ここ数日、山田方谷(やまだほうこく)という歴史上の人物について調べています。図書館からも数冊の本を借りてきました(ちょっと内容がボクには難しいのもありました)。山田方谷(備中松山藩)は、上杉鷹山(出羽米沢藩)と並ぶ、江戸時代末期に画期的な藩政改革を行った政治家であり学者、そして思想家です。
ボクが「山田方谷」という名前を初めて知ったのは、今からもう45年以上も前、18歳の時のことでした。
大学の寮で同室になった先輩に「おーっ!八百政くんは越後長岡藩の出身か!」「司馬遼太郎の『峠』に俺は感動したよ!」「河井継之助は素晴らしい人物だな!」などと言われたのに、自分が郷土の偉人・河井継之助について何も知らないことを恥じました(まぁわが家は長岡市内とはいいながら長岡藩ではなく上山藩の領地だったんですけどね)。それであわてて古本屋に行き、「峠」を購入して読んだのです。
その小説「峠」の中に、河井継之助が備中松山藩を訪れ、当地で藩政改革をなし遂げた山田方谷から薫陶を受けるシーンがあります。ボクはその時に初めて、継之助の政治家としての信条・根幹を作ったのは備中松山藩での学びであり、山田方谷の教えであることを知りました。「山田方谷」という名前は、その時にボクの記憶にしっかりと刻み込まれたのですが、残念ながらその後のボクの人生の中では、山田方谷について学ぶ機会が訪ずれないままここまできてしまったわけです。
まぁ「その機会が今ついに訪れた!」ってわけです。まだまだ現在進行形。