このLpもニールセン同様に80年台初頭に、山野楽器のバーゲンセールというよりレコードの左肩に切符ばさみが入れられていることから、廃盤セールで見つけ購入したものだ。当時の貧乏人にはこの廃盤セールは超目玉のバーゲンセールだった。音源所有者とレコード制作・販売会社との契約期間が満了した際に在庫の新たな販売ができなくなることから、在庫一掃セールがされ、新たに正規品との販売ができぬようにわざわざジャケットにパンチで穴をあけたり切符ばさみでジャケットを切る行為が行われていた日本の?商慣習だった。この際たる出来事は私が大学入学時に、米国CBSレコードがソニーに買収されたときに、日本コロンビアのクラシックレコードの大半が廃盤扱いされた。結構この時期に大学時代のバイト代でコロンビアレコードの廃盤漁りをした記憶がよみがえった。 (閑話休題)
フランツ・ベルワルドの名は正直この時は知らず、したがって彼の音楽は聴いたことがなかった。廃盤セールでの値段の安さと指揮者がハンス・シュミット―イッセルシュテットとスットクホルムフィルと言うことで、演奏者に興味がわき、またジャケットの説明にも興味がわいた。「メンデルスゾーン、シューマンよりも前に登場したロマン派の作曲家」と、だめもとで購入したLPレコードであった。
しかし針を下ろした瞬間に飛び出してきた音は、驚きだった。ベートーヴェンの構成力とシューマンの知的抒情性がミックスされた、メンデスゾーン、シューベルトの交響曲を凌駕する出来栄えだった。これは指揮者ハンス・シュミット―イッセルシュテットのよるところなのだろうが、スケール感の大きなベートーベンの音楽に対峙し、美しいメロディーが随所から溢れ出るそれでいながら、音楽の構成がしっかりしていて、なぜこれまで日本ではコンサートで取り上げられなかったの不思議に思った。しかし日本ならずまだマイナーな作曲家として扱われていたようだ。レコードジャケットには交響曲「Singuliere=風変わりな」をSymphony No.2と表示しており、私も1998年に下記のマルケヴィッチのCDを購入するまで気が付かなかった。
マルケヴィッチのベルワルドの交響曲のCDが発売されたときには、すぐに購入した。そして彼の録音年1956年を見て「さすが」と思った。いち早く作曲家目線でBerwaldの価値を見抜いていたのだろう。しかもこのCDには編集者の見識ともいえるシューベルトの比較的構成力のしっかりした作品である交響曲No.4(1816年作曲)と抱き合わせにして、ベルワルドの音楽がベートーヴェンからシューベルトとつながる古典派からロマン派への移行をしっかり引き引き継いだ交響曲作家の位置付けを示している。悔やまれるのは、マルケヴィッチが全曲録音をせずに、またステレオ録音での再録をせずに世を去ったことだ。どこぞの放送局に彼のステレオ録音が残ってはいないのだろうか。
ベルワルドの交響曲全曲をきいてみたいと思いつつも、なかなか現れず1996年に第1回カラヤンコンクールの優勝者である、オッコー・カムがHelsingborg Symという聴いたことのない交響楽団との全曲録音を廉価版専門のNAXOSレーベルでしたことを知り、すぐに購入した。しかしどんなに録音技術でカバーしても、オーケストラの力量は、マルケヴィッチのベルリンPhiはともかく、ストックホルムPhとの差は歴然で、曲を知ることはできてもオーケストラの厚みのない響きは録音技術ではカバーしきれていない。でも値段を考慮し、ピアノ協奏曲を含め、ベルワルドの音楽を知ることはできた。
ただHelsingborgをNet検索すると人口9万人の地方都市で、近くにデンマークの首都コペンハーゲンへ電車で1時間半で行ける距離だ。我が所沢市の3分の1の人口で常設のプロオーケストラを所持していることに驚くとともに近くにマルメ市がありここも常設のプロオーケストラを維持している。スウェーデン社会のある種の文化水準がしのばれるCDを聴いた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます