「今日は晴れてよかったね」「明日、晴れないかな…」「あっ!晴れたよ!」など、ボクたちは「晴れる」という言葉を日常的に使います。ですがこの「晴れる」という言葉、少なくとも新潟県で生まれ育ったボクと、愛媛県で18歳まで過ごした妻との間には、間違いなく使い方のニュアンスに「差」があります。結婚して40年以上経った今でも、その違いに戸惑ったり笑い話にしたりしています。
雪国育ちのボクらにとって、「晴れる」というのは「雨や雪が降っていない状態」を言います。雨が上がったときには「(曇天でも)あっ晴れたね」と言いますし、遠足の前の日に「明日、晴れますように」と願う時に心のなかで思うのは、「雨が降らないでほしい」ということです。つまり「晴れる」という言葉には、天気の状態「曇り」も含まれているのが、ボクらの感覚です。おそらく新潟県人のほとんど(少なくとも長岡市民)は、そのように「晴れる」という言葉を使っていると思います。
しかし、うちの妻をはじめとする世の中の多く人たちは、「晴れる」という言葉を「空が晴れていて天気がよいこと」=「晴天」の意味で使います。「晴れる」と言ったら「曇り」は含まないのですよ。太陽が顔を出し、日光が降り注ぐ。この状態こそが「晴れる」なのです。標準語の「晴れる」とは、こういう意味の状態を言うのです。
ボクはこの事実を知った時にはビックリしましたね。新潟県を離れて東京で暮らした学生時代にも、「あれ?なんか変だな?」って感じたことは何度かあったんですよ。でも、本当にこのことに気づいたのは、妻と結婚してからでした。ボクが「今日は晴れてよかったね」と妻に言った時、返ってきた言葉は「何を言ってるの?曇ってるじゃない!」でした。「それを『晴れる』っていうんだろ?」「違うわ、これは『曇り』よ」。そんな夫婦の会話が、当時は真剣に、今でも笑い話のように行われています(今は互いに理解しながら面白がって言っています)。
これが、以前にもこのブログで紹介した「かがっぽい(長岡の方言)」とか「いびしい(四国の方言)」などの方言だったら、聞いても全然意味がわかりませんから「何それ?」ってことになるのでしょうけど、「晴れる」っていう言葉はそれだけで十分通用する言葉ですからね。まさか「その意味するニュアンスが違う」なんて、思いもよらないわけですよ。
この背景には、もちろん「雪国の天候」があるのだと思います。ボクたちは1年の中で12月から3月までの冬季4か月間を、雪とともに過ごします(最近はそうでもないけど)。「冬」と言ったら、標準語でいう「晴れの日」なんてほとんどないわけです。そこで新潟県民(長岡市民?)たちは「雪が降らない」状態(お日様が出ていなくても)を、「晴れる」と言うようになったのでしょうね。
言葉って面白いですね。同じ言葉なのに、それの意味する内容が地域によって微妙にニュアンスが異なるって例は、他にもあるかもしれません。
お早う御座います。
晴れるの意味 自分も昔 感じて居ました。
田舎にいる時は 雨や雪が降らなければ 晴れたと
認識していましたから、
今は 晴れはお日様が出た時だけです。
地域のよって言葉も変わりますね。(-_-;)
やっぱり新潟県で生まれ育つと、みんなそうですよね〜?
晴れると何んとはなく嬉しさが湧きます。
富士山が見れるときとそうでないときの差のようなものです。
お祭りが、ハレの舞台であるような晴(ハレ)もあります。
黛ジュンの「恋のハレルヤ」という歌もありました。コチラはどう解釈すべきでしょう( ^ω^)・・・