、館内には意外に年長者も多くいて(若い子やカップルの方がもちろん多かったけど)、違和感はなかったです。久しぶりの映画を楽しむことができました。

まぁこういう映画もたまにはいいですね。永野芽郁、なかなか魅力的な女優さんです。

ところで、映画館のポスターと予告映像で、もうすぐ注目の映画が封切りされることを知りました。

ドキュメンタリー映画「長岡大花火 打ち上げ、開始でございます」 こりゃぁ見なきゃ!

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見えない星に耳を澄ませて

2024年05月27日 | 読みました!見ました!

香月夕花さんの「見えない星に耳を澄ませて」(角川書店)を読了しました。

音大のピアノ科に通う曽我真尋は、たまたま参加した大学の授業で人の心を薬のように癒す音楽もあることを知り、三上先生の診療所で音楽療法士の実習を受けることにした。大人の声に耳を閉ざす少女、キラキラと飾った虚構の自分しか愛せないパーソナルスタイリスト、探し求めた愛情を見付けられず無気力に生きる中年男性……様々なクライエントと音を通じて向き合ううちに、真尋自身も自分が抱えた秘密と向き合うことになる。 私たちはこんなにも弱くて、脆い。それでも生きることから、逃げられない。美しい旋律と共に、生き抜く強さを与えてくれる。(Google booksより)

まぁこんな感じの内容です。音楽療法士というボクにとっては未知の職業への追体験を通じて、こちらがセラピーを受けている気分になりました。作者の書く文章がとても繊細かつ綺麗で、音の表現とか自然の表現とか、情景が想像しやすく本を読んでいるのに映画を見ているような感じを受けました。この小説、映像化されるかもね。「蜜蜂と遠雷」みたいに。

ただね。主人公の真尋に対する母親や祖母の言動に、「(やや病的な)生き方の違和感」を抱き続けて読み進めていたところに、最後の方で真尋自身の精神的な部分が明らかになり、「さぁこれからどうなるの?」ってところで小説は終わってしまいました。そこがちょっと残念だったかな(そこがいいのかも)。音楽療法を受ける数人のクライアントの人生がその後どうなっていくのか?(彼らがどう変化するのか?)というのも、気になるところです。

このところ夜すぐに眠くなって読書の時間がなかなかとれなかったので、図書館の貸出期間2週間ぎりぎりでようやく読み終わりました。次の本ももう来ているんだよなぁ…。まぁ読み終えなかったらそのまま返却するだけなので、気は楽なんですけどね。

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なんかいやな感じ

2024年05月14日 | 読みました!見ました!

武田砂鉄さんのエッセイ「なんかいやな感じ(講談社)」を読了しました。エッセイながら、なかなか読み応えのある本でしたね。内容は少し難しかったけど面白かったです。

筆者の武田砂鉄さんは、1982年生まれ。「物心ついてから今まで、遠くて起きていたこと。近くで起きていたこと。その記憶を重ねて、『社会』を語るためにも、まずは「感じ」を考えてみようと思った。」というコンセプトで、この本を書かれたそうです。「ずっとそこにあって、続いてきたもの。その漠然とした感覚を直視してみようと思った。」ってことなのですね。

「まえがき」に、「今回の本は、自分の体験や思索を振り返るようにして、この社会に染み込んでいる『いやな感じ』はどういう蓄積物なのかを見つめようとした記録である。同世代が読めば通じやすい話も出てくるが、特に世代論ではない。主題は史実や思い出ではなく『感じ』である。」と書かれていました。

昭和、平成、令和のそれぞれの時代時代に社会を覆っていた「なんかいやな感じ」を、武田少年が、武田青年が、大人に成長した武田砂鉄さんが感じた「なんかいやな感じ」の正体を探ったり、考察したり、時には手放そうとしたり。著者の試行錯誤の記録のような印象を受けました。

それぞれの時代の社会的なできごとや事件、そして政治家の言動に対して「いやな感じ」として感じたことを、振り返って分析する手法って面白いな…と思いました。ボクも本を読みながら、当時のことを思い出していました。残念ながら当時のボクは、武田さんのような鋭い感性を持ち合わせてはいませんでしたが、それでも共感できる部分は多々ありました。

まぁこういう本も、たまにはいいですね。最近のボクは、物事を真剣に考える機会が圧倒的に少なくなってきているので、刺激になりました。


それにしても、このブログの紹介がgooのトップページから消えたのに、依然としてアクセス数がもとに戻りません。

今日も「閲覧8493PVってどういうことよ?」って感じです。ここ4〜5日、本家の「週アル」よりもアクセス数が多い日々が続いているんですよ。まぁ一過性の現象で、またすぐに「閲覧数、たった100PVか?」なんていう日々に戻るのではないかと思っていますがね。まぁ「たまに『タケ・タケ・エヴリバディ』を覗いてみるか?」って方が増えたなら嬉しいんですけど。

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