6月12日 06:09のバスに乗る。小手指駅06:26の始発の準急に整列乗車で、座って池袋に07:09、丸ノ内線にこれまた整列乗車で東京駅に、手持ちの08:20分発の「のぞみ」を、07:50の「のぞみ」に変更し車内に。ホームで買った、サンドイッチとお茶で、朝食と薬を飲む。のぞみは、09:31に名古屋に。09:37発のJR快速みえ3号に乗る。桑名に09:57着。西桑名駅10:05発阿下喜(アゲキ)行きに何とか間に合う。この乗り換えはちょっとしんどい。最も西桑名駅は桑名駅にへばりついた駅なのだから、三岐鉄道「桑名駅」とするのが、筋だと思うのだが。
重心の関係かはたまたパンタグラフの関係か、エアコンの空調機が屋根に乗せられないため、社内に個別の立型エアコンが設置されていた。電車の横揺れはさすがナローゲージ(762mm)(=狭軌の幅は1067mm)車軸の狭さは当然の影響だが、加えて枕木が木製であることも影響があるだろう。
阿下喜の駅に転車台があったが、これがどのように使用されたかの説明が見当たらなかった。
駅近くに「あげき温泉」があるのだが、「乗り鉄」目的のため残念ながらPass。朝が早かったことから11時過ぎて腹が減ったことと、この次の目的「貨物鉄道博物館」に行くためにタクシーを呼び出すために電話番号を聴きに駅そばの蕎麦屋に入った。
目に入ったのは「いなべ市産そば粉100%使用のざるそば=普通盛り1000円」即注文すると店のおばちゃんは、30分ぐらい時間くれという。それでそのおばちゃんにタクシー会社の電話番号を教えてもらい、タクシーを呼んだ。するとすぐにタクシーが来たが蕎麦はまだだった。その旨を運転手に伝え食べ終わるまで待ってもらった。できたての蕎麦を慌てて掻き込んだ。そのせいもあるが蕎麦の香りは乏しく普通の味だった。二八蕎麦600円にすればよかったと後悔した。
運転手に「貨物鉄道博物館」と行き先を告げると、嬉しそうに「私も鉄ちゃんです」と言ってちょうど地元の情報誌が北勢線特集をしていると、情報誌をくれた。そして自身の東京でのサラリーマン生活時代の「乗り鉄体験談」を話してくれた。それこそ8分程度でたどり着いた。残念ながらNetで博物館は休日のみの開館だが、運転手さんが案内してくれた。野外展示物は無料で見れるが、SLもディーゼルも残念ながら動態保存ではないとのことだった。
そうこうしているうちに、踏切の警報が鳴りだした。慌てて丹生川駅に行くと、切符売り場があり昔の固い紙切符を渡された。やってきた電車は、我が町所沢を走っていた、西武鉄道のお古の電車だった。三岐鉄道三岐線は、元々旧小野田セメントのセメント運搬を主目的に作られた鉄道で、JRと接続して日本各地に運搬することからJRと同じ1067mmの狭軌鉄道である。そのため関西の私鉄の主流派は標準軌道(1435mm)のためお古が使えずに西武鉄道を選んだのだろうか?。私には郷愁を誘う風景に出会った。
三岐線は近鉄富田駅に接続し、そこから近鉄で四日市駅に出た。順調な接続だったが、四日市ナロウ鉄道の乗り場がわからず、西日野行に乗り遅れてしまった。このため全線走破はあきらめ、内部駅行きに乗ったが、その間と内部での次工程の待ち時間で1時間のロスになってしまた。特に内部駅付近には何もなく炎天下の中で、東海道五十三次「庄野宿」へ行くバスを待った。
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