8月12日(水)正午、富山県は南砺市理休(城端)を目指し、荘川の五連水車を後にした。
目的地は「城端水車の会」の若林さんの水車工房である。
東海北陸自動車道の荘川ICで入り、福光ICで降りてしばらく国道304号線を走ると、城端郵便局前に水車を見つけた。
約83kmを走り、午後1時に目的地に到着した。
冒頭の写真は城端東部体育館横に造られた、全長約30mの「水車ロード」であり、今年8月1日に完成式を終えたばかりである。
「城端水車の会」の若林さん、中嶋さんよりお話を伺った。
「城端水車の会」の誕生は。
平成3年に熟年仲間4人が地区内にある居酒屋で酒を酌み交わしながら、還暦だしなにか有意義なことをやろうとなり、それなら昔あった水車を復活したらどうかと話が盛り上がったのがきっかけだそうである。
この理休地区は、城端市街地に隣接する田園地帯で、水が豊富なことより昭和初期まで脱穀等の動力源として数多くの水車が回っており、子どもの頃の農村風景はしっかり胸に焼きついていた。
用水の流れは当時から絶えたことがなく、お年寄りには昔懐かしい風景を、子どもたちには自然の力を利用した遊びを提供しようという、ほんの遊び心から始まったそうだ。
直ちに実行委員会が結成され、第1号は平成3年5月初旬、地区内の八幡宮の横を流れる用水に発電機を取り付けた下掛け水車を設置し、神社境内の灯籠の明かりが灯った。
徐々に会員が増え、それぞれが工夫をこらしてからくり水車を作成し、小学生が学習に訪れるほどになる。
平成4年、会員は25名に、水車は22基に増えて、「城端水車の里」として堂々の名乗りを上げた。
マスコミが手づくりのふるさととして水車の里を大々的に報道すると、観光客も訪れるようになってきて、相乗効果により活動も活発化し、平成11年頃には水車も40基以上となる。
しかし、近年は会員の高齢化により管理出来ないことや、最近の豪雨被害により壊れる水車が増え、動いている水車は少なくなって、水車の里としてのイメージも薄れてきた。
そこで今回、あらたに城端東部体育館横、約30mの「水車ロード」を完成させた。
行政に頼ることなく、会員によるボランティアや募金で、「水車の里」による町おこしを行ってきたお話を聞かせて頂いた。
城端水車音頭や踊りも出来て、風化しつつある二十世紀の農村文化を二十一世紀に伝えようとする、ロマンあふれる素直な遊び心が、郷土愛とともに燃えているのがよく伝わってきた。
金具を使わない水車づくりのノウハウを、若林さんより聞かせて頂きました。
これまでの水車の製作は約100基だそうである。
個人のお宅に設置された、からくり水車。
水路に設置された、そば挽き水車。
中嶋さんや若林さんをはじめとする、皆さんの町おこしへの熱意が良く伝わってきて、当初30分程度と思っていた訪問であったが、約2時間も説明や周辺散策をしてしました。
しかし、有意義な参考になる2時間であり、貴重な時間をありがとうございました。
午後3時、お二人に感謝しながら、「城端水車の里」をあとにし、長野に向かった。
つづく・・・。
目的地は「城端水車の会」の若林さんの水車工房である。
東海北陸自動車道の荘川ICで入り、福光ICで降りてしばらく国道304号線を走ると、城端郵便局前に水車を見つけた。
約83kmを走り、午後1時に目的地に到着した。
冒頭の写真は城端東部体育館横に造られた、全長約30mの「水車ロード」であり、今年8月1日に完成式を終えたばかりである。
「城端水車の会」の若林さん、中嶋さんよりお話を伺った。
「城端水車の会」の誕生は。
平成3年に熟年仲間4人が地区内にある居酒屋で酒を酌み交わしながら、還暦だしなにか有意義なことをやろうとなり、それなら昔あった水車を復活したらどうかと話が盛り上がったのがきっかけだそうである。
この理休地区は、城端市街地に隣接する田園地帯で、水が豊富なことより昭和初期まで脱穀等の動力源として数多くの水車が回っており、子どもの頃の農村風景はしっかり胸に焼きついていた。
用水の流れは当時から絶えたことがなく、お年寄りには昔懐かしい風景を、子どもたちには自然の力を利用した遊びを提供しようという、ほんの遊び心から始まったそうだ。
直ちに実行委員会が結成され、第1号は平成3年5月初旬、地区内の八幡宮の横を流れる用水に発電機を取り付けた下掛け水車を設置し、神社境内の灯籠の明かりが灯った。
徐々に会員が増え、それぞれが工夫をこらしてからくり水車を作成し、小学生が学習に訪れるほどになる。
平成4年、会員は25名に、水車は22基に増えて、「城端水車の里」として堂々の名乗りを上げた。
マスコミが手づくりのふるさととして水車の里を大々的に報道すると、観光客も訪れるようになってきて、相乗効果により活動も活発化し、平成11年頃には水車も40基以上となる。
しかし、近年は会員の高齢化により管理出来ないことや、最近の豪雨被害により壊れる水車が増え、動いている水車は少なくなって、水車の里としてのイメージも薄れてきた。
そこで今回、あらたに城端東部体育館横、約30mの「水車ロード」を完成させた。
行政に頼ることなく、会員によるボランティアや募金で、「水車の里」による町おこしを行ってきたお話を聞かせて頂いた。
城端水車音頭や踊りも出来て、風化しつつある二十世紀の農村文化を二十一世紀に伝えようとする、ロマンあふれる素直な遊び心が、郷土愛とともに燃えているのがよく伝わってきた。
金具を使わない水車づくりのノウハウを、若林さんより聞かせて頂きました。
これまでの水車の製作は約100基だそうである。
個人のお宅に設置された、からくり水車。
水路に設置された、そば挽き水車。
中嶋さんや若林さんをはじめとする、皆さんの町おこしへの熱意が良く伝わってきて、当初30分程度と思っていた訪問であったが、約2時間も説明や周辺散策をしてしました。
しかし、有意義な参考になる2時間であり、貴重な時間をありがとうございました。
午後3時、お二人に感謝しながら、「城端水車の里」をあとにし、長野に向かった。
つづく・・・。