確か先月は小学校の持久走大会と重なってお休みしたので2カ月ぶりの聖研、かな??自分の記憶も怪しくなってきました。というよりもうずっとぼけぼけのままで生きてきました。hahaha
とにかく久しぶりの聖研。出席者は7名。購読箇所はルカ2章41~52節
過ぎ越しの祭りに家族で出かけて、一緒に帰ってきたと思ったイエス様が行方不明になっちゃった。というお話・・・ずいぶんざっくりした説明で真面目信徒さんから怒られそうですが、
聖書はまあこともなげにいってくれます。
三日間も行方知れずになっていた息子をやっとみつけ その子に「父の家にいるのは当然」といわれ、イミフではあったけれど自分の心に胸におさめちゃったマリアお母さん。
なんだかわからないけれど信じる。神の子イエスであり、わが子イエスを。
神様ならまだわかる。信じること。
けど、なかなか自分の子を信じてじっと見つめているというのは難しいものです~。つい 大丈夫なのかと手も口もだしてしまい、胸に納めておくことができない。それは聖母と比べるものではないけれどさあ。信じて寄り添うこと、待つことの難しさよ。
ここでのお話は信仰について語っているのかもしれませんが、身近なこととして親子の、親としての在り方を考えさせられました。
とにかく久しぶりの聖研。出席者は7名。購読箇所はルカ2章41~52節
過ぎ越しの祭りに家族で出かけて、一緒に帰ってきたと思ったイエス様が行方不明になっちゃった。というお話・・・ずいぶんざっくりした説明で真面目信徒さんから怒られそうですが、
聖書はまあこともなげにいってくれます。
三日間も行方知れずになっていた息子をやっとみつけ その子に「父の家にいるのは当然」といわれ、イミフではあったけれど自分の心に胸におさめちゃったマリアお母さん。
なんだかわからないけれど信じる。神の子イエスであり、わが子イエスを。
神様ならまだわかる。信じること。
けど、なかなか自分の子を信じてじっと見つめているというのは難しいものです~。つい 大丈夫なのかと手も口もだしてしまい、胸に納めておくことができない。それは聖母と比べるものではないけれどさあ。信じて寄り添うこと、待つことの難しさよ。
ここでのお話は信仰について語っているのかもしれませんが、身近なこととして親子の、親としての在り方を考えさせられました。