みなさま、こんにちは
今年中の完結に向けて
頑張って書いてるmomoママです(((;゚Д゚)))
どんどん行きます!!!
時々しらすちゃんに登場してもらいつつ(笑)
私のインナーチャイルド事情 その1は→コチラ
私のインナーチャイルド事情 その2は→コチラ
私が
3歳の時に大やけどを負った時の記憶が蘇ったのは
30歳になったばかりの頃でした。
幼い頃から
右足のくるぶしの辺りにやけどの痕がありました。
これは
すでに亡くなってたひいおばあちゃんが
誤ってストーブの上のやかんを
私の足にかけてしまった時のやけどの痕だと
母から聞かされていました。
うわ!ひいおばあちゃんのせいにしてたんかー(汗)
だけど考えてみたら
ひいおばあちゃんが
家に来るなんて考えられないことでした。
祖父母でさえ1度も家に来た記憶はありません。
こまめに祖父母のお家に遊びに行っていたので
あちらから出向いて来ることは必要なかったのです。
お医者さんに
痕が残るのは仕方がない!とさじを投げられていたのを
父(薬剤師)が当時1番高い薬を取り寄せて
惜しみなく毎日湿布を取り替えてくれて
ここまで治ったんだよー!と母から聞いていました。
これも繰り返し何度も聞いた話のひとつでした。
母が何度も繰り返し話したことの全ては
父も母も
「どんなに貴女を愛していたか」
「愛してないから他人に託したワケじゃない」
ってことを伝えたかったのだということは
年齢と共に
いつしかちゃんと
私自身が感じ取っていました。
実際に
愛されてないなんて感じたことは1度もなく
本当に愛されていたし
こんなに大事に育てられて
こんなに恵まれているのに
どうして私はこんなに孤独なんだろ!?と
ずっとずっとずっと不思議でした。
全ての学校でもイジメもなく
普通に通えていたし
どの時期にも友達に恵まれていたし
お小遣いも
多分同級生に比べて多い方だったんじゃないかと思います。
どこにも不満なんてないのに!
何が私に
「私なんて死ねば良いのに!」と脅すのか
ずっとずっとずっと不思議でした。
その不思議の正体がとうとう暴かれたのです!
もうめちゃくちゃ腑に落ちましたね!!!
おそらく私は育て難い子供だったのでしょう。
大好きなおばあちゃんから突然引き離されて
不安と不満で
グズグズで泣き止まない1歳児だったのだと想像出来ます。
Tちゃんは自分だってまだまだ遊びたい年頃です。
初めて幼児の世話をする仕事を押し付けられ
自分では手に負えず
途方に暮れていたに違いありません。
次第に
泣き止まない反抗的な私に
憎しみを抱くようになったのだと思います。
母親が普通に育てても
魔の2歳児と言われてる壮絶な反抗期の
さらにその上を行く
壮絶過ぎる反抗期を
私は日々やらかしていたのでしょう。
食事中に箸やスプーンを落とした時や
着替えがもたついた時など
Tちゃんの怒りが爆発し
どうしても
どうしても
虐待を止めることが出来なかったのだと思います。
私は私で
怒鳴られれば怒鳴られるほど
痛い思いをすればするほど
反抗的な態度はエスカレートしていったのでしょう。
水に顔をつけることが怖くて
泳げるようにならなかったことも
虐待のトラウマから来てることだと思いました。
球技もめっちゃ苦手でした。
自分に向かって来る球が
怖くて見られないんですよね。
動体視力がゼロに等しいんだと
自分では思ってましたよ!
ドッチボールも
バレーボールも
野球も
バトミントンやテニスも
本当に怖くて苦痛でした。
でもバスケットボールは怖くなかったんです。
ドリブルで球の取り合いしたり
シュートすることには怖さは無いんです。
ま、上手くはなかったですけどね(笑)
多分、何か投げつけられていたんでしょうね。
考えたら色々と辻褄が合いました。
「おまえなんか死ねば良いのに!」
Tちゃんの憎悪は
「私なんて死ねば良いのに!」にすり替えられて
私の背中に張り付いたまま
その呪縛から逃れられなかったのですね。
記憶が蘇り
やけど事件の真相が分かっても
私はTちゃんを恨む気持ちは一切起きませんでした。
1度たりともTちゃんを憎く思ったことはありません。
私が中学生の時に
私よりも3つ年上のお手伝いさん見習いが
住み込みで働きに来ました。
たった3つですよ!!!
当時は私が子供の頃からのお手伝いさんが
通いで2人交代で来ていて
その先輩お手伝いさんに
そのたった3つしか私と歳が変らない女の子は
掃除や洗濯やゴハン作ったりを
教えてもらっていました。
私が友達と
ゲラゲラ大笑いしながら遊んでた時にです!!!
