とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

ピエール・ブーレーズ 追憶 その3 現代音楽の伝道者(その2) 

2016年01月18日 | クラシックDVD/CD

 私にとって、作曲家ブーレーズを耳で知ったのは1990年だ。たぶんその前にNHKのFM放送で聞いたような記憶があるが、彼の音楽を聴いたという印象は残っていない。1990年に買った1枚のCDの中の1曲から、アルバン・ベルクやバルトークを聴いた時の強い感動は伝わってこなかった。むしろなんでこんなのが「音楽」なのだというぐらい理解できなかった。

 最初に買ったCD

(Structures・Live1):クリックすると大きくなります。

この曲は彼の経歴からは想像できなかった。彼の音楽の先生はオリベ・メシアンであり、オネゲルの妻であったヴォラブールであった。私はオネゲルが大好きで、大学時代からオネゲルの各ジャンルの曲を聴き続けている。メシアンについてはオネゲルほどではないが聴いてきたつもりだが、最初に聴いた「Structures Live1は両者のつながりは感じない。最もブーレーズに言わせれば、「オネゲルに教わったことはない。あくまで彼の妻に教わった」ことなのだろうし、必ずしも先生に作風に似なければならないわけはない。しかしこの曲は中途半端に思えてならない。ウェーベルンのような楽想の凝縮さも感じられなければ、音と音との緊張感も伝わらないと思い、このCD以降とりたててブーレーズの作品を聴く機会はなかった。

2000年21世紀を迎え1枚のCDを手に入れた。1987年にオリベ・メシアンの生誕80年のバースデーコンサートの実況録音盤のCDだ。このコンサートを指揮したのは愛弟子と目されたブーレーズだった。気になったのはこの日の演奏曲目だ。この選曲を誰がしたかは知らないが、見事なまでに人間の喜び、悲しみ、苦しみといった感情表現を消し去った曲目で構成されている。

演奏曲目 7つの俳諧(1962年作) 天の都市の色彩(1963年) ステンドグラスの鳥たち(1986年このとき初演) 異国の鳥たち(1956年)だった。この演奏自体には何の不満もなく素晴らしいものだが、80歳の生誕記念の中で、これが彼の代表作かといわれると疑問に思う。演奏時間の制約を考えても「忘れられた捧げもの」「我死者の復活を待ち望む」ぐらいはいれてもおかしくなかっただろう。そして気づいたことは、数多くの商業録音を行っているブーレーズが、オネゲルの作品録音は皆無?でありメシアンのそれこそ代表作といわれるトーランガリア交響曲、をはじめとする、宗教色の強い作品は「我死者の復活を待ち望む」を除いては録音はしていないことだ。 

 改めてブーレーズの作品を聴くと、ブーレーズの音楽は、人間の感情表現を音で表すことではなく、与えられた条件の中でどのような組み合わせが最良の響きを生むかというところが出発点に思う。またブーレーズほど前衛作曲家と言われた人の作品を取り上げた指揮者はいないだろう。そしてその中では彼の作品ほど、コンピュータミュージックに近いものはない。むしろ、CP時代を先取りしていた。だから「浪花節だよ人生は」を標榜する私にとっては、ブーレーズの音楽そのものに感動する部分は少ない。またワグナーからベルク・バルトークまでのオペラにおける人間感情のモロ出しのオペラを指揮する矛盾がこの人のたまらない魅力でもある。



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