飯岡地区固有の課題ー2
写真は昨年の9月に出版された「3.11平成津波と集合住宅」である。あとがきを寄せている共同設計五月社の三木 哲氏から贈られて来た。JASO・耐震総合安全機構が震災後、津波被害調査団を組織し千葉県の飯岡から北陸3県まで調査を行った報告書である。
当時、自分のことだけで精一杯であったが知っている方が何人も参加していたので勇気付けられた。今から思うと震災から一ヶ月後に百数十名を調査団として組織、非常な現場に立ち専門家とし対峙した姿を伺える。
この一年、専門家は自らの専門域の再構築が問われて来た。震災後のまちづくりの一つを取っても様々なことが錯綜している。専門家の言葉を過ってのように信じる人は少なくなっているような気がする。
仮にまちづくりを例に取るなら、被災者・住民の日常と地域固有の課題を自らの専門領域で組織し提案していただきたいと思っている。縦割り行政とそれに安住してきた専門家集団をいやと言うほど見てきたからだ。
写真は昨年の9月に出版された「3.11平成津波と集合住宅」である。あとがきを寄せている共同設計五月社の三木 哲氏から贈られて来た。JASO・耐震総合安全機構が震災後、津波被害調査団を組織し千葉県の飯岡から北陸3県まで調査を行った報告書である。
当時、自分のことだけで精一杯であったが知っている方が何人も参加していたので勇気付けられた。今から思うと震災から一ヶ月後に百数十名を調査団として組織、非常な現場に立ち専門家とし対峙した姿を伺える。
この一年、専門家は自らの専門域の再構築が問われて来た。震災後のまちづくりの一つを取っても様々なことが錯綜している。専門家の言葉を過ってのように信じる人は少なくなっているような気がする。
仮にまちづくりを例に取るなら、被災者・住民の日常と地域固有の課題を自らの専門領域で組織し提案していただきたいと思っている。縦割り行政とそれに安住してきた専門家集団をいやと言うほど見てきたからだ。