11月某日の回顧録。
およそ一ヶ月ぶりの故郷はすっかり冬支度を終えていて、電車を降りた途端に冷気が首筋をなでていった。
同じ関東平野のはずなのに、電車の中がぬくとかったせいかしら。
ノスタルジーを呟いている暇もなく、駅前に停めてあった軽自動車から弟が顔を覗かせた。
「昨日どしたん、母さん心配してたよ。」
「ああ昨日ね、明けで帰るつもりだったんだけど仕事で。夕方帰ってそのまま朝まで寝てたんよ。今日も午前中働いてたし」
「昨日今日働いてたって、夜勤明けだべ」
「まぁね」
あたしはまた嘘をついた。
高い青空にチクリと心が傷んだ。
実際のところあたしは必要なかったし、あたしがいなくてもどうにかなっていたと思う。
帰る気になれば仕事放り出して帰ったってよかった。
あたしを横浜に引き留めたものはヘルプ依頼でも何でもなく、ただのワガママだ。
だけどそれを後悔なんてしていない、心からそう思えた。
ばあちゃんのため、一ヶ月前から確保した休みだった。
前日だって冷蔵庫の中身全部片付けて、二泊分の着替を鞄に詰め込んでいた。
今日の夜勤を終えれば埼玉に帰れる、ばあちゃんに会える。
そう思えば不眠の巡回や面倒臭い介護記録だってどうでもいいくらいだった。
自分の中で、仕事の比率が高くなっていることに愕然とした。
それがなんだか恐くなって涙が溢れた。
このまま仕事第一になっていけば、もしかしたら親の死に目にも会えないのかもしれない。
「俺は自分のばあちゃんが死んだとき仕事してた。気付いたらばあちゃん死んでた。もう電車終わってた時間で、朝まで待てないからタクシー飛ばして実家帰ってさ。病院で布被せられたばあちゃんみたときはなんだか信じられなくて冗談だろって思ったよ」
先輩のもらした言葉が頭をよぎった。
なんであたしなんで今ここにいるんだろう。
おかんの手術やじいちゃんの入院やそんなことが色々あって、家族の介護くらい出来るようになりたいってそう思ったんだ。
農業の夢を諦めた形になって、なんだか自分でもやるせなさが残ったけど、でもあたしには家族がいるってそう思ってたんだ。
何があっても家族が1番だって思ってたんだ。
それがどうしたんだあたし。
感覚が麻痺しちゃったのかしら。
ばあちゃんの手術に付き添うため、見舞いに行くため、確保した休日をこうやって働いて。
朝に直したはずの化粧も落ちて目にクマ出来て。
「大丈夫?」
なんて声かけられても愛想笑いしか出来なくて。
ああ、あたしは一体何してるんだ。
涙をこらえながら、あたしはただ自分の中のプライドを探した。
会社のためじゃない、世の中のためじゃない。
あたしは家族と、それから自分のためだけに働く。
だから別に今ここで休み返上で仕事したっていい。
いつか退院したばあちゃんと一緒に苗植えるんだから。
じいちゃんと一緒に鍋するんだから。
そのための予行演習だ。
明日も明後日も、家族の介護をするための予行演習だ。
だから無理なんかしてない。
あたしはあたしのためだけに頑張るんだから――。
24時間勤務をようやく終えた帰り道、噛み続けた奥歯を離した途端に涙が溢れ出した。
あれ、何であたし泣いてるんだろう。
さっきまでは大丈夫だったのに。
あたしはあたしのために頑張るんでしょう。
悲しいことなんか何もないのになんで泣いてるんだろう。
「おい泣き虫っ」
急に背中をどつかれて、涙が一瞬止まった。
豪放という言葉がピッタリのベテランパートさんだった。
「何、今まで仕事してたの」
「あ、はい……今からですか?」
「そう、今から夜勤」
「……平和な夜になるといいですね、頑張ってください」
「そうだよ。まったく泣いちゃってさ、おばちゃんだって頑張るからさ、あんたも頑張りなさいよ」
おばちゃんだって頑張るから。
その言葉と頼もしい背中に、また涙が溢れた。
おばちゃんだって頑張るから。
ばあちゃんだって頑張るから。
じいちゃんだって頑張るから。
お母さんだって、お父さんだって、妹だって、弟だって。
みんな頑張ってるのに、あたしはこうやってワンワン泣いてて。
何してるの。
もっと頑張れるでしょう。
頑張って頑張って頑張れば、いつか必ず報われるから。
