私が最初にEMを仕事で扱うようになったのは、障害者施設での福祉作業(EMボカシネットワーク)でした。
これは100倍にタンクで培養した種菌(EM1)を更に米ぬかで二次培養する作業で、手で米ぬかとEM活性液を混ぜるのはかなり根気の要る作業です。
EMボカシ作りは、プロとして活用する我々農家にとっても出来不出来が大きく別れる程、微妙な微生物との対話が要求される作業です。
微量ミネラル(海水)の添加や培養タンクのコンディション(有効菌の定着 温度管理など)、米ぬかの質と混ぜる手の常在菌、そして混ぜ終わったボカシを絶対嫌気発酵させる為に丈夫な袋に入れてプレスをかけるのが秘訣です。
こうして出来たEMボカシは甘い味噌のような香りがし、牛や動物は喜んで食べます。
一般的には家庭の生ゴミコンポスターに発酵のスターターとして入れられ、これを支援する市町村はかなりの数に及んでおります。
EMボカシネットワークの次に関わったのがEM復興支援プロジェクトで、これについての詳細は過去のブログに譲ります。
ここではEMが疑似科学と言われる様になった要因の一つである、「EMが放射能を消す」といった流言について述べさせて貰います。
これは残念ながらEM研究機構の内部でも意見の対立を生み、私はヒガテル社長のワンマン的な研究方針の決定(放射能を消す研究)に反論を唱える者でした。
私は福島でEM研究機構に入る前から、二年程ボランティアでEMの普及活動を行っており、ちょっとしたボランティア センターも南相馬に開いていたので放射能についての勉強は誰よりもした積もりです。
一方ヒガ先生は年に数回福島に来られるくらいで、80近いお年なので放射能についての勉強もあまりなされらなかった様です。 私が元素の転換を行う弱い力(ニュートリノの相互作用)とEMの関連について尋ねても、ノーアイデアでいらっしゃいました。
もう一つ、「地球を変える男」という本で唱えられている、マイクロ バブル エンジン(東大の先生も唱えてる)による元素転換についても、研究方針に加えては如何がかと進言しましたが却下されました。
EM研究機構の中には、ヒガ教授の言う事は絶対に正しいとする職員もおり、私のようなボランティア風情がヒガ教授の研究方針にケチを付けるなんてとんでもないと見る人も居りました。
確かに、農学の進歩の為に文字通り命を捧げて闘って来られ、沖縄では農聖サイオンの生まれ変わりとまで崇められる大先生に、私ごときが意見するのはおこがましい事ではあります。
しかし放射能の汚水は溜まり続け、農業被害と健康被害は地域を分断しており、そうした場所にずっと留まっている人間としては意見せずには居られませんでした。
結局、「EMが放射能を消す」というのは僅かに崩壊のスピードを速めると言ったレベルで、それは広範囲に適用できて役に立つ次元の技術には成りませんでした。
まあしかし、崩壊のスピードを速めるという事はEMがニュートリノに作用しているという事かと思え、ニュートリノ波はようやく受信機(スーパーカミオカンデ)が出来て宇宙通信の有力な手段(物質と重力の影響を受けずにどこまでも到達する)になるかもと言われ、他の宇宙文明と通信が出来るとしたらニュートリノ波以外ではムリかと思うので、将来以外な所で芽が出る研究をやらされたのかも知れません。
話を前回の河川浄化に戻しますと、なぜ世界で絶賛されるEM浄化システムが日本では認められない(地域差があり沖縄や愛知では認められてる)かと言いますと、旧式な日本の塩素一本槍による水質浄化では、水中の微生物を殺し尽くせば浄化されたモノと考えており、もちろんそれでは生態系は回復せずに流れ込む海の生態系をも破壊してしまいます。
この浄化システムを支持する地方自治体は、EMを投入したら逆に微生物が増えてしまうので問題だと言います。
まあこんなレベルの話は、世界中で河川が蘇っている事例をその目で観ればすぐに納得できるかと思います。