みなさま、こんにちは
もう年末なのに今年の抱負を
未だ実行していなかったmomoママです!Σ( ̄▽ ̄;
今年最初のブログに
今年の抱負は
「インナーチャイルドのことを書く!」と
「兄に会いに行く!」と書いたのですが
まだどちらも実行していませんでした(汗)
どちらもめちゃめちゃ簡単に
ゆるーく実行出来ると思っていたんです。
ところが
なんとなんと!!!
翌月の2月に突然のコロナ過に!!!!!
何年もついつい
ご無沙汰しちゃってた兄のお家に
今さら
こんなコロナ過の状況で
何も用事もないのに行くに行けなーい
義母さんも同居されているので
なおのこと遠慮しちゃいます
今年の抱負断念
あれ!?
これって
和ちゃんに言われた通りになったってこと!?
一昨年のことです!!!
もう2年も前のことです!!!!!
和ちゃんが
「momoママさんはご兄妹に会ってますか!?」って。
私の兄のお家は札幌ですが大阪に単身赴任。
妹は青森。
どちらにも何年も会っていませんでした~
「今年中に会って下さい!
今年会わないともう会えなくなりますよ!」って。
えー!?
ほんまかいな!?
でも和ちゃんがわざわざ私にそう言ってくれるなら
会っておかなくちゃ!と思い(素直だから)
義姉にLINEして兄がお盆に帰って来るのか聞いたんです。
そしたら翌年(去年)には
仕事辞めて札幌に帰って来ると言うので
じゃ~帰って来たら顔出しますね!ってことに。
なのに去年はバタバタしてて
ってか、うっかりしてだけど
行くの忘れてしまいました~(汗)
それで今年の抱負が
「兄に会に行く!」ってことになったのでした
うわー
なんてことでしょう!?
もしかしたらもう一生会えない!?
まさかまさかこんなことになるなんて
2年前はもちろん
今年の1月でさえ
思っても考えてもみなかったことでした
ひぇ~~~
せっかく和ちゃんに忠告してもらってたのに
和ちゃん!ごめんなさい
これは和ちゃんが私を占ってくれたことではないんです。
全ての人に言えることです!
でも私に必要な情報だからこそ伝えてくれたのに
和ちゃんの好意を無駄にしてしまいました~
まぁでもこうなったら
兄も妹も
お互いに
ご機嫌で楽しく暮らせてることを
祈りつつ生きることにしよー(笑)
あ、そういえば
会えなくなるだけじゃなくて
お互いにお互いの存在が記憶から消えるそうなの
うーん
お互いに忘れるなら良いのか!?(笑)
どっちかが会いたいのに会えないなら哀しいけど…。
会えなくても記憶から消えても達者で暮らしてねーーー
なんだこの愛し過ぎる生き物は!?
この子とは会えるのかな???
さて
今まで何年も伸ばし伸ばしになってた
私のインナーチャイルドの話ですが
サボってたのではありません(笑)
何度も何度も書きかけたのですが
どうしても途中で書けなくなってしまって
断念していました。
私を傷つけた相手が居て
その相手だって
私と同じくらい
きっとずっと
苦しんでいたんだろうと推測されたからです。
ブログは世界中の人が自由に読めますからね。
ご本人さんが目にしたら
「私のことだ!!!」って絶対に分かるはずなので。
だけど
ふっと考えが変った瞬間がありました。
私のインナーチャイルドはすっかり昇華されて
私はもうこんなに元気で
こんなにハッピーな毎日を過ごせています。
逆にそれを伝えたほうがよくない!?
私が書けば
天の采配で偶然を装い
その人の目に留まって
安心するかも知れないじゃん!って。
なので書きます!!!
大したことじゃないですよ(笑)
伝えたいことは
大したことじゃないことも
「子供の心に残す傷痕は深くてしつこい!」という実体験です。
めちゃくちゃしつこいです(苦笑)
これからママになる方も
今子育て中の方にも読んでいただけたらと思います。
私はそんなにひねくれた子供ではなかったです(笑)
ネガティブでも引っ込み思案でもなく
3歳の時に定員オーバーで幼稚園に入れなかったのに
1人で勝手に行ってしまうような子供でした(笑)
園から電話があって
「もう本人来てるので仕方ないから入園ってことで!」と
晴れて入園出来たんだそうです
ナイスな幼稚園でした(笑)
毎日、園庭の木に登って遊んでいました。
友達も沢山居る
普通のややおしゃべりな女の子でした
ところがです。
わいわい楽しく
美味しくご飯を食べてる途中でも
ついうっかり箸を落としてしますと
人間が豹変してしまうのです
不幸のどん底に落ちちゃった気分。
ただ箸を落としただけなのに!