ばあちゃんとまた畑仕事が出来る。
じいちゃんと鍋出来る。
頑張れば頑張った分報われるから。
夕方に早々と布団に入ってからも涙はとまらなかった。
「大丈夫?明日大丈夫だから。実家帰りなよ」
先輩からのメールが来てても、視界がにじんで何も返せなかった。
今回の帰省が単なるホームシックだけではないことを知っていた人なだけに、純粋に心配してくれていることは判っていた。
それでもさっきの『おばちゃん』の背中が、ばあちゃんやじいちゃん、お母さんたちの背中とだぶって見えた。
涙はいつまでたってもとまらなくて、今日は大泣きしようってまたカレンダーに印をつけた。
気が付いたら翌朝だった。
空はやけにスッキリ見えて。
半日以上泣き続けた目はパンパンに腫れあがっていて、鏡をみた瞬間に自分で自分にビックリした。
それが何だかおかしくて。
あんなに泣いてたのに今心から笑っていて。
――大丈夫、頑張れる。
一人で笑いながら、冷やしたタオルを目に当てる。
のんびりしている暇はない。
今日仕事したら埼玉帰る。
手術は午後だって言うけど時間によっては間に合わないかもしれない、でも出来るだけ急ごう。
頑張ろう。
あたしのワガママのために頑張ろう。
そう小さく呟いて。
本来ならとっくに駅に向かっていたはずの道を引き返し職場へ向かった。
少しスッキリした面持ちに、北風が気持ちよかった。
結局ばあちゃんの手術には間に合わず、駅へ向かうバスの中でお母さんからのメールを受信した。
「ばあちゃんの手術、無事に終わりました」
嘘をついたのは申し訳ないけれど、それでも安心した。
ホッとして電車の中で爆睡したくらいだ。
がんセンター最寄りの駅で降りて、弟に迎えに来てもらい病院へ直行する。
待合室にお母さんとお父さんがいて、何気無い顔であたしを見る。
「仕事だったの?」
「うん。間に合わなくてごめん」
「大丈夫よ、うちや兄さんちも弟んちもみんな学校や会社サボって総出で来てたもんだから、病室に入り切らなかったくらいだもの。」
母が笑いながら言った。
「……みんなサボって来たんだ」
チクッと痛む。
違う、あたしはあたしのために頑張ったんだから。痛む必要なんてない。
母がまだ笑いながら言う。
「そうよ、だからあんた一人くらい仕事しないと一族にバチが当たるってばあちゃん安心してたよ」
「そんで、ばあちゃんは?」
「今まだ麻酔で寝てる。今日のところは帰ろうかなって。ばあちゃんも疲れるだろうし、あんたもどうせヘトヘトなんでしょ」
「別に今日は午前中だけだったし。あ、でもお腹は空いた」
あたしの腹の一声で結局帰宅することになった。
そっと集中治療室の窓越しにみたばあちゃんにはいろんな管が繋がっていて、麻酔が効いてるのかじっと目をとじていた。
そういえば私の記憶の中のばあちゃんはいつも畑なり台所なりで細々と動き回っていて、こうして深く眠っているのを見るのは初めてかもしれない、なんてことを思っていた。
翌日、面会時間になるのを待ちきれず病院へ行った。
ばあちゃんはテレビを見ていて、不意に現れたあたしにビックリしているようだった。
「帰ってきたんかい」
「うん」
見覚えのある水飲みとリクライニングベットを眺めながら、あたしはばあちゃんと他愛のない話をした。
こないだの中華街のあと翌日まで胃もたれしたこと。
何年か前に長野の病院に運ばれたこと。
職場の花壇に菜の花を植えたこと。
ばあちゃんからもらった柿を大家さんにお裾分けしたこと。
カキフライを食べたこと。
大根の葉を炒めたけど失敗したこと。
どうでもいい話をずっと続けた。
ばあちゃんはうんうんと頷きながら、たまに声をあげて笑った。
ばあちゃんは背中が痛いと言っていて、少しさすってあげた。
腰が痛いと言ったから、ベッドギャッジアップとタオルのアドバイスをした。
それから、ベッド脇に座るときに介助をした。
「さすがにプロは違うね。いつもこういうことやってんだ?」
「まあ、全部が全部じゃないけど。色々やるよ」
「そりゃあ頼もしいや」
ばあちゃんが笑った。
あたしはまだペーペーで、主任や同期にダメ出し食らってばかりだけれど。
疲れて疲れて泣き出すこともあるけれど。
