そのいわれまでは知らないが、今日10月30日は「たまごかけご飯の日」と聞いた。
今朝の我が家は、珍しく「和」の朝ご飯である。
真ん中に「生卵」がその位置を占めていて、「たまごかけご飯」にする。
アツアツのご飯に生卵、「生醤油」をかけてかき込む。
あとは別段代わり映えはしないが、大根と揚げの味噌汁、鮭、納豆キムチ、キャベツ・キウリ・ミュウガの浅漬けなど。
日頃、妻が塩分を控えるようは留意してくれているが、今日は目をつぶることにした。
そのいわれまでは知らないが、今日10月30日は「たまごかけご飯の日」と聞いた。
今朝の我が家は、珍しく「和」の朝ご飯である。
真ん中に「生卵」がその位置を占めていて、「たまごかけご飯」にする。
アツアツのご飯に生卵、「生醤油」をかけてかき込む。
あとは別段代わり映えはしないが、大根と揚げの味噌汁、鮭、納豆キムチ、キャベツ・キウリ・ミュウガの浅漬けなど。
日頃、妻が塩分を控えるようは留意してくれているが、今日は目をつぶることにした。
キッカケは生命保険の担当者が送ってくれた、グルメ情報誌に載っていたのを見たことであった。
毎号、食べ歩きのプロ(?)が、東西それぞれのおいしい店を紹介している。
今回はうどんがテーマで、「東」からは「手打ちうどん 福助」さんが紹介されていたので行ってきた(西武多摩湖線 青梅街道)。
今までに歩いた「武蔵野うどん」のお店には、目抜き通りに大きな看板を掲げているようなところは無かった。
このお店も例外ではなく、横道に折れたところの住宅街にあった。
玄関ドアに「手打ちうどん 福助」と書かれた看板が架かっているだけで、それが無ければうどん屋さんだとは気づかず通り過ぎてしまうであろう。
玄関前には私を含め10人ほどの列ができていたが、駐車場は無いので、皆さん、歩きか自転車である。
メニューはだいたい想像していた内容であった。
お決まりの「ざる」に「肉汁」の組み合わせにして、かき揚げを付けてもらった。
うどんの色は、お店により多少の違いはあるが、武蔵野うどんでよくみられる茶色がかった色をしている。
粉にするときに麦の薄皮も一緒に挽きこんでいるからであろう。
このうどんのコシの強さは半端ではなく、これは、ちょっと想像を超えていた。
しっかりと何回も噛む回数を重ねるごとに、さらに小麦の風味が口の中に広がる。
つけ汁(肉汁)は薄味だという印象をうけ、意外なほど豚の甘みを感じた。
私の好みとしては、このうどんには、もう少し辛めの汁でも良いように感じた。
玉ねぎ、にんじん、ねぎなどの野菜のかき揚げは、ボリュームたっぷりである。
熱々のを崩しながら食べるとうどんによく合う。
うどんは蕎麦と違い、茹で上がるまでに時間がかかるので、注文してから出来上がるまで待つことになる。
この「待つ時間」はイヤではないが、事前に茹でておいたようなうどんは御免だ。
注文を受けてから丁寧に作っているのが感じられ、また行きたくなるお店であった。
公園を散歩している途中で、「無患子(ムクロジ)」の実を拾ってきた。
これまで、その木の名前も知らなかったし、実がなることも知らなかった。
「ムクロジ」であることは、幹に名前を書いたプレートが下っていたので分かったのだった。
半透明の実を開くと、まだ乾燥しきっていない粘っこい果肉が現れる。
おもしろいことに果肉を洗い流すとき泡が出て、バケツの水が石鹸のように泡立った。
中にはタネが一つ入っており、1~1.5cmほどの真っ黒で黒豆のようである。
なにかの縁起物としても使われるようである。
大きな木にツルが巻き付き、高いところで真っ赤に熟れていた「からすうり」の実である。
今年は、棒を持って手を伸ばせば取れる高さにあった。
実を割ると、とろとろになった果肉の中にたくさん(20個以上)のタネが見える。
粘っこい果肉をきれいに取り除くと、植物の種子としては珍しい形をしたタネが現れる。
その形が「打ち出の小づち」に似ているといわれる。
その形からであろう、「金運に恵まれる」縁起物として見る向きもあるようだ。
「財布に入れておくとお金が入ってくる」とか?
何年か前、なにかでそんなことを知り、面白半分でやってみたことがあった。
もちろん、「からすうりのタネ」にそんな力があるはずもなく、我が身には何の変化もなし。
ただ、じっと手を見る。
見た感じがどうも・・・というひとは多い。
お隣さんから頂いた「あけび」であるが、見た目はちょっと引いてしまうような形をしている。
ほとんど硬いタネだが、周りのゼリー状の部分ごと口に入れ、甘さを味わってタネだけを出す。
自然の甘さで、酸味は無い。
3mmほどあろうか、タネは真っ黒で硬い。
秋のハイキングや登山などの途中、あけびを見つけた人は少なくないかもしれない。
パクッと外の皮が割れると食べられる状態になっている。
早かったり遅かったり、私の経験では、なかなかいい時に巡り合ったことはない。