広島ブログ
ランキングに参加しています。あなたのポッチンで私は幸せになれます。
第一回「お題を決めて書きましょう」のお題は「おじいちゃん」「おばあちゃん」ですが
言いだしっぺのパパが書かないわけにはいきませんよね。少しプレッシャーを感じて
います。
生まれた時、既にお祖母ちゃんは亡くなっていたので、否応なしでおじいちゃんを語る
しかない。
おじいちゃんの名前は長男なのに喜三郎だった。しかし親戚や近所の人達は、漢字は知
らないが「きさいっつぁん(きさいちさん)」と呼んでいた。
昔はどうも役場の戸籍係がエエカゲンだったようで、爺ちゃん以外にも時々「戸籍上の
名前が違う」と云う話をよく聞く。
母も、近所の自称漢字博士のシッタゲな小父さんが、母が生まれた頃ちょうど役場で
戸籍係をしていたらしく
「こっちの字のほうがええけえ、変えんさい」と、漢字を無理矢理変えさせられたらしい。
母だけじゃなく、母と同年輩の近所の子は、殆どが、その戸籍係の小父さんのせいで、
読めない当て字にさせられた。 例:静子(しずこ)⇒徐子
話が逸れたので、話を「きさいっつぁん」の話に戻します。
きさいっつぁん、鉄道に勤めている間は「石部金吉」で、有名な真面目な鉄道員だった
のだが、55歳で定年してすぐ、おばあちゃんが亡くなってから、グレちゃった。
博打はやらないし、酒は好きだったが「ヘベレケに酔っ払った姿」は見たことがない。
どうグレたかと云うと、女。近所の未亡人に逆上せあげて、貢いだ貢いだ、貢ぎ上
げたw よく年を取ってグレた分は、始末が悪い、治らない、と言われるが、まさに
それです。
パパが生まれた時、我が家の土地は3町7畝(9,210坪)あったらしい。それが、
きさいっつぁんが77歳で亡くなった時、住んでいた家の50坪しか残ってなかった
けえねw
土地を売っては、彼女と旅行三昧。56歳から15年くらい、1年の半分以上はどこか
に旅行をしていたので、滅多に家にいなかった。
日本中回ったんじゃろうね?「どこに行く」とは言わず、「○○のばあさんと旅行に
行ってくるけえ」と、1月くらい平気で帰ってこなかった。
今、それだけの土地を売れば、おそらく20億円以上はするので、まあよう使った
もんだよね。とは言っても15年だから、1年1億ちょっとだから、使えるか!
だって旅行だけじゃなく、○○のばあさんには、豪邸も建てて上げてるから。
ママが薬局に務めていた時、その○○のばあさんちの嫁が、大量にオロ〇〇〇Cを買い
「配達してくれない?家は××に大きな家があじゃろ。知っとって?あそこの○○なん
じゃけど」と言ったから、さあ大変(どぅ大変なんよw)
父や母、パパから「そこそこ土地持ちだったが、きさいっつぁんが貢いでなくなった話」
を聞いていたママは、咄嗟にこう答えたんだって。
「よ~~く、存じておりますよ。ワタクシ、サカタの嫁ですから。、お義祖父ちゃんが
大変お世話をさせていただいたとか。はい、よ~~く存じております!」と ><;
で、○○のばあさんとこの嫁は、はあ二度と来なかったって。
きさいっつぁんは3代目、財産は3代続かないと言われる見本みたいなもんですよね。
そんな、きさいっつぁんだけど、パパはそんなに嫌いではなかった。3歳くらいかな
春になれば(当時は)うちの山だった山に、きさいっつぁんと筍を一緒に掘りに行き
大八車にそれを乗せ、一緒に海田市駅前にあった、市場に持って行くのだが、3才の
子供には「役立ってる」ことと、それでお金が稼げていることが嬉しかった。また、
その中から、3才には多過ぎる小遣いをくれた。50円くらいくれていたと思う。
それだけじゃない、幼稚園の頃、近所の小学2年生に殴られて泣かされたことがあり
それを偶然みていた当時65歳のきさいっつぁん、鉄道で野球をしていたらしいが
65才とは思えない走りで、悪餓鬼を追っかけまわして捕まえ、なんと殴って泣かした。
それ以来、中学を卒業するまで、その近所の悪餓鬼は「そいつを苛めたら爺さんが出て
くるで」と、パパを守る側に回ってくれた。いや、ほんま。
そんなきさいっつぁんを、嫌いではなかった。父も「どうせ竹松(初代)の嫁さんが
持参金代わりに持ってきた土地で、働いて出来た土地じゃあないじゃけ」とか「財産
なんて3代続かんもんじゃけ」と、きさいっつぁんが使った事への恨みごとは、あまり
