NHKの『認知症キャンペーン』。
「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」はちまちまと観ていました。
しかしながらどうも穿った視点。
「知っとるわい」
「それが出来たら苦労しないわ」
「だからまずそのケアができるように、給料を以下略」
しかし先日放送された認知症キャンペーン特番第5弾「認知症の私からあなたへ」は、色合いがまるで違いました。
佐藤雅彦さん、61歳。
働き盛りの51歳で若年性アルツハイマー病、認知症に。
仕事のこと、住まいのこと、病気のこと……「記憶することができない」という困難に見舞われながら、様々なチャレンジを重ねた10年間。
その10年間の記録は、私の、認知症に対する固定観念を塗り替えるものでした。
再現ドラマで佐藤さん役を演じるのは緒方直人さん。
認知症になっても諦めることなく、人生を歩んでいくことができる、そんな希望を感じました。
Nスペなどなど関連リンク
・『歴史秘話ヒストリア』谷崎潤一郎回、変態と天才は紙一重。
・NHKスペシャルの感想まとめ。スパイ戦、兵馬俑、三内丸山などなど。
・【ナニカチガウ感】『新・映像の世紀』に感じた、これじゃない感【一部閲覧注意】
・『ドナルドキーンの愛した日本人』、水のような伝統を。
・N特、シルクロード
■記憶は出来ないけれど記録は出来る。
認知症との診断後、混乱もあった佐藤さんですが、友人の勧めた携帯電話がその人生を大きく変えました。
「手のひらの小さな携帯はまるでもうひとつの頭脳のように思えたのです」
起床時刻を記録する。
自分の顔色を記録する。
記憶は出来なくても、記録は出来る。
携帯電話についているカメラ、今ではすっかりスマートフォンですが、人生を記録したのでしょう。
まさにもうひとつの頭脳。
佐藤さんは当時から今でも一人暮らし。
失敗するたびにそれを記録し、さらに対策をPCに入力して記録。
きっと生活は楽ではないと思います。
でも『生活』を、『人生』を諦めない姿勢に、素直に応援したくなりました。
努力の塊のような方だと感じました。
失礼ながら、認知症の方に「頭のいい人だなあ」と思ったのはこれが初めてです。
「記憶がたとえ消え去っても私は私。私が生きている確かな証がここにあります」
佐藤さんが生きる四季折々の花が咲く風景が美しくて。
佐藤さんの生きている証は、確かに今そこにあって。
認知症でも誰にでも生きている証はある。
そんな当たり前のこと、たまに忘れそうになっていました。
たとえ佐藤さんのように自分自身で記録は出来なくても、介護者が記録をすれば、その介護記録はその人の生きた証になる。
バイタルサインも、食事量も、睡眠状況も、日常の言動も、全て生きている記録。
介護福祉士として在職当時から、「ケア記録はこの仕事の要だ」と後輩に指導していましたが。
それはあくまでも「職員目線」のものでした。
けれど利用者さんたちにとっても、それは「要」であり「証」なのだなと。
■不幸ではない
「できないことは増えてもまだまだやれることはある。
認知症の私だからこそできることがある」
「不便ではあるけど不幸ではない」
「使命とやりたいことが一致したら生きがいになる」
佐藤さんの言葉に、思わず息をのみました。
正直に言うと、考えたことなかったんです。
「認知症の私だからこそできることがある」
もちろん認知症の人が何もできないわけじゃないです。
でもそれって「じゃあ○○さん、新聞を折ってください」「タオルを畳んでください」とこちらから渡すもの。
それも生きがいとかのためではなく、特に認知症の方に対しては「まあ穏やかに過ごしてください」くらいの感覚。
ごめんなさい、本当にごめんなさい……
本当にすべき声掛けは「できますか?」だけではなく「やれますか?」「やってみますか?」「やりたいですか?」なのかもしれません。
そこでご本人が見出した「やりたいこと」と「使命」が「生きがい」につながる。
■私は大丈夫ですよ
付き添いのナースは鈴木さん(手前)。
一番最初に佐藤さんに会ったときのとまどいが描かれました。
「認知症の人はひとつのことに集中しているから、歩いているときに話しかけてはいけない」
