
まだ仕事が忙しく、出張の多い時期だった。バーンスタインの「答えのない質問」と言う6枚組みのDVDセットを購入した。確かレーザーディスクの時代にも発売されていたのだが、値段が高く、輸入版で英語版で語学力のなさであきらめていた。 DVD版になり値段も安くなり買ったのだが、内容が結構高度な話で、お遊びで聴くにはしんどい代物で、例示の音楽は聴いたが、肝心のハーバード大学での講義はパスしていた。
仕事をやめて時間もできたことなので久しぶりに取り出して、レクチャー1:音楽的音韻論、レクチャー2:音楽的統語論という、講義では、モーツァルトのK.550の交響曲が素材に扱われ、彼の音楽論が展開された。
しかも彼の音楽論はノーム・チョムスキーの言語論が中核を占めている。1968年、ベトナム反戦運動、プラハの春、そして国内の大学管理法反対の学生運動の季節に、私には、言語学者チョムスキーではなく、ベトナム反戦、反スターリン主義批判の戦う知識人として、彼の政治的言動に影響を受けていた。特に「カタロニア賛歌」の著者J.オーエルへの共鳴とローザ・ルクセンブルグへの賛美は共感した。しかし彼の本業である言語論は正直まったくと言うほど学んではいなかった。
半世紀過ぎた世に、(この講義自体は1973年だが)バーンスタインの口から、シェークスピアのソネットを元に、散文ー詩ー音楽の関係を論じ、かつ演奏して実証する。ここに彼のすごさがある。彼の結論は音楽=詩であり、詩の本質は散文を大胆な省略と隠喩によって成り立ったものとする。同様に音楽=詩であるからこそ、音楽の構造は省略と隠喩から成り立っている。その良し悪しが音楽の良し悪しであると、K.550を用いて省略と隠喩の構造を実際の演奏で明らかにしていくことが彼の講義だった。
最初にモーツァルトの解説書として読んだ「小林秀雄」との根本的な違いは、バーンスタインは楽譜の中で、その省略と隠喩を指摘していくのに対して「悲しみのシンフォニー」は楽譜の構造そのものを省略し、再現された(誰の演奏かは知りえないが)音を筆者の感性で隠喩を語っていたことを知った。
手元にスコアーを置きながら、彼のモーツァルトを聴くと「確かに彼の主張は認めざるを得ない」と思う反面、我が手持ちのメディアを聴き比べすると、モーツァルトの楽譜そのものを大胆(通常の演奏だが)省略したセルの東京LIVE録音と楽譜に忠実にすべての反復を省略なしに演奏したバルシャイの演奏に感動した。当たり前のことだが、プロとしての楽曲の理解度は方法論はともかく所与のものであり、その上での表現力の差なのだろう。
その差が指揮者の個性と言えるのだろう。



LP時代
2番目に聴いたLP コリン・デービス+ロンドン交響楽団=My Blog コリン・デービス追悼で既述
ワルターが聞きたくて購入した=ブルーノ・ワルター+ニューヨークフィル:まともに聴けるワルターの唯一のモーツァルトただしモノラル録音
来日演奏に感動して買ったセルのLP:来日公演とは雲泥の差、来日公演版がお勧め

ワルターのCDでは38年のウィーンフィルの41番、 39年のNBC交響楽団の40番ともども聞く価値はあまりない(聴くに耐えない録音の悪さ=こんなものかという時代の音)

宇野某なる評論家の口車で購入したシューリヒトのモーツァルト。評判のパリオペラ座版はオーケストラがいまいち。ただし宇野某は触れていないAURA版が10枚組み千円で価格、演奏、録音ともに聞ける。抱き合わせのバックハウスと組んだ皇帝も面白い。


カール・ベームはMy Blog Mozart カール・ベームとレナード・バーンステイン で既述済み ワルター生誕記念コンサートの1976年の演奏はすばらしい。

My-Blogで追悼 ルドルフ・バルシャイで既述済み

バックミュージックで聴くモーツァルトとしては最高

クラリネットの有無の演奏比較する資料的価値のある演奏

私の好きな演奏。セルの来日演奏会Live サバリシュ=何度聴いても飽きない演奏

バーンスタイン、クーベリックともにFM放送で聴いた実況版(現在CDで市販済み)CD版は未聴だが演奏はどちらもすばらしい。
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