筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

十七番ソラリア山笠 筑紫遷都誉

2021-07-08 06:28:19 | 山笠

【見送り】 筑紫遷都誉(つくしせんとのほまれ) / 人形師:小嶋慎二

日本の古代国家はアジアの接点「福岡」の地から始まった!

(解説)西暦 661 年。朝鮮半島での友好国百済(くだら)の滅亡という有事に際して、
時の女帝であった斉明天皇が飛鳥の地を出て都を初めて近畿の外の「筑紫」(現在の福岡)の地に移しました。
この遷都には斉明天皇の皇子である、中大兄皇子(後の天智天皇)や弟の大海人皇子
(後の天武天皇)をも伴った本格的な遷都でした。  
その地は『日本書紀』によれば那の津にほど近い「磐瀬宮(いわせのみや)」と記され 、
そこは間もなく「長津宮(ながつのみや)」と称されます。
その後、宮はさらに「朝倉橘 広庭宮」(あさくらたちばな ひろにわのみや)に移されました。
「磐瀬宮」の推定地の一つは西鉄高宮駅付近とされ、「磐瀬橋」にその名が残されています。
「朝倉橘廣庭宮」は朝倉市や小郡市、太宰府市などの説があります。
この出来事の後、天智天皇や天武天皇の施策が礎となり、東アジアの規範に準拠した律令
制度に基づく古代国家「日本」が誕生しました。
この福岡の地にかつて国都があったことは、この地が地政学的に古代からアジアとの接点であったことを物語っています。

登場人物;斉明天皇、中大兄皇子、大海人皇子、阿倍比羅夫、朝倉山の鬼