「職業に貴賤はない」という格言がありますが、それは人間の社会などそんなに大したモノではなく、そこで行われる仕事は大自然の営みの中の一部に過ぎない、という考え方から来ているかと思います。
それでも人間にとって仕事は大きな意味を持ちます。
物語は第五章の「就」に入り、五人の主人公の内の二人は「山」で既に仕事を極める道を描いたので、続いて他の三人にも就職して貰います。
まずは曹希聖からで、彼は革命戦争での功績が認められて、中華の中枢である安徽省と山東省の総書記に就任します(史実)。
これは人口と面積の上で、フランスとイタリアを任されるのと同等であり、希聖はそこでの共産革命を厳格に遂行しました。
これは実に大任であり、中国は民衆の権利こそ低いものの、こと農業に関しては世界一の人口を養う技術と勤勉さを発揮しており、「安徽が実れば中華は足る」とまで言われる大穀倉地帯と、中国が施設園芸で世界一となる礎を創った山東の農民達の、生活と生産方式を大転換させる仕事でした。
共産革命は全ての既得権益を否定し、公平に分け与えるのが名目でしたが、そんな強大な権力を持った党が堕落しない訳はなく、希聖はそうした腐敗党員達に対しても過酷な処罰を下して行きました。
彼は真の貧農出身であり、そこから最高幹部にまで成り上がったのは同郷のホウ徳懐(国防総長)との二人だけでした。
その為、希聖の階級闘争意識は厳格であり、共産革命を神聖なモノとして遂行して、それが後に大きな悲劇を生み出します。
次に行善の就職に移ります。
行雄師が戦地での平和行進で命を落とされた頃には彼も二十歳になっており、自分の道を歩み出します。
彼は外気功を教わった少林寺のヒーラー部隊に就職して、腐敗した権力と戦う僧団の中で成長して行きます。
少林寺は鬼殺隊のような秘密結社ではなく、広く民衆に門戸を開いたお寺であり、その戦いは民衆を守る受け身の戦いに限られて、殺生も戒められる為に銃剣を用いない武術に依りました。
因みに前回の物語では、秦天臣がこうした武術を披露しており、それはベーリング海峡を歩いて渡った時に白熊に襲われて、それを針一本で倒すというシーンなどです。
今回もそうしたハードボイルドな立ち回りを描きたいのですが、リアリティを追求するので難しくなります。
今度の相手は熊一匹ではなく銃を持った人間の部隊なので、武術ではどうしても歯が立たず敗れ去る他はないでしょう。
しかし同じ時に、そんな暴力革命を阻止できた部隊も存在しました。
それはモンゴル独立派の部隊であり、愛新覚羅傑(仁は兄の名を引き継いだ)はそこに就職しました。
モンゴル人と満洲人は昔から血縁で深く結ばれており、愛新覚羅の名を伏せずに生きられるのはその部隊しか在りませんでした。
モンゴル独立運動については、「チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史」が良く伝えてくれます。
モンゴルでの防衛戦はすぐに撃破されてしまうのですが、傑はチベットへ落ち延びてしぶとく戦い続けます。
そんな血塗られた道でも、極めればすべてに通ずると描きたく思います。