幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

お城の石垣に積まれたこんな石

2021-10-31 | お城

城跡を歩いていると、その石垣の中に面白い石を見ることがある。

石工たちの遊び心なのか、実用本位で使われたのか、のちの人のこじつけなのか・・・、その訳はいろいろであろう。

結構、目につくところに使われている。

 

「鳥取城」の石垣に積まれていた「手水鉢」。

どなたかの侍女だった人の家にあったものだと説明書きがあった。

お家のための忠誠心から、大事な手水鉢を提供したのであろう。

石工のワザがモノを言い、見事にきっちり収まっているではないか。

 

もう一つは、「津山城」の天守台の石積みにあるハート型の石。

訪れたカップルが「この石にタッチすると結ばれる」と書かれていた。

こちらは「愛の奇石」と名付けられていて、のちの人が作り上げた観光ネタのような気がする。

 

いつも、重機のない時代に、重い石を一つ一つ積み上げていくのは大変であろうと感心する。

しかも、長い年月にわたり、その形を維持しているのはすごいと思う。

 


百名城を巡る旅「津山城」

2021-10-30 | お城

歴史好き、お城好きの先輩諸氏には及ぶべくもないが、百名城をめぐる旅も「津山城」で56か所目となる。

 

津山城は森蘭丸の弟・森忠政により13年の歳月をかけて構築されたといわれる。

その年月の長さもさることながら、見事な石垣には目を見張ってしまう。

他の多くのお城と同様、明治になって建物は取り壊されてしまった。

しっかりと残っている石垣が、往時の姿を想像させてくれる。

 

表門のあった場所から城跡に入るが、その脇には森忠政公の銅像が出迎えてくれる。

 

表門を入り、三の丸から表中門を登り二の丸へと進む。

 

二の丸の反対側の防御ライン。

宮川に沿った崖に築かれた石垣が、本丸への攻撃をより困難にするだろう。

 

かっては多くの門や櫓があった。

今では、本丸の脇に「備中櫓」が再建され誇らしげに建っている。

 

備中櫓の内部。

畳敷きで御殿の様な造りでありながら、鉄砲、弓のための狭間が設けられているのは意外であった。

住居に用に見えても、軍需施設の役割を担った設計であろう。

 

腰巻櫓のあった付近から天守台を望む。

 

天守台から見る津山市内。

ここには5階建ての天守閣がそびえていたという。

雛壇上に積まれた石垣の上に建つ天守は、当時の城下から見ると力強く、そして美しかったことであろう。

 

本丸の東側の石垣が工事中で、解体された石垣の石が並べられている。

 

もみじ谷を下っていくと、途中の石垣に下水の排水口らしきものがあった。

本丸の下(?)を通って流れて雨水などの出口のように見えるが、どうであろうか?

 

津山城跡は鶴山公園として、桜の名所になっている。

花の頃には三の丸、二の丸、本丸と、段々に積まれた石垣と調和して見事なことであろう。

その頃もう一度訪れてみたいが、実現するであろうか・・・。


「松茸」の味

2021-10-29 | グルメ

先日の旅行で鳥取に向かう途中、新幹線から在来線(特急スーパーはくと)に乗り換えた。

ちょうどひるめし時でもあり、駅弁を買い車中の食事となった。

 

秋らしい「松茸の入った炊き込みごはん」のお弁当を選んだ。

今年初めてのマツタケの味を、味わいながら楽しんだ。

それにしてもマツタケは薄く、箸でつまむのもやっとの思いがするほどであった。

 

さて、一昨日、昨日と、いなかに急用ができ一泊で行ってきた。

行くことを事前に連絡しておいた飲み仲間のYさんが、なんと「松茸」を持ってきてくれた。

朝、山に行ってきたのだという。

「松茸の採れる時期としては遅いのだ」と言いながらも、大小二本の松茸をいただいた。

傘が開いてしまっているが味に変わりがあるわけではなく、うれしいプレゼントだった。

家内は、夕食は「松茸ご飯」と「お吸い物」にしようと、腕に縒りをかけている。

きっと、ちょっと大きめに、厚くカットしてくれるだろう。

 