「私なんて死ねば良いのに!!!」って
いちいち本気で大袈裟に嘆き悲しんでしまうんです。
その時の感情を
どうしても自分でコントロール出来ませんでした。
家族で楽しいお出掛けの時の着替えもダメでした。
その旅行自体はめちゃめちゃ楽しみなのに
当日の朝着替える時になると
必ず不機嫌になりグズグズになってしまうんです
自分でもそんな自分自身を持て余していました。
全くワケが分からなくて。
そうなる自分が大嫌いでした。
おねしょも幼稚園くらいまでありました。
おねしょはさすがにいつしかしなくなっていましたが
食事中、箸を落としてどん底になることは
大人になっても続いていました。
父と母は商店を営んでいて
母が私を妊娠した時は
ちょうどお店を
新しくオープンするタイミングにぶつかってしまい
父から今回は諦めて欲しいと頼まれたそうです。
でも母はどうしても産みたくて
母の実家に産まれて直ぐの私を託したのでした。
銭湯に行って湯舟で温まると
おっぱいが噴き出て悲しくて涙が止まらなかった話は
母から何度も何度も聞かされていました。
母方のおばあちゃんは
それはそれは優しくて
大事に大事に私を育ててくれました
私はおばあちゃんのお家も
おばあちゃんも本当に心から大好きだったので
それが何よりの証拠だったと思います。
母はお店がお休みの時は
毎回私に会いに来たそうで
おばあちゃんのお家の前で
おばあちゃんに抱っこされた私が両手を伸ばし
母の首に小さな手をきゅっと回して来て
その時も
泣けてしかたがなかったという話しも何度も聞きました。
そんな平和な生活は1年しか続かず
おばあちゃんのお家では内孫が産まれました。
私と1歳違いの従弟ってことです。
最初から1年だけの約束だったので
1歳になった私は
それからは自分の家で暮らすことになりました。
お店は繁盛していて
母は忙しくて私の面倒はみれません。
お手伝いさんが1歳の私を育てることになりました。
ベビーシッターですね。
そのお手伝いさんは
ベビーシッターの教育を受けたワケではなく
経験もなく
まだ子供を産んだり育てたりしたことのない
10代半ばの女の子でした。
今の朝ドラの「おちょやん」ほど幼くはありませんが
中学を卒業して高校には上げてもらえずに
外に働きに出なければならなかった家庭環境の子です。
同級生は青春真っただ中
自分は
泣きわめく他人の子供の
おむつ交換しなくちゃいけないんです。
嫌に決まってるじゃないですか!
自分の子供を育てるのさえ難しいのに
鬱になったり
育児放棄してしまうってのに
上手く出来るワケないじゃないですか!!!