言わなかった気がする。まあ、父は本さえ読んでいれば良い知識欲だけが旺盛だが、
働く事も嫌い、食欲も物欲もない、仙人のような人だったけえね。
しかししかし、親父が死んだ後読んだ親父の日記には「〇〇を恨む」と、〇〇の
ばあさんのちへのメッセージが、短く書いてあったけえね。かっこつけて、親父も
人間じゃったw
パパも「大人になったら社長になって、じいちゃんが使った以上を自分で稼ぐけえ」
と言っていたのだが、社長にはなったがサラリーマンより稼げん社長wそうなると
今頃になって「くっそ~、きさいっつぁんが皆使わんかったら、俺が使ったのに」
と、わけの分からん、超遅い、愚痴をしょっちゅう言ってしまうw
まぁ、人は悪くなかったけえね。財産を全部女につぎ込んだだけで(それが1番
の問題かw)
字は上手く、近所で葬式があれば、必ず帳場で字を書いていたし、なんと古い家の
離れは自分1人で建てるほど、大工仕事も器用にこなした。野球を観に行けば、
素手でライナーのファウルを掴むんで拍手が起きた。なんでもきさいっつぁんの
していた時代の野球は、硬球なのに手袋みたいな薄いグローブでキャッチャー
だったらしい。だから素手でライナーをスパッと捕れたんだろうね。
そんなきさいっつぁん、今生きていたら118歳。嫌いじゃなかったが、やっぱし
親父の方が大好きじゃねw
おそらく(違うかもしれないが)ブログを書き始めて8年になるが、初めてきさい
っつぁんについて、こんなに詳しく書いたんじゃなかろうか?
結論、嫌いじゃないが、好きでもないw そうそう、誰だったかな?ま誰かが
言っていたのだが、
「きさいっつぁんは、一生で2人しか女を知らんらしいで」
「真面目過ぎて、欲深な〇〇のばあさんに騙されたじゃろうの」と。
たぶん当たってると思う。〇〇のばあさん、子供心に「大嫌い」だった。あの、
笑顔なのに笑っていない、あの目は、今も簡単に思い出せて、吐き気がする。
敬老の日なのに、うやまう内容じゃなかったね?ま、いいか!
☆第5回「偽レブの会」参加者募集中。詳細、参加申し込みはこちらから。⇒ ★
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言いだしっぺのパパが書かないわけにはいきませんよね。少しプレッシャーを感じて
います。
生まれた時、既にお祖母ちゃんは亡くなっていたので、否応なしでおじいちゃんを語る
しかない。
おじいちゃんの名前は長男なのに喜三郎だった。しかし親戚や近所の人達は、漢字は知
らないが「きさいっつぁん(きさいちさん)」と呼んでいた。
昔はどうも役場の戸籍係がエエカゲンだったようで、爺ちゃん以外にも時々「戸籍上の
名前が違う」と云う話をよく聞く。
母も、近所の自称漢字博士のシッタゲな小父さんが、母が生まれた頃ちょうど役場で
戸籍係をしていたらしく
「こっちの字のほうがええけえ、変えんさい」と、漢字を無理矢理変えさせられたらしい。
母だけじゃなく、母と同年輩の近所の子は、殆どが、その戸籍係の小父さんのせいで、
読めない当て字にさせられた。 例:静子(しずこ)⇒徐子
話が逸れたので、話を「きさいっつぁん」の話に戻します。
きさいっつぁん、鉄道に勤めている間は「石部金吉」で、有名な真面目な鉄道員だった
のだが、55歳で定年してすぐ、おばあちゃんが亡くなってから、グレちゃった。
博打はやらないし、酒は好きだったが「ヘベレケに酔っ払った姿」は見たことがない。
どうグレたかと云うと、女。近所の未亡人に逆上せあげて、貢いだ貢いだ、貢ぎ上
げたw よく年を取ってグレた分は、始末が悪い、治らない、と言われるが、まさに
それです。
パパが生まれた時、我が家の土地は3町7畝(9,210坪)あったらしい。それが、
きさいっつぁんが77歳で亡くなった時、住んでいた家の50坪しか残ってなかった
けえねw
土地を売っては、彼女と旅行三昧。56歳から15年くらい、1年の半分以上はどこか
に旅行をしていたので、滅多に家にいなかった。
日本中回ったんじゃろうね?「どこに行く」とは言わず、「○○のばあさんと旅行に
行ってくるけえ」と、1月くらい平気で帰ってこなかった。
今、それだけの土地を売れば、おそらく20億円以上はするので、まあよう使った
もんだよね。とは言っても15年だから、1年1億ちょっとだから、使えるか!