と、佐藤さんに話しかけるのをためらっていたようです。
それで思い切って「話しかけて大丈夫ですか?」と聞いてみたら
看護師の鈴木さんの気持ちを思うと、心が痛みます。
認知症だからあれこれに気をつけなきゃいけない。
それは仕事柄、仕方ないことです。(いや、だって看護師も介護士もそういう仕事だから)
でも、「認知症の人は○○だからー」っていうのも偏見だったのかもしれないなあって。
一番の偏見だったのかもしれないなあって。
「私は大丈夫ですよ」
『認知症の人』と疾患や障害でくくってみてしまう。
『私』をみているつもりなんだけれども、気が付いたら病のほうに目が向いてしまう。
専門家だからこそぶつかる、見えない壁。
佐藤さんの言葉に心が痛みます。
仕事に悩んだ看護師の鈴木さんを、佐藤さんが「聞かせて」と励ました瞬間、
それが再現映像だとわかってるのに涙が出ました。
私も仕事で辛かったとき、家族にも友人にも同僚にも言えないことを聞いてくれたのは誰だったかな。
そうだ、利用者さんたちだったなあって。
元気してるかな。
もう10年近く前だし、もしかしたら空の上かな。
ごめんなさい、それから、ありがとうございます、と。
■私は今、かなり生きているぞ。
悩むのは 生きているから
痛むのは 生きているから
悲しむのは 生きているから
私は今 かなり生きているぞ
なんて希望に満ちた言葉なんだろうと。
障害、闘病、介護…認知症に限らず医療系の関する番組はわりとよく見ます。
かねがね思っていたのは「本当の認知症を映せ」ということでした。
というのも認知症周辺症状のひとつ、暴力行為などです。
実際に私も負傷しましたし、同僚は大怪我を負ったりしています。
が、知られている通り介護職員は薄給。
「認知症の介護って本当に大変なんだ!早くマスコミはテレビに映して、国は政策をマジで考えろや!」
と思っていました。
でも、ふと思う。
『本当の認知症』ってなんだろう。
私自身、認知症というステレオタイプに、すべての患者さんをくくっていたのではなかったか。
希望を抱きながら、新しい人生を歩んでいく佐藤さんの姿をみながら、猛省しました。
「生きる可能性」「新しい人生」「認知症になってよかったこと」
考えたこと、あったかな……。
認知症の番組は、家族介護の大変さやタクティールケアの可能性などなど、NHKをはじめ多くの番組で作られています。
「認知症の私からあなたへ」はよくある認知症関連番組とは違った視点で、考えを大きく揺さぶってきました。
諦めなくていい。
認知症でも、人生を記録していける。
ここからまたはじまる。
そんな希望に満ち溢れている、佐藤さんの姿に涙しました。
実に多くのことを考えさせられました。
上述の私自身の介護観、というか認知症の方に対する見方。
それから、初期に発見することの重要性。
佐藤さんも若いうちに発見することができ、発症しながらもまだ年齢が若く、適応力もあったから……というのもあるんだと思います。
また登場している携帯電話やパソコン、タブレットなどの端末。
それを認知症の人自身に使ってもらう。
「介護ロボ」と大げさなものじゃなくてもいいんです。
今ある技術でもそれは十分可能であり、そうした技術応用が認知症の方々や周りの人を救うのかなとも思います。
そんなテクノロジーの活用、もっと増えてもいいなと思います。
4つめは、地域社会。
ひとり暮らしでも生きていける、認知症でも生きていける。
静岡県富士宮市でそうした事例があると先の番組で見ましたが、もっともっと増えていけばいいなと。
介護をめぐる問題は、もうほんと怒鳴りこみたいくらい尽きないけれど。
でも。
認知症介護も捨てたもんじゃないな、と素直に希望を抱ける番組でした。
番組公式HPによると、11月23日(火)13:05~13:55に再放送予定があるそうです。
佐藤雅彦さんの著作、『認知症になった私が伝えたいこと』
早速書店に行って探しましたが、お昼の段階で売り切れたそうで。
講演会などにもうかがってみたいなあと思う昼下がり。
「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」はちまちまと観ていました。
しかしながらどうも穿った視点。
「知っとるわい」
