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今朝のブログで「了解」についてシッタゲに語ったのですが、コメント欄にママンサが
「ご苦労様」と「お疲れ様」も調べて!と書き込んできた。家で直接言えば良いのに?
とコメント欄でやり取りする夫婦を不自然に思った方がいらっしゃるかも?w いやね
実は家では殆ど会話がないのですよw 仮面仲良しさんですので・・・
現在のマナー教育では、「目上の人にはお疲れ様です。目下の人にはご苦労様」が
常識になりつつあるようですね。例えば、ここ
しかしこのマナー本には、結論だけで根拠が書いてないので、あちこちネットで調
べてみたが、どちらも「語源」は出てこない。語源は出てはこないが、主な理屈を
みつけたので、それを書いてみますね。
「ご苦労様」は、労い(ねぎらい)の言葉、主従関係の上位者が「指示」や「命令」に
従い結果を出してくれたものに対して発する労いの言葉である。と言われると「ああ
なるほど」と説得力があるので納得しますよね。しかし、それは字面からの「後付け
の屁理屈」のような気が、私はするんです。
何故なら(当然私が調べた訳ではないが)多くの方が昔の文献を調べると「ご苦労
様」を目下が目上に使っている例が多く出てくるようです。
例えば、正岡容著「小説圓朝」では、木戸の爺さんが、圓朝師匠に向かって「師匠
御苦労さまで」と挨拶している。上下関係の厳しい筈の芸の世界でである。
また、宮本百合子の「わが父」でも、作者は父親の葬儀の場面で「可愛い可愛いお
父様。その言葉が思わず途切れ途切れに私の唇からほとばしった。どうも御苦労様
でした、そういう感動が私の体じゅうを震わすのであった」と書かれているそうだ。
また、例は示されていないのだが、まず語源を調べてみようとした方が、調べてみ
ると「江戸時代や明治時代にはご苦労様は目上の人に言う言葉」だったと結論を
書いていた。上の2つの例も、目下が目上に使ってますものね。
もう一つ追い討ち、飯間浩明(いいまひろあき)著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』
(岩波アクティブ新書75)に、「ご苦労さま」という一節があります。筆者によると
江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎のたぐいを調べてみたが、身分の上の者が下の者の
労をねぎらう言葉として「ご苦労」という語が用いられていた例を見つけるに至らず、
かえって、目下の者が目上の者に使っている例が目についたそうです。
あれあれ、おかしいぞ。現代のマナー本。と思えてくるでしょw。そして決定的な
ことに、過去の文献から「お疲れ様」と云う表現は出てこない、探せなかったよう
ですよ。
だから、江戸や明治の頃までは、目上に対して「ご苦労様」が常識で「お疲れ様」
は、その言葉すらなかった。しかし、だれも書いていないが(調べられなかったの
でしょう)いつの頃からか、目下から目上に対して使っていた「ご苦労様」は、
気が付かないうちに「お疲れ様」にアップデートされてしまっていたんです。
だから、会社の守衛のじいさんが「ご苦労様」って言ってくるんだが。と云った
スレッドがたち、常識がないと非難されていますが、実は「じいさん」は、前出
の木戸の爺さんと一緒で「ご苦労様」が「お疲れ様」にアップデートされていな
いだけ、「常識」が変わったことをご存じない、言葉のファイルの「お疲れ様」
がないだけなんですよね。また、厳密に言えば古くは「ご苦労様」の方が正しい
用法だしね。
と、ここまで書いたら結論は、目上にも「ご苦労様」で良い。となりそうですが、
言葉は変わりますから、昔の用法がどうあれ、現在殆どのマナー本でそう書かれて
いるのなら、あえて目上に「ご苦労様」を使わないで「お疲れ様」を使った方が
賢明ですよね。
どうしても語源からそれが気に入らん方は、どちらも使わなければ良いと思う。
そもそも「労をねぎらう」(意味が2重ですが、これ、ええんかね?)「目上に
ねぎらいの言葉」を掛けること自体がおかしいと思う。
ねぎらわず、感謝の「ありがとうございました」にしてはどうですか?
上司「悪いね、先に帰らせてもらうよ」
部下「ありがとうございました」?? 変じゃわ。やっぱし「お疲れ様でした」だw
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