所沢ミューズへ、いつものように、下山口駅―西所沢ー所沢―航空公園駅と各駅乗り換えで行く。これまたいつものように、所沢駅の立ち食い蕎麦で腹ごしらえ、14時30分開場だが14時に到着、チケットはいつも電話予約だが、買い忘れた「バッハ生誕333年記念?演奏会」と称する、オルガンとバイオリンソロの名曲コンサートのチケットを買うため窓口に行くと、先客の老婦人がいた。なんの演奏会かは知らぬが、なんで席選びにこんなにも時間がかかるのか理解しかねるほど時間がかかった。要は決断できないでいるのだ。
おかげでチケット購入後すぐに開場となった。そしていつもの私にとっての指定席へ。
ロシアナショナル管弦楽団は、それこそ、CD,DVDの音源は所持せぬことから、初めて聴くオーケストラだ。
最初の曲はこれまた、初めて聞く曲で、グラズノフの組曲「中世より」から前奏曲だった。正直「つまらない曲」だった。しかもあまりにも、オーソドックスな曲なので、このオーケストラの魅力を紹介する曲とは言えず、この曲を冒頭にした意図がよくわからなかった。
次の曲チャイコのピアノ協奏曲は、これまでもミューズで何度も聞いた曲であり、ロシアからのオーケストラはいわば名刺代わりの演目だけに、聞く前までは「またかよ」といった思いだった。冒頭の派手な出だしがが始まるや、「違うぞ!!!!」という気持ちになった。違いのもとはピアノだ。反田恭平は、今年初めてミューズで聴いたピアニストだ。(My Blog 2月27日付け)この時は「反田恭平プロデュースコンサート」で、彼はいわばわき役だった。したがって彼がTVで話題のピアニストであることを知ったコンサートで彼の実力を聴いたわけではなかった。しかし今日はピアニスト「反田恭平」のすごさを知った。
オケの出だしは、ロシアの特徴的な大音量がホールに響いたが、反田のピアノの迫力はオケの音量に負けてはなかった。音量だけでなく、ピアノの切れ味が鋭くこの曲の特徴的な、ロシアのジャムティーのような大味な甘味料的な音楽を排した、スピード感を感じるさわやかな音楽だった。それはいわばスパーリングワインのような後味のよい音楽に酔った。なによりもすばらしかったのは、リヒテルでも、ギレリスでもない、ましてやアルゲリッチでもない、反田の個性あふれた演奏が素晴らしかった。好きでもないチャイコに久しぶりに感動した。
そのあとアンコールに、ヴィロドス編曲のモーツァルトのトルコ行進曲が演奏された。初めて聞く曲だが、反田の個性にあった、スポーティーなアクロバット的な曲で面白かった。
今日のメインはストラヴィンスキーの火の鳥1945年版だった。私の所持する火の鳥は10種あるが、(うち1919年版全曲4種 1919年版組曲6種)で1945年版は所持していない。19年と45年版の相違は正直、聞いていて区別は私にはできない。この演奏はやはりオケの個々の奏者の技量が善し悪しの分かれ目だが、ロシアフィルは、それこそトップランクのオーケストラだと思う。私にはミューズの常連になっているマリンスキー+ゲルギエフの音量だけの演奏に比べれば、ロシアフィルが常連になることの方が望ましいと思った。
アンコールはチャイコフスキーの雪娘からの道化師の踊りだった。アンコール曲としては、オケの技量のデモンストレーションとしてはうってつけだが、中身に乏しい曲ではあるが面白かった。
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