「それが出来たら苦労しないわ」
「だからまずそのケアができるように、給料を以下略」
しかし先日放送された認知症キャンペーン特番第5弾「認知症の私からあなたへ」は、色合いがまるで違いました。
佐藤雅彦さん、61歳。
働き盛りの51歳で若年性アルツハイマー病、認知症に。
仕事のこと、住まいのこと、病気のこと……「記憶することができない」という困難に見舞われながら、様々なチャレンジを重ねた10年間。
その10年間の記録は、私の、認知症に対する固定観念を塗り替えるものでした。
再現ドラマで佐藤さん役を演じるのは緒方直人さん。
認知症になっても諦めることなく、人生を歩んでいくことができる、そんな希望を感じました。
Nスペなどなど関連リンク
・『歴史秘話ヒストリア』谷崎潤一郎回、変態と天才は紙一重。
・NHKスペシャルの感想まとめ。スパイ戦、兵馬俑、三内丸山などなど。
・【ナニカチガウ感】『新・映像の世紀』に感じた、これじゃない感【一部閲覧注意】
・『ドナルドキーンの愛した日本人』、水のような伝統を。
・N特、シルクロード
■記憶は出来ないけれど記録は出来る。
認知症との診断後、混乱もあった佐藤さんですが、友人の勧めた携帯電話がその人生を大きく変えました。
「手のひらの小さな携帯はまるでもうひとつの頭脳のように思えたのです」
起床時刻を記録する。
自分の顔色を記録する。
記憶は出来なくても、記録は出来る。
携帯電話についているカメラ、今ではすっかりスマートフォンですが、人生を記録したのでしょう。
まさにもうひとつの頭脳。
佐藤さんは当時から今でも一人暮らし。
失敗するたびにそれを記録し、さらに対策をPCに入力して記録。
きっと生活は楽ではないと思います。
でも『生活』を、『人生』を諦めない姿勢に、素直に応援したくなりました。
努力の塊のような方だと感じました。
失礼ながら、認知症の方に「頭のいい人だなあ」と思ったのはこれが初めてです。
「記憶がたとえ消え去っても私は私。私が生きている確かな証がここにあります」
佐藤さんが生きる四季折々の花が咲く風景が美しくて。
佐藤さんの生きている証は、確かに今そこにあって。
認知症でも誰にでも生きている証はある。
そんな当たり前のこと、たまに忘れそうになっていました。
たとえ佐藤さんのように自分自身で記録は出来なくても、介護者が記録をすれば、その介護記録はその人の生きた証になる。
バイタルサインも、食事量も、睡眠状況も、日常の言動も、全て生きている記録。
介護福祉士として在職当時から、「ケア記録はこの仕事の要だ」と後輩に指導していましたが。
それはあくまでも「職員目線」のものでした。
けれど利用者さんたちにとっても、それは「要」であり「証」なのだなと。
■不幸ではない
「できないことは増えてもまだまだやれることはある。
認知症の私だからこそできることがある」
「不便ではあるけど不幸ではない」
「使命とやりたいことが一致したら生きがいになる」
佐藤さんの言葉に、思わず息をのみました。
正直に言うと、考えたことなかったんです。
「認知症の私だからこそできることがある」
もちろん認知症の人が何もできないわけじゃないです。
でもそれって「じゃあ○○さん、新聞を折ってください」「タオルを畳んでください」とこちらから渡すもの。
それも生きがいとかのためではなく、特に認知症の方に対しては「まあ穏やかに過ごしてください」くらいの感覚。
ごめんなさい、本当にごめんなさい……
本当にすべき声掛けは「できますか?」だけではなく「やれますか?」「やってみますか?」「やりたいですか?」なのかもしれません。
そこでご本人が見出した「やりたいこと」と「使命」が「生きがい」につながる。
■私は大丈夫ですよ
付き添いのナースは鈴木さん(手前)。
一番最初に佐藤さんに会ったときのとまどいが描かれました。
「認知症の人はひとつのことに集中しているから、歩いているときに話しかけてはいけない」
と、佐藤さんに話しかけるのをためらっていたようです。
それで思い切って「話しかけて大丈夫ですか?」と聞いてみたら
看護師の鈴木さんの気持ちを思うと、心が痛みます。
認知症だからあれこれに気をつけなきゃいけない。