そのお手伝いさんに3歳まで育てられて
そのお手伝いさんは居なくなりました。
私が小学生の低学年の頃
1度そのお手伝いさんがお店に来たことを今も覚えています。
お店の長い通路の向こう側にその女性が立っていて
私は母の後ろに隠れて震えていました。
従業員の方々が口々に
「ほら!ゆっこちゃんのおしめ替えてくれたTちゃんだよ!」
「覚えてないのかい!?育ててもらったのに!」と私をからかいます。
母は何も言いませんでした。
Tちゃんはそれ以上近付きませんでした。
Tちゃんの記憶はその時のたったそれだけでした。
その短い記憶は何故かずっと消えずに残っていました。
私は中学生の頃辺りから
兄妹の中で自分だけが
欲しいものを自由に買ってもらえてることに気付きました。
と言っても決して
我儘放題に
あれもこれも買って!と騒いだ記憶はないですが
「欲しい」と言ったものを我慢したことがないのです。
そう言えば
私が幼い頃
母はお給料日になると
唯一のデパートの子供服売り場に連れて行って
店員さんが奨めてくれた洋服を
全て買っていたということも良く聞きました。
「お母さんのお給料は全部ゆっこの洋服代に使ってた!」
それはまるで武勇伝のように話していたのですが…。
どうも兄や妹にはそんな感じがなく
私だけがそんな特別な扱いなのは
もしかしたら
幼稚園の頃
多々メンタルに問題のある私のことで
母はカウンセリングを受けたのでは!?と
高校生になった私は考えました。
私のことは母が自分で育てられなくて失敗したから
妹は何がなんでも自分で育てた。ということも
何度も聞かされていて
それを聞く度に
「私は失敗作」と自分の脳にすり込んでいったのだと思います。
私のどこが失敗作なのか問い正す必要はないくらい
自分自身で分かっていました。
だから反論したことは1度もなかったです。
下手なカウンセラーさんが
「要求に応えて満足させてあげて下さい」
とか言ったんじゃないのかと思います。
母は私の満足を満たすには
欲しいものを買い与えることしか
思いつかなかったのでしょう。
私が大人になっても
結婚して子供が出来ても
母はずっとそれを止めることが出来ませんでした。
兄の家で母の法事をやっていた時に
イクラがお料理に出て来たので
「お母さんのイクラ美味しかったよね~」と
何気に言ったら兄が物凄く驚きました!
「何それ!?」と聞くので
私も驚いて
「えー!?毎年作って送ってくれたじゃん!」と答えると
「そんなこと1度も無かった!」
「えー!?ジャガとか干物とかは!?」
「無い!」
そうだったのかー
毎年色々なものを送ってくれていたのは
私への母の懺悔の続きだったのかー
さすがに胸が苦しくなって
涙をこらえるのがやっとでした。
私はmomoパパと19歳の若さで学生結婚したのですが
何もないmomoパパ
家も
車も
仕事もない
一緒に居る時間だけがあるmomoパパと結婚することは
多分私の心に空いたままの穴を
埋めることに必要だったからかも知れません。
その時はそんなつもりは全くありませんでしたが
結婚してから娘を出産するまでの10年間の間に
食事中に箸を落としても
何とも感じない自分に気付いていました。
いつの間にか
私は癒されていたようでした
しかし!
娘を出産し
退院して家に戻ってからのことです!
娘が泣くと
どん底につき落とされた苦しさが
また私を襲うようになりました
泣いても泣いても助けてもらえない。
叫んでも叫んでも助けてもらえない。
あ、この辺りで続く(笑)
あのね、長いですから~
今年中に書き終えるためには
次の日曜まで待ってたら終わりそうにないので
ちょこちょこ更新出来る時にしますね!
ってことで(笑)
今日はマッキーさんとマサコさんが来て下さって
楽しい時間を過ごさせていただきました
なんかねー
コロナになってから
人と会えること
人と話せること
人を好きになること
そういうことが一々
幸せで
嬉しくって
しみじみと生きてることが有難く思ってしまいます
そして
私のばね指らしきことも
みんななんだかんだ経験していますね
そうやって
自分の身体と相談しながら
みんな生きてるんだなぁー
みんなブラボー
ばね指の続きもまた書きます!
来年に持ち越しですね(苦笑)
奥の食パンはマッキーさんのお土産です
月寒のベーカリーショップRINさんの焼き立てパン
ふっわふわです!!!
マッキーさん!めっちゃ美味しかったでーす!
ふわふわなのにトロトロ!?
初めて食べた食感でした
手前のはマサコさん手作りのリンゴパイ
ブルーベリーとカリンズの実も入っています
マジ!?カリンズってほとんどが種で
しかもすっごく固いんだけどー!?
全く気になりません!
めちゃ美味しいです
冷凍すると種の存在が消えるのかもですねー
今まで毎年すっごく苦労して種を濾してましたよ~
momoパパが(笑)
だから量がほんのちょっとになっちゃうんです
来年は冷凍してからジャムにしてみます!
すっごい素敵な情報ありがとうございます
マサコさん!いつもご馳走様です
マルンガイと
ちきゅうの雫の
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是非ともお立ち寄り下さいね
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