2015年1月に長崎市を訪問した時、午後4時30分頃に大浦天主堂を訪問してきました。
大浦天主堂は1953年(昭和28年)3月31日、国宝に指定されています。
構造及び形式等は五廊式教会堂、桟瓦葺、北端八角尖塔付。
解説文によりますと、
『元治元年(1864年)に完成した堂を改造して明治8年に作り直したもので、
外国人宣教師の指導の下に我が国の大工棟梁がその建設を手がけた。
ヴォールト天井や尖頭式アーチ形の窓をもつ本格的な洋風建築で、
我が国の工匠が洋風建築を手がけた最初期の例として貴重。』
と記載されています。
また、大浦天主堂境内は国指定史跡(2012年指定)、旧羅典神学校は国指定重要文化財(1972年指定)、
南山手伝統的建築物保存地区は国選定重要伝統的建築物保存地区(1991年)となっており、
歴史を感じさせるエリアですね。
2018年6月30日、ユネスコの世界遺産に登録されています。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
https://www.welcomekyushu.jp/world_heritage/spots/christian
https://blog.goo.ne.jp/yoshihiko1743/e/04d1d602f21a127e8e7f774ea4a2536f
今日は広島への原子爆弾投下から75年目。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、人類史上初の都市に対しての核攻撃でした。
その三日後、1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、長崎への原子爆弾投下。
原爆投下作戦の第一目標は福岡県小倉市(現北九州市)、第二目標が長崎市。
爆撃機は8月9日午前9時44分に第一目標の小倉市上空に到達していたそうですが、
目標都市の気候状況、投下目標確認失敗、爆撃機の燃料状況などにより長崎市に変更となっています。
大浦天主堂も原爆により損傷し、修復が完了した後に国宝再指定となっていますね。
戦争は悲惨な結果を残すため、二度とこのようなことが無いことを望みます。
争いごとは相手がいるから起きる事であり、近くに傲慢な国や人がいないことを願います。
世界平和を祈ります。
キリスト教信者発見百周年記念碑。
1865年3月17日の信徒発見により、潜伏キリシタンの歴史は終わりをむかえることに。
徳川幕府による1614年のキリスト教禁教令、1639年の鎖国令により宣教師は国外追放。
そのような状況の中で、約250年もの長い間、潜伏キリシタンがいたことがこの大浦天主堂にて発見されました。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12番目の大浦天主堂、
それは、潜伏キリシタンが終わるきっかけとなった信徒発見の場所でした。
グラバー通りに面して、和泉屋大浦天主堂前店、文明堂総本店、オランダ物産館などが立ち並びます。
初めて大浦天主堂とグラバー園に来た時も、お土産に文明堂のカステラを買ったような気がします。
カトリック大浦教会
観光客の増加により、1975年(昭和50年)に建設され、毎日のミサはこの大浦教会で行われているみたいです。