とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

秋田今野商店様より「温古知新」No48 をいただく

2011年09月11日 | 温古知新


秋田今野商店様より今年も「温古知新」No48 の麹に関連する学術論文集をお送りいただいた。
例年勤務先での夏休みをお盆期間に合わせとり、パソコンを前に理解できぬ学術用語を、主にWikipedia 開きながら読み進むのだが、今年はオフクロが入院したこともあり、従来どうりには過ごせなかった。正直今の時点で全部を読み終わってはいない。
 しかし「3.11」から半年過ぎた今 「温古知新」の社長、今野宏様の巻頭言を紹介せずにいられない気持ちになり、ブログを書いています。
 巻頭言ではキューリー夫人の「人生において恐怖すべきことは何もない。あるのは理解すべきことのみである。」と1997年当時14歳の少年だったネイサン・ゾナーの「われわれは、どのようにだまされるか。」を例示し、(彼のレポートはH2OをDHMO(1
酸化2水素=水)といかにも危険化学物質に見せかけ周囲の大人から使用規制の署名を集めた経緯を論じたもの)
 「原因と結果は単純な1対1対応をするわけではありません。しかしえてしてヒトはある原因と結果を見ただけで思いつく最も安易な理由に飛びついてしまいがちなのも事実です。キューリー夫人とネイサン少年の言葉をそれぞれ噛み締めながら我々は考えなければなりません。それが恐怖への克服への道でもあるのですから。」とご自身の科学者の視点と経営者の鋭い視点で締めくくっておられます。

 「3.11」以降のマスコミを始め、政治の動きは、正に「無知」の横行だろう。「理論」「技術」「哲学」の問題をゴチャマゼにし、原発推進、反原発の声の張り上げ競争をしている。そこに「利権」が絡んだ「政治」があるのが現状だろう。そもそも原子力発電の経緯は「被爆国」日本の問題を1政治家中曽根康弘の政治利権と米国国防省の利害が一致したことから、日本の原子力行政がスタートした事実が判明した(米国の情報開示で明白な文書が明らかになった。)ことを認識してから再スタートすべきであろう。出発点から過ちのもとからスタートした行政が良いはずがない。
 私自身は「反原発」ではない。科学の進歩は人類には不可欠だと思っている。しかし前提がある。それは自ら生み出したものは自ら制御できることが前提だ。それは「理論」「技術」「哲学」が調和することで成り立つことだろう。
 今の日本の原発はどのような調和の上に成り立っているのかを明らかにスべきであろう。そもそも調和がとれていたのだろうか。
 「地震・雷・火事・原子力」今の世の中、政治も家庭も「おやじ」の怖さも権威もなくなったことが一番の問題かもしれない????

 


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