だって旅行だけじゃなく、○○のばあさんには、豪邸も建てて上げてるから。
ママが薬局に務めていた時、その○○のばあさんちの嫁が、大量にオロ〇〇〇Cを買い
「配達してくれない?家は××に大きな家があじゃろ。知っとって?あそこの○○なん
じゃけど」と言ったから、さあ大変(どぅ大変なんよw)
父や母、パパから「そこそこ土地持ちだったが、きさいっつぁんが貢いでなくなった話」
を聞いていたママは、咄嗟にこう答えたんだって。
「よ~~く、存じておりますよ。ワタクシ、サカタの嫁ですから。、お義祖父ちゃんが
大変お世話をさせていただいたとか。はい、よ~~く存じております!」と ><;
で、○○のばあさんとこの嫁は、はあ二度と来なかったって。
きさいっつぁんは3代目、財産は3代続かないと言われる見本みたいなもんですよね。
そんな、きさいっつぁんだけど、パパはそんなに嫌いではなかった。3歳くらいかな
春になれば(当時は)うちの山だった山に、きさいっつぁんと筍を一緒に掘りに行き
大八車にそれを乗せ、一緒に海田市駅前にあった、市場に持って行くのだが、3才の
子供には「役立ってる」ことと、それでお金が稼げていることが嬉しかった。また、
その中から、3才には多過ぎる小遣いをくれた。50円くらいくれていたと思う。
それだけじゃない、幼稚園の頃、近所の小学2年生に殴られて泣かされたことがあり
それを偶然みていた当時65歳のきさいっつぁん、鉄道で野球をしていたらしいが
65才とは思えない走りで、悪餓鬼を追っかけまわして捕まえ、なんと殴って泣かした。
それ以来、中学を卒業するまで、その近所の悪餓鬼は「そいつを苛めたら爺さんが出て
くるで」と、パパを守る側に回ってくれた。いや、ほんま。
そんなきさいっつぁんを、嫌いではなかった。父も「どうせ竹松(初代)の嫁さんが
持参金代わりに持ってきた土地で、働いて出来た土地じゃあないじゃけ」とか「財産
なんて3代続かんもんじゃけ」と、きさいっつぁんが使った事への恨みごとは、あまり
言わなかった気がする。まあ、父は本さえ読んでいれば良い知識欲だけが旺盛だが、
働く事も嫌い、食欲も物欲もない、仙人のような人だったけえね。
しかししかし、親父が死んだ後読んだ親父の日記には「〇〇を恨む」と、〇〇の
ばあさんのちへのメッセージが、短く書いてあったけえね。かっこつけて、親父も
人間じゃったw
パパも「大人になったら社長になって、じいちゃんが使った以上を自分で稼ぐけえ」
と言っていたのだが、社長にはなったがサラリーマンより稼げん社長wそうなると
今頃になって「くっそ~、きさいっつぁんが皆使わんかったら、俺が使ったのに」
と、わけの分からん、超遅い、愚痴をしょっちゅう言ってしまうw
まぁ、人は悪くなかったけえね。財産を全部女につぎ込んだだけで(それが1番
の問題かw)
字は上手く、近所で葬式があれば、必ず帳場で字を書いていたし、なんと古い家の
離れは自分1人で建てるほど、大工仕事も器用にこなした。野球を観に行けば、
素手でライナーのファウルを掴むんで拍手が起きた。なんでもきさいっつぁんの
していた時代の野球は、硬球なのに手袋みたいな薄いグローブでキャッチャー
だったらしい。だから素手でライナーをスパッと捕れたんだろうね。
そんなきさいっつぁん、今生きていたら118歳。嫌いじゃなかったが、やっぱし
親父の方が大好きじゃねw
おそらく(違うかもしれないが)ブログを書き始めて8年になるが、初めてきさい
っつぁんについて、こんなに詳しく書いたんじゃなかろうか?
結論、嫌いじゃないが、好きでもないw そうそう、誰だったかな?ま誰かが
言っていたのだが、
「きさいっつぁんは、一生で2人しか女を知らんらしいで」
「真面目過ぎて、欲深な〇〇のばあさんに騙されたじゃろうの」と。
たぶん当たってると思う。〇〇のばあさん、子供心に「大嫌い」だった。あの、
笑顔なのに笑っていない、あの目は、今も簡単に思い出せて、吐き気がする。
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