屏風ヶ浦を船上から撮影 写真展の構成する骨組みとして船上から屏風ヶ浦を撮影する企画を9日の午後、遊漁船「幸丸」さんの協力で実施した。銚子まで約8キロ位を撮影、幸い天候に恵まれ屏風ヶ浦全体のパノラマを展開出来そうだ。
目で見る屏風ヶ浦の今昔
写真展の開催 写真の収集にほぼ目途がたち9月18日から展示が決まり翌年の3月31日まで刑部岬展望館の2階で開くことになった。
集めた写真は屏風ヶ浦に浸食防止の波消しブロックが設置される以前のものに限定した。その理由は屏風ヶ浦の原形から将来像を見つめたいという考えからであった。現在のところ50枚ぐらい集まったが実際に展示するのは20数枚になる予定である。
写真展の開催 写真の収集にほぼ目途がたち9月18日から展示が決まり翌年の3月31日まで刑部岬展望館の2階で開くことになった。
集めた写真は屏風ヶ浦に浸食防止の波消しブロックが設置される以前のものに限定した。その理由は屏風ヶ浦の原形から将来像を見つめたいという考えからであった。現在のところ50枚ぐらい集まったが実際に展示するのは20数枚になる予定である。
下永井付近 明治末期の護岸工事風景 大正以前の写真は無いだろうと思っていたがこの写真は明治末期のものだという。屏風ヶ浦とは距離を離れるが参考の写真となる。古い写真があったと持ち込まれたものだがその複製の画像は極めて鮮明であった。撮影者が下総・飯岡・荘という以外に撮影年月日などは不明である。人物や背景の下永井の集落(波止崎付近)からは明治という時代であるという確証はつかめないといってよい。
昭和61年版の「飯岡海岸誌」で調べてみた。明治39年、波止崎付近に初めてコンクリート製の護岸が設置されたという。構造から直立護岸の内側に玉石を敷き詰めたものだがその後、破損したと記されている。当時の記録はこれ以外にないと考えればこの時期の写真となる。しかし、同様な工法で大正初期、昭和初期にも設置されている。
これ以上は専門の人の知識を頼ることになる。
景観として屏風ヶ浦を写真に記録したものは今のところ、昭和30年代までである。これ以前は町の写真店さんが頼りになる。浸食対策や災害復旧の記録は勢い写真屋さんが持ち込まれたものという。こうした記録の狭間で景観の記録があっただろうと期待したい.
昭和61年版の「飯岡海岸誌」で調べてみた。明治39年、波止崎付近に初めてコンクリート製の護岸が設置されたという。構造から直立護岸の内側に玉石を敷き詰めたものだがその後、破損したと記されている。当時の記録はこれ以外にないと考えればこの時期の写真となる。しかし、同様な工法で大正初期、昭和初期にも設置されている。
これ以上は専門の人の知識を頼ることになる。
景観として屏風ヶ浦を写真に記録したものは今のところ、昭和30年代までである。これ以前は町の写真店さんが頼りになる。浸食対策や災害復旧の記録は勢い写真屋さんが持ち込まれたものという。こうした記録の狭間で景観の記録があっただろうと期待したい.