とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

40年振りに聴くテミルカーノフのショスタコービッチの10番の生演奏

2015年06月13日 | クラシックコンサート

 

 

今月の16日に高校時代のクラス会旅行があり、その準備にコンサート前に集合場所の彦根までの切符と旅行の準備品(季節がおかしく着ていく服が定まらず)を探しすために行った。コンサートはマチネーのため午後2時からなのでついでに昼飯もした。昼飯はいつもならば芸術劇場近くの東明飯店に決まりなのだが、TV番組で紹介された格安「ふかひれチャーハン」を思い出し、香港停に出向いたが、700円はお値段並みのお味だった。店を出ると、生前おふくろに持って行って喜ばれた「丸左東京店の「ふくろう最中」をこれまた思い出し、店によって買った。http://www.marusatokyoen.com/monaka/fukuro.html

 東京芸術劇場は昨年の7月のリヨン国立管弦楽団のマチネー以来だ。ここは劇場の入口に到達するまでは長い。何せ5階まで登るのだから。それこそ地震の時の避難はいつも気になる。今日はテミルカーノフと読響だが、彼の人気のせいか、会場は埋まっていた。

 私はどうしても彼の10番が聴きたかった。彼を初めて聴いたのは彼が1974年3月の札幌厚生年金会館で当時はレニングラード交響楽団と称したオケで、世間ではムラビンスキー率いるレニングラードフィルの2軍オケといわれた楽団との初来日だった。しかも札幌だけがプロコフィエフの古典交響曲、モーツアルトのピアノ協奏曲(Pf=エリソ・ヴィラサラーゼ)の15番、それに10番だった。確か日本横断ツアーだったが東京はじめ、他はチャイコフスキー主体のありふれたプログラムだったが、この札幌のプログラムは、当時は異例だった。しかしそれだからこそ、会場は満席で演奏は素晴らしくとくに10番は、今でも自分のこれまで聴いてきたコンサートの中でも最高に感動したひとつだった。しかもこの時、借金して購入したニコマートに43-86mmズームをつけ、ASA400の白黒フィルムで今ならつまみだされるのだが、写真を撮った。

 しかしその後、彼は1989年にレニングラードフィルのシェフとしての来日まで日本での演奏はなかった。その時の10番は、正にフルトヴェングラーのベートーベンに対してのカラヤンと同じくムラビンスキーのショスタコに対するテミルカーノフであった。響きに透明感があり、音は流麗に流れ、響きそのものが新鮮でしかも迫力に満ちた素晴らしいものであった。

 今日の演奏も基本的には40年前の印象に大きな差はなく、むしろ読響の力演が素晴らしかった。それこそ半世紀前に東京文化会館で学割定期会員でズービン・メータの指揮でウェーベルンを聴いたことを思えば、最近来日するオーケストラの質の低下に比べはるかに優れた表現力だと思う。テミルカーノフが来年サンクト・ペテルブルグ・フィル来日するそうだが、できれば所沢ミューズで聴きたいものだ。会場は文句なしに芸術劇場よりは上だと思うし文京シビックホールでやるくらいならばぜひともと思わずにいられない。

 ブロムシュテットとN響が実現できるならテミルカーノフと読響をミューズ担当者は頑張ってください。ただただ音がでかいだけのゲルギエフよりはテミルカーノフの公演を実現してほしい。

 わが手持ち

 1955年LiveRec Eugene Mravinsky Leningrad Phi

学生時代に神保町のナウカか日ソ図書センターかで求めたLp(レコード盤はMADE IN U.S.S.Rとなっているがprinted in USAの表示がしてあることからミューズと言う輸入レコード屋かもしれない。いずれにしても神田神保町で見つけた)

1953年の初演者の演奏だけに聴いたときは音の悪さ(モノラル録音)も忘れ感激したが、先に述べたTemirkanovの演奏を聴いて、この曲の見方が変わった。演奏時間は一番短いけれど、むしろ粘着力のある分厚い音の塊が飛んでくる重苦しさがあり、あまりにも陰鬱で正にスターリン時代の恐怖感に支配された、暗く重い響きはショスタコービッチの感性を伝えていない。Temirkanovを聴いた後では取り出すことも少なく正直「ソビエト」時代の記念碑に過ぎないもと思える。

 ②

Eugene Mravinsky Leningrad Phiの演奏を引き継いだ演奏スタイルだが、音の良さは比べ物にならないくらい向上しているが、基本的にはMravinskyと同じく重苦しい演奏だ。ただこの重厚な響きは他を圧倒する。

ムラビンスキーの演奏よりは受け入れられる。バランスのとれた流麗な演奏。

カラヤンの演奏よりはむしろこの演奏が素晴らしい。私の推薦。ただし抱き合わせが2番なの惜しい。5,6同様に9番との抱き合わせであれば10番の位置付が明解になる。ショスタコの偶数番は内なる本音、奇数番は外への建前。9番がたたかれたのが、勝利で終えた大戦後のソ連が、勝利を祝えない現実にあまりにも明るい表現が、現実との乖離がありすぎるためスターリンがとまどったのだろう。その意味からも10番はスターリンの死をとおしてのショスタコの安らぎが聞こえる。 

 ショスタコの変遷を見事にとらえた全集。9-10番、5-6番が同じ盤の抱き合わせで聴ける。

録音は素晴らしが、その分オケの粗さが浮き出る。



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