第6回 八尾、大聖勝軍寺 他
今回は、9月21日(木)に 11名で八尾市の蘇我氏、物部氏の戦いの址、他に行きました。
前日までは暑い日が続いていましたが、曇り空で助かりました。JR八尾駅に13時に集合しました。
八尾駅の南東に渋川神社があります。ここのご祭神は物部氏の祖神の饒速日命、他です。
境内には立派な楠があり、府天然記念物です。
近くに旧大和川の付替えによって開発された安中新田の会所跡の旧植田家住宅があります。立派なお屋敷が保存されています。
玄関口に丁度、河内木綿が出来た植木鉢がありました。 お庭にも植えられていました。
道路脇に簷葡舎(えんほしゃ)跡の碑があります。 幕末に佛蓮がこの地に来て、開いた私塾跡です。栄えていたのが偲ばれます。
太子堂交差点の西に物部守屋大連墳があります。 この付近で亡くなった守屋は明治時代になって墳墓が作られました。
全国の有名な神社の名前が並んでいます。
聖徳太子古戦場とされる大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)です。太子16歳の時に、信貴山の毘沙門天に祈願して勝ったとされています。
戦いの折り、絶対絶命になった時に椋の大木が割れて、その中に太子が逃れたという逸話があります。
その時の様子を再現するために、太子像が置かれています。
戦いの前に祈願した毘沙門天を祀った毘沙門堂もあります。
秦河勝が守屋の首を洗ったとされる守屋池です。
国道の南側に 迹見赤檮(とみのいちい)が守屋を射抜いた鏑矢が落ちた所と伝わります。
更に200m以上南に、鏑矢を打った弓を埋めたとされる弓代塚があります。
樟本神社です。守屋が守護神として崇めていた布都大神を奉祀された物と伝えられています。
光蓮寺の門前に稲城碑があります。守屋が兵を集めて、稲城を構えて、抗戦しました。
光蓮寺から近くの谷町線の八尾南駅まで歩きました。 5km弱と短めでしたがお疲れ様でした。