それは「Sun」の物語の主人公がみんな女性だからで、男の私がそれを描くには「女性らしい気配りと優しさ」が必要かと思うからです。
秀祥(Shu-Shan)がモルモン教とホピの予言による「ネイティブのキリスト」となるストーリーは、そこに「ブレサリアンへの道」も盛り込むコトにしました。
それは秀祥に聖性を持たせるためで、前にも「Sin」の慎語、「Shu-Shan」の行善、「Say」のセイなどを通してこれを描いてきました。
それはまた、「微生物と心を通わせる力」として描いて有機農業へと発展し、ヒーリング能力もこれに通ずるモノです。
私はそれを単に「奇蹟」としてではなく、出来るだけリアリティを持たせて描いて、誰にでも仏(キリスト)になれる可能性があるとする仏教を支持したく思います。
こうした「人間の可能性」を尊重するコトこそが平和への道に思え、それこそが文学の役割の様な気がし、人と人が殺し合う戦争を無くすコトが文学の最大の使命かとも思えます。
戦争は多くの「矛盾」が生み出すモノで、まずはその原因をハッキリさせてから、矛盾を解きほぐす智慧を描くべきかと思います。
それにはやはり「女性らしい気配りと優しさ」を前面に出すべきで、「男性らしい豪胆さと勇気」は後方に待機させるべきでしょう。
秀祥がアメリカ西部ナヴァホの地で挑む「矛盾」はかなり根が深く、それは過去におけるネイティブ-アメリカンのジェノサイド、現在の保護政策によるネイティブ社会の堕落、失業問題による軍隊とウラン鉱山への依存、などの矛盾がハッキリと現れています。
またそれはより深いところで、核産業の人種差別的な矛盾(ヌクレア-レーシズム)、掘り出しモノは使わざるを得ない政治経済的な矛盾、そして現代医学ではウラン粉塵による肺ガンを治せないという矛盾があります。
果たして秀祥にこれらの矛盾を解きほぐすコトが出来るのか... その具体的な方策を次回から描いて行きます。