2人のベテランお手伝いさんの内の1人は
とても優しい人で私も小さな頃から大好きでした。
もう1人のお手伝いさんには
ちょっと厳しく教えられたかも知れません。
意地悪な人では決してないですが
早く仕事を教えたいと思うと
ついついそうなってしまったかもです。
彼女は「高校1年生」という雑誌を読んでいました。
行きたかったんだろうなぁ~と
3つ年下の私は思いました。
毎日夜になると泣いていました。
帰りたいですよね。
ほんの数か月でその子は辞めてお家に帰りました。
その時私は
小学生の時に1回会った記憶しかない
Tちゃんを想っていました。
私が1歳から3歳までTちゃんに育てられた話は
何度も聞かされていたので。
きっとTちゃんも
こんな風に毎晩泣いていたに違いないと思いました。
私にやけどを負わせたのがTちゃんだと知っても
虐待されていたと知っても
責める気持ちにはなれませんでした。
Tちゃんも私と同じ被害者のように感じていました。
虐待なんてしたくてしてたワケはありません。
それほどTちゃのメンタルは追い込まれていたのです。
煮えたぎるお湯をかけてしまった恐ろしい自分を
ずっと許せないまま生きていたかも知れません。
私とTちゃんは
同じ傷を背負って生きて来たのかも知れません。
母が私を妊娠した時に
父に諦めるように言われたことに関しても
父を責める気持ちはひとっつもありませんでした。
何度聞かされても
「その通りだろー」と内心私は父に同感していました。
(言葉にしたことはありませんでしたが。)
だから私と父の関係性も悪くはなかったです。
むしろ兄妹の中では
1番私が父と一緒に遊んだり接点はあったように思います。
私の怒りは
母1人だけに向けられました。
母は常に太陽のように明るい人で
驚くほどポジティブな人で
誰のことも悪口を言わない
私の尊敬に値する人でした。
憧れの女性であり
大好きで
最愛の人でした。
「自分で育てられないなら生まないで欲しかった。」
「私の子育てに失敗したから
妹を自分で育てたからといって
それでお母さん自身の子育てが
リベンジ出来たつもりでも
私の人生はもう取り返しがつかないのに!」
そんな感情に支配されてしまいました。
大好きな母を恨むことは
益々私を苦しめることになりました。
でも母には
私が思い出してしまったことも
そのトラウマで
今でもずっと自分を肯定出来ないことも
ずっと苦しんでいたことも
話さないでおくことに決めました。
その時私は
もうこんなに年老いたお母さんを
悲しませることは絶対に出来ない。と思ったんです。
今思えば
その時の母は今の私よりも若かったんですよねー
ってことは娘も多分
今の私を
「もうこんなに年老いた母」と思ってますよね(苦笑)
いや~
人間っていくつになったら
自分のことを年寄りだと認るんかなー(笑)
「私は両親に愛されていたんだから!」
「お母さんだって私を苦しめるつもりで
Tちゃんに託したワケじゃないんだから!」
「もうとっくの大昔の出来事なんだから」
「今はこんなにも恵まれてるんだから!」と
私は何万回も
必死に
必死に
必死に
自分自身に言い聞かせて日々を暮らしました。
だけど
どんなに頭ではちゃんと分っていても
時々発作的に
「私なんて死ねば良いのに!」が現れてしまうんです。
世のお母さん達にここ知っていただきたいです!
3歳までに経験してしまった辛い経験は
傷が心の根底の
そのもっと奥にあり
どうにもこうにも
本人の努力ではどうすることもならんのです。
本当にややこしくって
手に負えなくて
面倒臭くて
しつこくて本人が1番嫌気が差しているんです。
ただ私は
天性の明るい母のDNAを
少なからず受け継いでいたので
四六時中泣いていたのではないですし
どちらかと言えば明るい性格で
今までお付き合いしてくれた友達も
私がこんなんだったなんて知らなかったと思います。
言えないというのも
知られたくないという気持ちもありました。
虐待されたり
イジメを受けてる子供が
その事実を誰にも話せない心情は
私には痛いほど解ります。
母を恨む気持ちがあっても
母を心底愛してる気持ちは消えませんでした。
母には絶対に悟られないように接しました。
上手に出来ていたと思っていました。
娘を妊娠した時に
momoパパは
自宅に帰れないほど忙し過ぎた仕事を独立し
自宅で仕事が出来るようにしてくれました。
奇跡的に仕事は軌道に乗り
私は私の何より希望だった専業主婦が叶い
とことん娘に寄り添い育てることが出来ました。
そして!
36歳の時に
東京のマンションから
横浜のお庭のあるお家に
引っ越したことがキッカケで
ガーデニングデビューを果たしました!
私は水を得た魚のように(泳げませんが!)
息をすることが楽になっていきました。
私は日に日に
植物を育てることに没頭していくのでした。
その後は運命のmomoに出逢います
つづく。
この写真良いでしょ!?
うふふ。
※しらすちゃんは娘夫婦のわんこです。
今年の札幌自宅ショップの営業は終了しました。
12月27日(日)はお休みさせていただきます。
1月2月は冬季休みとなります。
どうぞご了承くださいませ。
Webショップは
年中無休でご注文をお受けしておりますのでどうぞご利用下さいませ。
手作り石けんラベンダーバレーのHPは→コチラです。
HPには載せていない
プレミアム石けんも
在庫がありましたら販売可能ですので
お問い合わせ下さいませ。