筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

笹野才蔵4 (笹野才蔵は笹野権三郎)

2021-07-03 09:41:41 | 山笠

17番ソラリア山笠の笹野才蔵


『笹野権三郎名槍伝』の笹野権三郎


大橋重雄作の笹野才蔵の人形

かの戦国の猛者「可児才蔵」が博多では、美男の若侍「笹野才蔵」として知られています。
これは近松門左衛門の浄瑠璃「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」に登場する
「笹野権三郎」が講談でも大流行し、才蔵の図像を考案したお札の図案の製作者か
博多人形師が「可児才蔵」とは全くの別人「笹野権三郎」の人気にあやかった結果、
「笹野才蔵」が若侍姿となったと言われています。

【笹野権三郎】
宝蔵院流の槍術家。名は義胤。紀州藩士、のち、筑後柳川藩士(三百石)。
父の仇討と美男とで知られ、槍の権三とうたわれた。
寛永~慶安(1624‐1652)頃の人(コトバンクより)
【参考】 昭和10年 須田元一郎「九州北部の伝説玩具」『旅人伝説』8巻8号通巻92号

笹野才蔵3 (笹野才蔵は可児才蔵)

2021-07-03 09:20:28 | 山笠

17番ソラリア山笠の可児才蔵


広島県東区にある才蔵寺の屋根裏から発見された才蔵の甲冑と三又槍
(「戦国最強の武将と呼ばれた男~槍の才蔵~可児才蔵展」2020御嵩町中山道みたけ館より)



可児才蔵は関ケ原合戦後は福島正則家に従い広島に入り
才蔵寺を開いたとされ、ここに彼の墓所があります。
この地に慶長18年、60歳で没したとされています。
ソラリアのヤマに登場した才蔵の兜はこの才蔵寺の
屋根裏で発見された彼の具足をモデルとし、得物の三又槍は
この寺に伝わる才蔵の槍を写したものです。
山の最上部に掲げられた旗には違い笹羽の才蔵の家紋が使われています。