 

 


旧宿場町「智頭」(鳥取県)の歴史的建物

2021-10-26 | 旅行

鳥取駅の観光案内所で情報を得て、寄り道して智頭町(ちづちょう、鳥取県八頭郡)の街並みを見物した。

この町を前から知っていたわけではない。

 

旧智頭宿の街を10分ほど歩き、着いたのが「石谷家住宅」。

石谷家は、地主であり山林経営をしていた旧家で屋号は「塩屋」だったそうである。

この建物は、国の重要文化財に指定されている。

その敷地は3000坪、40もの部屋、蔵が7棟と聞けばビックリするが、中に入ると広いこと・・・。

 

まるで武家屋敷と思わせる玄関があり、格式の高さを感じる。

 

とにかく広い土間。

こちらは町内の人やら使用人などが、ふらっと入ってきそうな雰囲気である。

 

天井のない吹き抜けになっていて、一抱えもあるような梁がむき出しになっている。

 

土間を上がったところは囲炉裏の間になっている。

 

廊下から眺める日本庭園も美しい。

庭園も400坪ほどあるといわれ、とにかくスケールが大きい。

 

「石谷家」の前には、通りを挟んで向かい側に消防署の屯所だったそうだ。

こちらも歴史を感じさせ、なかなかいい感じの建物である。

 

すぐ近くに、「塩屋出店」という建物があり、「西川克己監督 映画記念館」の看板を見つけた。

西河監督は、この町の生まれであり、「伊豆の踊り子」など多くの作品を送り出したのだそうだ。

 

「塩屋出店」の敷地に入ると、広い庭の一隅に洋風の2階建ての建物だある。

1階を入ると、古い映写機がデンと据えられている。

西河監督の撮った映画のポスターやら、ゆかりの写真やらが展示されている。


鳥取市の歴史的建物「仁風閣」

2021-10-24 | 旅行

鳥取城跡を訪れたなら、城跡のそばに建つこの建物は誰もが立ち寄るであろう。

 

観光資料により、興味のあるポイントを追ってみる。

明治40年、鳥取池田家の14代当主池田仲博侯爵が建てたものである。

当時のお金で4万4千円の建築費がかかったと記録されているという。

なんと、当時の鳥取市の年間予算が5万円だったと聞くと、驚くばかりである。

 

建物が完成した年、皇太子殿下(後の大正天皇)行啓の際に宿泊所に当てられたのである。

その時皇太子に随行した東郷平八郎が、その名を「仁風閣」と名付けた。

今も、直筆の書を2階で見ることができる。

 

真っ白に塗られた木造、瓦葺の建物を正面から見る。

右側にはみ出したとんがり屋根の部分は、らせん階段が設けられている部分。

いくつかの部屋には暖炉があり、屋根から突き出した煙突はそのためのもの。

 

裏側から見る。

1F,2F、いずれにも庭に面した広いベランダが設けられている。

ベランダで風に当たりながら芝生の庭を眺めていると、一瞬ではあったが狭苦しい我が家を忘れさせてくれた。

 

芝生の庭の向こうは鳥取城の石垣。

 

芝生の先には「宝隆院庭園」がある。

鳥取藩十二代藩主が、若くして未亡人になったしまった、十一代藩主夫人「宝隆院」のために造ったといわれる庭園。

それほど広くはないが、せせらぎ、池、植木、花などが心地よい空間を作り出している。

 

お部屋の一つ。

 

「らせん階段」を、しっかり見たのだが支柱がない。

珍しい。

 

見学後

お金に糸目をつけず、当時のトップクラスの建築家の設計により、ぜいたくな材料を使い、腕っこきの職人の手による建築。

ふと日々の現実を思い、ため息が・・・。