ロリン・マゼール氏が7月13日に逝去された。マスコミの報道はウクライナでのマレーシア航空撃墜が大きく扱われ、彼の死はあまり表には出なかった。ネットでの報道も彼のキャリアに比較し少なかった。私が彼の名を知ったのは音楽が好きになってまもなくの中学生の時だ。1963年に東京日比谷の日生劇場の杮落としに、ベルリンドイツオペラの引っ越公演が行われ、その公演のチケットを求めるために徹夜して並んだとの新聞記事を読み、子供心に「すごい人が来るんだ・・・」と思った新聞記事に彼の名を読んだ時だった。その後にわかったことは騒ぎの中心はカール・ベームがフィデリオ、フィガロの結婚と第九の演奏会だったのだ。マゼールはいわば付け足しみたいなものだったのだが、その当時は「音楽が事件」だったのだと思うと、、今は年がら年中外来演奏家が日本各地でコンサートを行っていることが日常化し、震災で取りやめになったことが異常の世の中になった。蛇足だが、手元にカール・ベームのその時のCDがあるが今聴いてもその時の日本の熱気を感じることができる。
蛇足ついでだが、当時中学生の頃はベートーヴェンの交響曲を生で聴いたことが学校内で極小数だったし自慢だったが、高校に進学したらカラヤン+ベルリンフィルのブルックナーの8番を聴くために徹夜で並びチケットを確保したクラスメイトがいた事に驚かされた。中学時代の地域の狭さが高校進学で世界が大きく広がったことを実感したものだった。
私が初めてマゼールの音楽を聴いたのは、大学時代にモーツァルトの短調に興味を持ち、当時ステレオLPでは一番安かったことだけで選んだのが彼のLPだった。しかしこれは偶然とはいえ今もって最良の選択だと思っている。25番、29番ともに緊張感のある演奏で、「生き急いだ」モーツァルトの音楽を具現化した素晴らしい出来だと思っている。その後の彼の演奏にはないもので、早熟の天才少年としてデビューした彼の片鱗を聴くことができる。これが現在絶版になっているのが理解できない。私は現在24bit 96kHzにPCオーディオ化して聴いている。
しかしその後は彼の演奏を聴くことはあまりなく、手持ちのCDも少なく、彼の演奏が聴きたくて購入したものは少ない。
カルメンは、モッフォとコレルリが聴きたくて、アイーダはDVDが2組でしかも1枚はソフィアローレンがアイーダで歌の吹き替えがテバルディという珍品が抱き合わせに食指が動き購入したスカラ座での演奏、そしてワグナーのリングを交響組曲に仕立てあげた演奏は、ベルリン・ウィーン、ミラノと世界最高峰の歌劇場のシェフを務めた彼の資質が生かされている。
CDでは、ギレリスの弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲全曲、リヒテルの弾くプロコフィエフのNo.5、バルトークのNo.3、アシュケナージとのスクリャービンと旧ソ連の大物3人のピアニストにオケ伴を務め3人の個性を引き出した彼の力量の凄さに驚かされた。
しかしながら正直、彼の音楽には馴染めなかった。彼の演奏には演奏曲への共感が感じられず、演奏自体が解説者の評論に聞こえるからだ。生演奏は所沢ミューズでのブラームスだけだが、演奏前にミューズの舞台でホールの響きを確かめていた姿を思い出すが、彼の奏でた演奏の印象は残っていない。しかしながら天才少年と呼ばれた彼が奇才として世界の名だたる歌劇場、オーケストラのシェフを歴任して膨大な録音を残して世を去ったことは、まさしくカラヤン・バーンステインに次ぐ昭和の時代の大指揮者であったことには代わりが無い。クラシック演奏も昭和は遠くになりにけり。
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