それは仕事柄、仕方ないことです。(いや、だって看護師も介護士もそういう仕事だから)
でも、「認知症の人は○○だからー」っていうのも偏見だったのかもしれないなあって。
一番の偏見だったのかもしれないなあって。
「私は大丈夫ですよ」
『認知症の人』と疾患や障害でくくってみてしまう。
『私』をみているつもりなんだけれども、気が付いたら病のほうに目が向いてしまう。
専門家だからこそぶつかる、見えない壁。
佐藤さんの言葉に心が痛みます。
仕事に悩んだ看護師の鈴木さんを、佐藤さんが「聞かせて」と励ました瞬間、
それが再現映像だとわかってるのに涙が出ました。
私も仕事で辛かったとき、家族にも友人にも同僚にも言えないことを聞いてくれたのは誰だったかな。
そうだ、利用者さんたちだったなあって。
元気してるかな。
もう10年近く前だし、もしかしたら空の上かな。
ごめんなさい、それから、ありがとうございます、と。
■私は今、かなり生きているぞ。
悩むのは 生きているから
痛むのは 生きているから
悲しむのは 生きているから
私は今 かなり生きているぞ
なんて希望に満ちた言葉なんだろうと。
障害、闘病、介護…認知症に限らず医療系の関する番組はわりとよく見ます。
かねがね思っていたのは「本当の認知症を映せ」ということでした。
というのも認知症周辺症状のひとつ、暴力行為などです。
実際に私も負傷しましたし、同僚は大怪我を負ったりしています。
が、知られている通り介護職員は薄給。
「認知症の介護って本当に大変なんだ!早くマスコミはテレビに映して、国は政策をマジで考えろや!」
と思っていました。
でも、ふと思う。
『本当の認知症』ってなんだろう。
私自身、認知症というステレオタイプに、すべての患者さんをくくっていたのではなかったか。
希望を抱きながら、新しい人生を歩んでいく佐藤さんの姿をみながら、猛省しました。
「生きる可能性」「新しい人生」「認知症になってよかったこと」
考えたこと、あったかな……。
認知症の番組は、家族介護の大変さやタクティールケアの可能性などなど、NHKをはじめ多くの番組で作られています。
「認知症の私からあなたへ」はよくある認知症関連番組とは違った視点で、考えを大きく揺さぶってきました。
諦めなくていい。
認知症でも、人生を記録していける。
ここからまたはじまる。
そんな希望に満ち溢れている、佐藤さんの姿に涙しました。
実に多くのことを考えさせられました。
上述の私自身の介護観、というか認知症の方に対する見方。
それから、初期に発見することの重要性。
佐藤さんも若いうちに発見することができ、発症しながらもまだ年齢が若く、適応力もあったから……というのもあるんだと思います。
また登場している携帯電話やパソコン、タブレットなどの端末。
それを認知症の人自身に使ってもらう。
「介護ロボ」と大げさなものじゃなくてもいいんです。
今ある技術でもそれは十分可能であり、そうした技術応用が認知症の方々や周りの人を救うのかなとも思います。
そんなテクノロジーの活用、もっと増えてもいいなと思います。
4つめは、地域社会。
ひとり暮らしでも生きていける、認知症でも生きていける。
静岡県富士宮市でそうした事例があると先の番組で見ましたが、もっともっと増えていけばいいなと。
介護をめぐる問題は、もうほんと怒鳴りこみたいくらい尽きないけれど。
でも。
認知症介護も捨てたもんじゃないな、と素直に希望を抱ける番組でした。
番組公式HPによると、11月23日(火)13:05~13:55に再放送予定があるそうです。
#nhk の #認知症 キャンペーンスペシャル。若年性アルツハイマーと診断された佐藤さんの「人生」。ひとつひとつの問題に対策を捉えていく佐藤さん(緒形直人さんによる再現)の姿が、胸に刺さる。 pic.twitter.com/ZoX6r5b5hl
— ゆずず (@yuzu0905) 2015, 11月 17
佐藤雅彦さんの著作、『認知症になった私が伝えたいこと』
早速書店に行って探しましたが、お昼の段階で売り切れたそうで。
講演会などにもうかがってみたいなあと思う昼下がり。
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