目覚まし時計代わりの電話で目が覚めたのは、7時半の事でした。
やっとのこと眼鏡をかけて、ケータイの表示を見ると病院からです
『何かあったのか』
いっぺんに目が覚めて電話に出ると、病棟の看護士さんでした。
『センセイからお話があるので、お待ちください・・・』
ドキドキしながら待つこと数秒
『院長の〇〇です・・・』から始まって・・・
『夜半過ぎから頻脈の状態が続いています。酸素の吸収量も思わしくなく、水分の代謝も700ccに留まっています。手足が冷たく、循環の低下がみられます。体力の低下が著しくなってきています。本来ならば娘さんが病院にいらした時に説明すべきなのですが、わたくし当直明けで帰宅させてもらうので、こんな時間にお電話させていただきました・・・』
へ帰っちゃうからこの時間に電話したってこと
ドキドキして損しちゃった
でも、その後電話口の看護士さんからは、
『今日は足元が悪いので、気をつけていらしてくださいね』と言われました。
ってことは、早めに行ってあげなくちゃ
慌てて着替えて、朝食もそっちのけ
窓の外は真っ白け
昨日の倍は降ったかな
完全防備で除雪に出るも、氷点下の雪はパウダースノーで、除雪がはかどりません
昨日はツルンと落ちた車の雪も、ピッチリと凍り付いて落ちてくれないの
これは、暖機運転で融かすしかないな
エンジンをかけて、家の中で待つことに・・・
その間に、猫達のごはんを準備して、コタツをスイッチオン
15分ほどの暖機運転を経て、やっと出発出来ました
道路は圧雪凍結で、センターラインも分からない状態
ゆるい坂道ではトラックが動けなくなってるし、横殴りの雪で見通しが効かないし、全体がのろのろ運転なものだから、到着には時間がかかりそう・・・
途中ガソリンスタンドで満タンにしたけど、昨日の地震の影響なのか土曜日なのに混んでいました。
そういえば、昨日の地震の直後は、街中のガソリンスタンドが軒並み500m待ち、1000m待ちだったそうです
やっとのこと病院に到着したら、すでに時刻は11時になっていました
ラジオからは、国道4号線の〇〇付近が5㎞、△△付近で10㎞の渋滞、盛岡インター付近渋滞、高速道路の通行止め・・・等々の情報が流れていました。
病室に入ったら、窓の景色が真っ白です
街中でのホワイトアウトは珍しい
ますます道路の状況は悪くなりそうだなぁ~
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今日の母ちゃん。
脈拍は110~125で変動性の頻脈です。
血中酸素飽和度は93~95と低め・・・
呼吸は早くて荒かったり、落ち着いて深呼吸したりと、これもまた変動があります。
手足は思ったよりも暖かくて、血流の改善がみられます。
センセイからは顔色が悪くて・・・と言われていたけど、思ったより悪くはありません。
はぁ~、良かったぁ~
看護士さんからは追加の説明を受けました。
今朝がたまで37℃程度の発熱があったものの、今は36℃丁度にまで下がったとのこと。
『センセイが朝早くに電話しちゃったから、ビックリしたでしょう・・・ゴメンナサイね』だってさ
首元でニッコリの白黒猫たち・・・
ジジ君はぎゅ~されてます
注射の跡が痛々しい母ちゃんの手です
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傍に寄り添って話しかけているうちに、脈拍は100程度まで下がってきました。
あと10も下がってくれれば良いのだけれど・・・
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お昼過ぎ、窓の視界が開けてきました。
今のうちにお昼ご飯を食べてこよう~
病院の隣のラーメン屋さんでアツアツの一杯を食べて、すぐに病院に戻りました。
母ちゃんの様子は相変わらずですが、眉間の縦シワが消えて、呼吸も穏やかになってきました
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午後になって、見舞い客の数が増えてきました。
いつもは20分程度で到着できるのに1時間もかかって来た人や、渋滞にはまって2時間かかった人もいました
窓の下に見えるオイラの車は、もうすっかり雪だるま状態です
このまま病院にいたら、帰りに遭難しちゃうかも
遠くからいらした方々は、天候の悪化を心配して早々に引き揚げて行きます。
母ちゃんの様子も安定してきたことだし、オイラは2時半まで付き添って帰宅することにしました。
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帰り道は雪がやんでくれたので、30分程度で帰宅できました。
が、家に入った途端に再びの吹雪・・・
間一髪だったのね~
猫達はコタツから頭だけを出して横着なお出迎えでした
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なんにもすることが無いので、来週からのお仕事の下調べをすることにしました。
今回初めて使用する部材のデータを検索したり、ダウンロード出来ない部材を『手作り』したり・・・
あれこれと検索にはまっていたら、気が付けばすでに8時を回っていました
あちゃー夕飯食べなきゃ
シィ君~、ミィちゃ~ん、ゴハンにしよぉ~
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昨日の地震、やはり『アウターライズ地震』だったようですね
本震の後遺症ってやつで、過去で言うと明治三陸大津波が本震で、昭和三陸大津波がアウターライズ地震だったそうです。
アウターライズの規模がもっと大きければ、もっと被害も大きかったかもしれません。
まだ数年はアウターライズの危険性がある事を考えれば、防波堤の早期復旧が待たれるところです。
ここ1週間での余震の確率も高そうだし、燃料と食料は切らさないようにしなくちゃね
こんな時に爆弾低気圧なんて
迷惑千万であるっ
はぁ明日も雪かきかよぉ~