それでも少し成長出来たかな。それから昼食の時間になって、ばあちゃんは延々と病院食の愚痴を連ねた。
「ばあちゃん、病院食に文句言えるくらい元気そうだからよかったよ。安心した」
心から安心した。
仕事頑張ってよかった、心からそう思えた。
23歳とはいえ、この仕事は一生モノにはならないと思う。
ばあちゃんやじいちゃんとサヨナラしたとき、あたしは絶対今の仕事は出来なくなる。
その確信はなんとなくある。
だったらじいちゃんとばあちゃんがいる間に、もっと介護が出来れば。
もっと助言出来れば。
もっと痛みを除くことが出来れば。
もっと笑ってもらえれば。
帰りの車の中、すきとおる田園の中にずっと考えていた。
「ごめんなさい、あたしは出来ないんですよ。大丈夫、さすってるから」
「注射は出来ないんだ。やっちゃいけないの」
「ばあちゃんゴメンね」
「もっと早く気付いていれば」そんなことを思う機会は少しずつ、でも確実に増えていった。
今回祖母の乳癌が早期発見に至ったのは、医療従事者である母の功績が大きい。
――身近に医療に詳しい人がいるというのはなんと心強いんだろう。
あたし自身も母の対応で命を救われたことがある(実際命に関わる発作ではなかったのだけれど)。
郷里を離れ、農業をする――それを取りやめにしたのはそんな母が病に倒れたときだった。
いつも最初に気付いた母がいざ倒れたとき、あたしは何が出来るんだろうって。
ふと、脳裏をよぎる。
『』
「看護学校ね、まあ緩いもんじゃないわよ。看護学校に興味あんの?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
本心はこっ恥ずかしいから言わないけれど。
「悪くはないと思うけど」
大根を切る母が笑いながら言った。
さっき病院食に愚痴ってたばあちゃんの笑顔が重なる。
「飯まだ?」
「腹減った」
父と弟が野球を見ながら声をかける。
「もう少し待ってー」
この明るさを守っていきたい。
それが私のワガママだ。
私は、私のワガママのためだけに、頑張るのだ。
およそ一ヶ月ぶりの故郷はすっかり冬支度を終えていて、電車を降りた途端に冷気が首筋をなでていった。
同じ関東平野のはずなのに、電車の中がぬくとかったせいかしら。
ノスタルジーを呟いている暇もなく、駅前に停めてあった軽自動車から弟が顔を覗かせた。
「昨日どしたん、母さん心配してたよ。」
「ああ昨日ね、明けで帰るつもりだったんだけど仕事で。夕方帰ってそのまま朝まで寝てたんよ。今日も午前中働いてたし」
「昨日今日働いてたって、夜勤明けだべ」
「まぁね」
あたしはまた嘘をついた。
高い青空にチクリと心が傷んだ。
実際のところあたしは必要なかったし、あたしがいなくてもどうにかなっていたと思う。
帰る気になれば仕事放り出して帰ったってよかった。
あたしを横浜に引き留めたものはヘルプ依頼でも何でもなく、ただのワガママだ。
だけどそれを後悔なんてしていない、心からそう思えた。
ばあちゃんのため、一ヶ月前から確保した休みだった。
前日だって冷蔵庫の中身全部片付けて、二泊分の着替を鞄に詰め込んでいた。
今日の夜勤を終えれば埼玉に帰れる、ばあちゃんに会える。
そう思えば不眠の巡回や面倒臭い介護記録だってどうでもいいくらいだった。
自分の中で、仕事の比率が高くなっていることに愕然とした。
それがなんだか恐くなって涙が溢れた。
このまま仕事第一になっていけば、もしかしたら親の死に目にも会えないのかもしれない。
「俺は自分のばあちゃんが死んだとき仕事してた。気付いたらばあちゃん死んでた。もう電車終わってた時間で、朝まで待てないからタクシー飛ばして実家帰ってさ。病院で布被せられたばあちゃんみたときはなんだか信じられなくて冗談だろって思ったよ」
先輩のもらした言葉が頭をよぎった。
なんであたしなんで今ここにいるんだろう。
おかんの手術やじいちゃんの入院やそんなことが色々あって、家族の介護くらい出来るようになりたいってそう思ったんだ。
農業の夢を諦めた形になって、なんだか自分でもやるせなさが残ったけど、でもあたしには家族がいるってそう思ってたんだ。
