筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

笹野才蔵2 (笹野才蔵は可児才蔵)

2021-07-02 05:32:53 | 山笠

17番ソラリア山笠の可児才蔵


「関ケ原合戦屏風図」の可児才蔵

『石田軍記』なる書物によれば、可児才蔵は関ヶ原の戦いでは福島正則に従軍し、
合戦で次々と上げた敵の首の鼻の孔、耳の底に笹を押し込んで印とし、
首実験の際に17の首級があったことで徳川家康から称賛され、
家康から「笹才蔵」の名をもらったことが記されています。

可児才蔵は美濃国可児郡 ( 現在の岐阜県御嵩町 ) 出身で、
ここにある願興寺に伝わる『大寺記』によれば、
才蔵の母宗珠尼は越前の朝倉義景の妾で朝倉家滅亡に際して
美濃に逃避し、この地で才蔵(可児太郎)を生んだとされています。
長生して斎藤龍興、明智光秀、前田利家、森長可、福島正則
などの戦国大名に仕えたとされています。


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