見出しに載せたアルバムはかなりシブいトリビュートで、何度か聴かないと馴染めないクセの強さがありますが、それだけオリジナリティがありお勧めです。
ジョンの歌が多くの人の心に届くのは、彼に真っ直ぐ自分の心を伝える才能があるからだと思い、特にこの「民に力を」はストレートでパワフルです。
私の物語も中国の人民に力を持たせたくて書き、この21世紀に15億もの民が専制政治によってマインドコントロールされている現状を、人民の手で変えて行って欲しいと願って書きます。
この「民に力を」というのは、普遍的な芸術のテーマかと思います。
もっと広く捉えるならば、殆ど全ての仕事は Power to the People の為に行われているとも考えられます。
共産主義は資本主義のパワー(お金)信仰を否定しますが、人は皆パワーを持ちたがるモノであり、それを否定しては歪みが生じてパワー(権力)の一極化と暴走を生みます。
民が平等にパワーを得られてこそ、社会は安定して成熟を遂げられるのでしょう。
今回は物語はお休みして、私に思い浮かぶ「民に力を」与えた偉大な人物と、その仕事を3つ紹介しようと思います。
まずはノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド-ユヌス氏。
彼は国立大学の経済学部長でしたが、74年のサイクロンによる大飢饉に脆くも崩壊したバングラ経済を、根底の貧しい人民にパワーを持たせる事(マイクロ クレジット)で立ち直らせようとし、それを見事に達成されました。
この現代の奇跡は彼の自伝に詳しく語られており、それは物語のように面白くてリアルな迫力のある本です。 アマゾンで100円なので是非とも読んでみて下さい。
2人目はアーティストとし、やはりノーベル平和賞を受賞したピート-シーガーが挙げられます。
彼は太平洋戦争にも参戦した年代のアメリカ人で、当時20代のピートは既にナショナル ギター(国を代表するギタリスト)になっており、徴兵されたけれども一度も銃は持たずにギターとバンジョーだけで戦場を渡り歩いたという伝説を残しました。
彼は戦後はレッドパージ(赤の排斥 シーガーは当時労働者運動の音頭取りだった)により投獄されますが、現代のアメリカでは労働者運動は正義だったと認められ、シーガーは共産主義などの過激な思想に陥りがちな労働者運動を平和な方向に導いた音頭取りとして賞されました。
彼の平和賞受賞にはベトナム戦争への反戦歌の大流行(花はどこへいった we shall overcome 等々)や、彼が晩年に音頭を取った河川の浄化活動が Clear Water Movement として全米に広まった事なども評価されました。
この河川の浄化ムーブメントは今では世界各地に広まっております。
しかし残念ながら河川の汚染が最悪なインドと中国がこれに乗り遅れており、それはもう塩素でなんとかなるレベルの汚染ではありません。
ゴールは川の生態系を蘇えらせて自己浄化能力を取り戻させる事です。
団子投入はあくまでその最初のセレモニーであり、地道で永続的な家庭排水や工場排水の微生物処理(微生物由来の酵素洗剤を使うなど)を必要とするムーブメントです。
3人目は、既にマレーシアのコラムで登場しました。ようやくヒガ教授の名前の漢字をお伝え出来ます。
でもヒガ姓は沖縄ではかなり多いので、goo blogで出て来ないのは不便かと思います。 (いや、アップデートはいいです)
私が働いていたEM研究機構のヒガテル社長はまだノーベル賞を受けてませんが、本人は受賞する気満々です。
タイや中南米などでは色々と受賞されており、テルオヒガ賞なるものもコスタリカにあったりします。
彼はだいぶお調子者の酒好きな沖縄人なので、国際的には通用しますがヤマトンチュウとは肌が合わないのか、時として国内に多くの敵を作ってしまいます。
彼のかつての一番敵は土壌肥料学会で、ここがまあ日本に化学農法を普及させたのですが、ヒガ先生が「もう農薬と化学肥料の歴史的役割は終わりを告げた」と「地球を救う大変革」(30万部セラー)でぶち上げたモノだから大慌てしました。
それは当時のヒガ教授が化学農法の第一人者で、自身が農薬中毒に冒され仕事を続ければ余命幾ばくも無いと医者に言われる程の、仕事バカだったせいです。
ヒガテル社長は今80過ぎですがお元気に世界を飛び回って講演されてます。
70過ぎくらいからもう、宿念の敵だった土壌肥料学会の教授達が次々と亡くなって行き、「早死にする農業なんかは歴史的役割を終えるべきだとするテルオヒガの学説は世界的な勝利を収めた」と、自分で公言するようになりました。
お気持ちは分かりますが、相手の気持ちを逆なでしないよう慎重に公言しましょう。というのは多くの社員が共有する願いでした。