何があっても家族が1番だって思ってたんだ。
それがどうしたんだあたし。
感覚が麻痺しちゃったのかしら。
ばあちゃんの手術に付き添うため、見舞いに行くため、確保した休日をこうやって働いて。
朝に直したはずの化粧も落ちて目にクマ出来て。
「大丈夫?」
なんて声かけられても愛想笑いしか出来なくて。
ああ、あたしは一体何してるんだ。
涙をこらえながら、あたしはただ自分の中のプライドを探した。
会社のためじゃない、世の中のためじゃない。
あたしは家族と、それから自分のためだけに働く。
だから別に今ここで休み返上で仕事したっていい。
いつか退院したばあちゃんと一緒に苗植えるんだから。
じいちゃんと一緒に鍋するんだから。
そのための予行演習だ。
明日も明後日も、家族の介護をするための予行演習だ。
だから無理なんかしてない。
あたしはあたしのためだけに頑張るんだから――。
24時間勤務をようやく終えた帰り道、噛み続けた奥歯を離した途端に涙が溢れ出した。
あれ、何であたし泣いてるんだろう。
さっきまでは大丈夫だったのに。
あたしはあたしのために頑張るんでしょう。
悲しいことなんか何もないのになんで泣いてるんだろう。
「おい泣き虫っ」
急に背中をどつかれて、涙が一瞬止まった。
豪放という言葉がピッタリのベテランパートさんだった。
「何、今まで仕事してたの」
「あ、はい……今からですか?」
「そう、今から夜勤」
「……平和な夜になるといいですね、頑張ってください」
「そうだよ。まったく泣いちゃってさ、おばちゃんだって頑張るからさ、あんたも頑張りなさいよ」
おばちゃんだって頑張るから。
その言葉と頼もしい背中に、また涙が溢れた。
おばちゃんだって頑張るから。
ばあちゃんだって頑張るから。
じいちゃんだって頑張るから。
お母さんだって、お父さんだって、妹だって、弟だって。
みんな頑張ってるのに、あたしはこうやってワンワン泣いてて。
何してるの。
もっと頑張れるでしょう。
頑張って頑張って頑張れば、いつか必ず報われるから。
ばあちゃんとまた畑仕事が出来る。
じいちゃんと鍋出来る。
頑張れば頑張った分報われるから。
夕方に早々と布団に入ってからも涙はとまらなかった。
「大丈夫?明日大丈夫だから。実家帰りなよ」
先輩からのメールが来てても、視界がにじんで何も返せなかった。
今回の帰省が単なるホームシックだけではないことを知っていた人なだけに、純粋に心配してくれていることは判っていた。
それでもさっきの『おばちゃん』の背中が、ばあちゃんやじいちゃん、お母さんたちの背中とだぶって見えた。
涙はいつまでたってもとまらなくて、今日は大泣きしようってまたカレンダーに印をつけた。
気が付いたら翌朝だった。
空はやけにスッキリ見えて。
半日以上泣き続けた目はパンパンに腫れあがっていて、鏡をみた瞬間に自分で自分にビックリした。
それが何だかおかしくて。
あんなに泣いてたのに今心から笑っていて。
――大丈夫、頑張れる。
一人で笑いながら、冷やしたタオルを目に当てる。
のんびりしている暇はない。
今日仕事したら埼玉帰る。
手術は午後だって言うけど時間によっては間に合わないかもしれない、でも出来るだけ急ごう。
頑張ろう。
あたしのワガママのために頑張ろう。
そう小さく呟いて。
本来ならとっくに駅に向かっていたはずの道を引き返し職場へ向かった。
少しスッキリした面持ちに、北風が気持ちよかった。
結局ばあちゃんの手術には間に合わず、駅へ向かうバスの中でお母さんからのメールを受信した。
「ばあちゃんの手術、無事に終わりました」
嘘をついたのは申し訳ないけれど、それでも安心した。
ホッとして電車の中で爆睡したくらいだ。
がんセンター最寄りの駅で降りて、弟に迎えに来てもらい病院へ直行する。
待合室にお母さんとお父さんがいて、何気無い顔であたしを見る。
「仕事だったの?」
「うん。間に合わなくてごめん」
「大丈夫よ、うちや兄さんちも弟んちもみんな学校や会社サボって総出で来てたもんだから、病室に入り切らなかったくらいだもの。」
母が笑いながら言った。
「……みんなサボって来たんだ」
チクッと痛む。
