とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

都心に出るのは医者通い 病院帰りに神保町「いもや」で久しぶりに天ぷら定食。

2017年12月27日 | Weblog

 家をあさ6:26分のバスで、癌研有明病院へ。小手指駅前に降りるとホームに予定した1本前の新木場行き電車が見えた。階段を駆け上がり、ホームへ。滑り込みセーフだったが、考えてみれば今日は検査なしの、結果を聴きに行くだけなので、慌てて病院い行く必要はないのだが、長年の習性が現れ、それこそ年寄りの冷汗ものだった。病院に着く前に脳溢血であの世行きかもしれない。

 そんなこともあって病院へは早く着いた。その分、検査がないことから、院内のコンビニで、サンドイッチとコーヒーでモーニング。予定通りに肝臓がんの専門医の先生のところに。結果は執行猶予1年の仮釈放だった。現在受けている癌治療の転移はなく、今回見つかったのは、いわば癌もどきだが100%安心できるわけではないので1年後に再検査ということでその後現在治療中の先生のところで、現在進行形の治療について3月に転移の有無についての検査を行うことで10時半には釈放された。

 豊洲は風もなくお天気も良かったことから、久しぶりに癌研から豊洲駅まで歩いた。

私はスカイツリーの建設中から,豊洲市場の建設工事と病院通いで変貌の姿を写真に収めている。その写真はまさに私の癌との戦いの証拠写真だ。豊洲の空き地が埋まる姿こそある意味私の余命の狭まりを表しているのかもしれない。

 久しぶりに、神保町の「いもや」の天ぷら定食が食べたくて、永田町乗り換えで神保町に出て時間が早かったので三省堂によりこれも毎年「Record Year-book」の付録欲しさに、読むに値しないレコード芸術の新年号を買った。Net社会においては何事も「評論誌」は存在が問われているのではと思う。それを一部の評論家が偉そうに語っても、あまりにも権威もなければ客観性もない時代になった。とにかく知りえる情報が、限りなく増えている、その整理能力が求められる時代だと思うのだが。・・・

 「いもや」開店時間11時半の5分前に出向いたが、すでに2巡目の客待ちになっていた。

私はいつもの「定食」+オプション(今日は穴子と牡蠣2個)でしめて1000円を注文した。お勘定の時におかみさんに定食のキスが1匹多かったがと言うと「サービス」との答えが。顔を覚えていてくれたのだ!!!!!。今日は病院の結果と言いうれしいことが重なった。ICI石井に冬用バーゲン目当てに覗いたが、気に入って物は見当たらず、久しぶりに明大の裏路地を登って御茶ノ水に出た。

錦華小学校が御茶ノ水小学校に代わっていた。夏目漱石はどこの小学校に通っていたのだ。隣の公園は昔の名前だ。神田で残された唯一の酒蔵豊島屋さん。最も今は酒蔵は東村山だが「甘酒」ブームだが「白酒」はブームにならないのはなぜなのか?豊島屋さんご回答を?

小手指駅に着くと風が冷たかった。都心との温度差は感覚的に5度違うと感じた。



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