痛みとは快感だ。と思う。
自分を傷つけることは悪いことだと知っている。
別に他人に傷つけられたいわけでもない。
でもやっぱり痛みが欲しくなる瞬間がある。
どうしてもスッキリする、と感じてしまう。
すなわち痛いことが気持ち良いのだと思う。
私の場合は死にたいわけじゃない。
むしろ死ぬのは怖いし、死にたくない。
中学生の頃から自傷行為をしているけれど、死ぬための手段にリストカットを選ぼうと思ったことはない。
あくまでも自傷行為はストレス解消の一つなのだ。
「痛みは快感である」と脳が認識してしまった以上、その回路を断ち切ろうとしても到底できることではない。
依存性の強い麻薬だ。
そして、他人に見られたいとも思っていない。
サイトでも見たように、自傷行為は1人で行われることが多い。
私ももちろんそうだ。
唯一の例外は授業中にした時だけど、あれも極力バレないようにしていたし、あの日は後ろの子が休みだったからなのであって、誰かに見せたいと思ったわけではない。
たまたまカミソリを待っていて、しかも衝動がやってきただけ。
休み時間にトイレで切ったり、屋上につながる階段に座って切ったりしたこともあるけれど、その時だって1人だ。
1番多かったのはもちろん自分の部屋だし。
誰にも見られずに切れるのは自分の部屋だったからだ。
私は誰かに見てほしかったわけじゃないし、むしろ見られたくないと思っていた。
リストカットには自分の辛さが表に出てくるっていう特性があるから、「誰かに見てほしいんじゃないか」と誤解されやすいのかもしれない。
ただ、大体のケースではアピールのためではなくて、はけ口のないイライラや悲しみ、怒り、苦しみを自分にぶつけているだけ。
「見つけてほしい」とは思っていないと思う。
それは確かだ。
私はどうしてリストカットに走ってしまったのだろうか。
その原因の一つに、「悩みを相談することは当たり前だ」ということを「知らなかった」ことが挙げられると思う。
私からしたら、みんなはどこで相談することを学んだのか、とさえ思える。
私は悩みの相談の仕方を知らずに悩みに出会ってしまった。
どうしたら良いのかを知らないから1人で抱え込まざるを得なかったのだ。
その行き場のないストレスがリストカットによって明らかになったのだと思う。
偶然にも話を聞いてくれる人が見つかり、悩みを相談することを覚えられたからリストカットに頼る必要はなくなったが、その偶然がなければきっと悩みを相談することはできなかった。
そうなっていたらもっとリストカットがエスカレートして、誰かに切っている現場を見られたり、もしかしたら命に関わるような事態になったりして初めて悩みを話せるようになっていたかもしれない。
リストカットを始める前に「頼って良いんだよ」とか「1人で抱え込まないで」とかって言って欲しかった。
1人で抱え込んで腕に消えない傷をつける前に...。
基本的にリストカットには段階があると思っている。
いきなり深い傷をつけることは考えにくいからだ。
私の場合、小6の終わり頃から中1の春くらいまでの間にごく薄い傷をつけていた。
そのあと、色々な出来事が重なり、最初に回数が増えた。
1日2〜30回は傷つけていたと思う。
ただ、この頃はカッターの刃先で傷つける程度だったからすぐに消えていた。
ある日、私はカミソリに挑戦してみようと思った。
かつて挑戦した時には痛くてすぐにやめてしまったが、カッターの刺激に慣れてしまっていたので、あっさり手を出せた。
カミソリとカッターでは切れ味が違うため、カミソリにしてからの方が深く切れた。
カッターの傷はほんの少ししか残っていないのに対して、カミソリでつけた傷はほとんど残っている。
だからこそ、今深く傷つけている人はその傷の前に相当な数の傷があったのだと考えられるのだ。
傷が浅いうちに相談することを覚えられれば、深い傷になって残ってしまう前に止められると思う。
私は「自傷行為をやめろ」とただ言う行為に意味はないと思っている。
もちろん自傷行為は死につながる可能性があるから「やめなさい」と言うことは必要だと思う。
ただ、頭ごなしの否定は反発を生む。
私もただ「やめろ」と言われたら、やめられないと思う。
どうしたら良いのかがわからないからだ。
リストカットをできなくなったらどう生きていけば良いのかわからなくなるのだ。
もし「やめろ」って言うんだったら、リストカットをやめたらどうやってストレスを解消すればいいのかまで教えてほしい。
自傷行為の経験がない人にしてみれば、リストカットが日常だなんて思わないだろうから、簡単に「やめろ」と言えるけど、自傷行為をしている人にとっては唯一気持ちをぶつけられる場所だ。
それを奪うんだから、代替案は提示すべきだと思う。
また、どうして自傷行為をしているのか、というところにまで目を向けてほしい。
自傷行為そのものを見るだけではなくて、その背景に何があるのかまで見ることで、辛さを話せるようになる可能性もある。
自傷行為は本人からの「SOS」なのだ。
もう一つ、もし過去のものと思われる傷を見つけた場合、触れていいのかどうかわからないと思う。
そんな時には「辛かったんだね」と声をかけることをお勧めする。
言われた側は「過去の自分が肯定されている」と思えるからだ。
私も不意に傷に気づかれてしまい、非常に焦った時にこの言葉をかけられた。
その時、なぜか嬉しくて涙が出そうになった。
「相手を否定しない」
これは本当に大切なことだと思う。
いちいち改行しているせいもあると思うけど、これで3000字か...。
今度書くレポートが3000字だから、文章量的にはこれくらいか。
ちなみにこれは授業中に書いたものです。笑
何やってるんだ、って話ですよね。笑
でもこれが私の偽らざる本音です。
大学一年生になっても、中学生の時と思考の根本的な部分は変わっていないみたいです。
いつになったら変われるんだろうか。