俺が中学生だった1979年~1981年という時代は
ブルース・リー亡き後、
ニューアクションスター、ジャッキー・チェンの人気が急上昇してきた時代で
アクション好きにも“ブルース・リー派”と“ジャッキー・チェン派”に大きくわかれていたのだ。
どちらかというと俺の同級生にはブルース派よりもジャッキー派の方が多かった。
ジャッキーは女子にも人気があったけど、ブルース・リー好きの女子っておらんかったんちゃうかな(笑)
女子の中では真田広之の人気も急上昇しはじめた頃で、
アクションスターもアイドル並みに人気のあるええ時代でした。
しかし俺もユウジも“ブルース・リー派”だった。
どうしても当時のジャッキーのコミカルクンフーが好きになれなかったのだ・・・
「ドランクモンキー・酔拳」を観た時も
ジャッキーより敵役のウォン・チェン・リーの蹴り技に夢中になったし。
ちなみに俺がジャッキーを認めたのは(←偉そうに。すみません)
「ヤングマスター」のラストアクションを観てからです。
それ以降は徐々にジャッキーアクションに心酔していきました。
ジャッキーはいろんな意味でブルース・リーを超えたと思います。
俺もユウジも硬派のブルース・リー派だったので
通信販売でヌンチャクを買ったり、カンフー着を買ったり
学校の掃除道具のほうきの柄を振り回して(←そう「ドラ道」や「燃えドラ」の棒術のつもり!)
日夜“ブルース・リー道”を修行していました。
まだ中学生だったので将来の夢なんて恥ずかしくて言えなかったけど
2人ともブルース・リーのようなアクションスターになりたいなーとおぼろげに思い始めていた。
しかし、ユウジは生まれつき体が弱かったのです。
心臓が弱かったらしく、喘息もあったりして体育の時間はよく休んで見学してました。
プールに入ってもすぐに唇が紫色になって苦しそうやったし。
絵に描いたような“健康優良児”だった俺はそんなユウジの体が心配だった。
遠足かなんかで山登りをした時もユウジは途中で動けなくなってしまい
俺がおんぶして山を降りたこともあります。
小柄だったユウジは驚くほど体重が軽かったのです。
でもそんなひ弱なユウジがひとたびブルース・リーのモノマネをすると天下一品のカッコよさだった。
俺たちがよく読んでいたブールス・リー関連の本や雑誌に
「ブルース・リーは幼少の頃は病気がちで貧弱だった」と書いてあったので
ユウジはよく「ブルース・リーも子供の頃はひ弱やったんや」と
自らに言い聞かせるように言っていたのを思い出す。
しかし・・・
中学を卒業して間もなくユウジは死んでしまった。
知らせを聞いた時は信じられなくて涙も少ししか出なかったけど
お通夜の時、ユウジが微笑む遺影を観た瞬間
堰を切ったように俺は号泣した。泣き叫んだ。
たぶん今までの人生の中で一番涙を流したと思います。
おかんや友達が俺を気遣ってくれて励ましてくれた。
その後徐々にユウジの死という現実を受け止めることができた俺は
アクションスターになる夢を本気で歩みはじめることになります。ユウジの分まで。
「ユウジの分まで」とはちょっとカッコつけた言い方やけど
ユウジとブルース・リーごっこしてたことが
俺のアクションの原点というか礎になったていたのは間違いのない事実です。
(中学3年の時の体育祭でのユウジと俺)
脚が高く上がってる方が俺。どっちが脚が高く上がるかいつも競い合ってた。
月日は流れて俺は44歳になった。
アクション業界からも引退し、今では普通のおっさん。
でもたまにブルース・リーごっこやってます。
脚短いけど後ろ回し蹴りのスピードと美しさはまだまだ自信あります!
いつになるかはわからんけど
“あの世”に行ったらユウジとまたブルース・リーごっこやります。
てか“あの世”やったら本物のブルース・リーと会いたいわ!