違う、あたしはあたしのために頑張ったんだから。痛む必要なんてない。
母がまだ笑いながら言う。
「そうよ、だからあんた一人くらい仕事しないと一族にバチが当たるってばあちゃん安心してたよ」
「そんで、ばあちゃんは?」
「今まだ麻酔で寝てる。今日のところは帰ろうかなって。ばあちゃんも疲れるだろうし、あんたもどうせヘトヘトなんでしょ」
「別に今日は午前中だけだったし。あ、でもお腹は空いた」
あたしの腹の一声で結局帰宅することになった。
そっと集中治療室の窓越しにみたばあちゃんにはいろんな管が繋がっていて、麻酔が効いてるのかじっと目をとじていた。
そういえば私の記憶の中のばあちゃんはいつも畑なり台所なりで細々と動き回っていて、こうして深く眠っているのを見るのは初めてかもしれない、なんてことを思っていた。
翌日、面会時間になるのを待ちきれず病院へ行った。
ばあちゃんはテレビを見ていて、不意に現れたあたしにビックリしているようだった。
「帰ってきたんかい」
「うん」
見覚えのある水飲みとリクライニングベットを眺めながら、あたしはばあちゃんと他愛のない話をした。
こないだの中華街のあと翌日まで胃もたれしたこと。
何年か前に長野の病院に運ばれたこと。
職場の花壇に菜の花を植えたこと。
ばあちゃんからもらった柿を大家さんにお裾分けしたこと。
カキフライを食べたこと。
大根の葉を炒めたけど失敗したこと。
どうでもいい話をずっと続けた。
ばあちゃんはうんうんと頷きながら、たまに声をあげて笑った。
ばあちゃんは背中が痛いと言っていて、少しさすってあげた。
腰が痛いと言ったから、ベッドギャッジアップとタオルのアドバイスをした。
それから、ベッド脇に座るときに介助をした。
「さすがにプロは違うね。いつもこういうことやってんだ?」
「まあ、全部が全部じゃないけど。色々やるよ」
「そりゃあ頼もしいや」
ばあちゃんが笑った。
あたしはまだペーペーで、主任や同期にダメ出し食らってばかりだけれど。
疲れて疲れて泣き出すこともあるけれど。
それでも少し成長出来たかな。それから昼食の時間になって、ばあちゃんは延々と病院食の愚痴を連ねた。
「ばあちゃん、病院食に文句言えるくらい元気そうだからよかったよ。安心した」
心から安心した。
仕事頑張ってよかった、心からそう思えた。
23歳とはいえ、この仕事は一生モノにはならないと思う。
ばあちゃんやじいちゃんとサヨナラしたとき、あたしは絶対今の仕事は出来なくなる。
その確信はなんとなくある。
だったらじいちゃんとばあちゃんがいる間に、もっと介護が出来れば。
もっと助言出来れば。
もっと痛みを除くことが出来れば。
もっと笑ってもらえれば。
帰りの車の中、すきとおる田園の中にずっと考えていた。
「ごめんなさい、あたしは出来ないんですよ。大丈夫、さすってるから」
「注射は出来ないんだ。やっちゃいけないの」
「ばあちゃんゴメンね」
「もっと早く気付いていれば」そんなことを思う機会は少しずつ、でも確実に増えていった。
今回祖母の乳癌が早期発見に至ったのは、医療従事者である母の功績が大きい。
――身近に医療に詳しい人がいるというのはなんと心強いんだろう。
あたし自身も母の対応で命を救われたことがある(実際命に関わる発作ではなかったのだけれど)。
郷里を離れ、農業をする――それを取りやめにしたのはそんな母が病に倒れたときだった。
いつも最初に気付いた母がいざ倒れたとき、あたしは何が出来るんだろうって。
ふと、脳裏をよぎる。
『』
「看護学校ね、まあ緩いもんじゃないわよ。看護学校に興味あんの?」
「いや、ちょっと気になっただけ」
本心はこっ恥ずかしいから言わないけれど。
「悪くはないと思うけど」
大根を切る母が笑いながら言った。
さっき病院食に愚痴ってたばあちゃんの笑顔が重なる。
「飯まだ?」
「腹減った」
父と弟が野球を見ながら声をかける。
「もう少し待ってー」
この明るさを守っていきたい。
それが私のワガママだ。
私は、私のワガママのためだけに、頑張るのだ。
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