11日8時15分に家を出て下山口駅に。カミサンは駅横のコンビニに、「どこにでもあると思うな7とローソン」黒山三滝の教訓を活かしとりあえずの昼飯確保。私は特急券の購入。お互いに順調にことが運び予定の37分の1本前の28分の西所沢行きに乗れた。駅に着くと同時に向かいのホームに何と急行西武秩父行きの電車が来た。これには参った。乗り換え案内もGoogleMapでもこの選択は出てこなかった。特急券を買ってしまったため、飯能で15分の待ち合わせで特急に乗り換え、先に乗った急行を途中で追い抜いたが、20分ほど早く親鼻駅に着いたに過ぎない。時間たっぷりの年金生活者には20分360円は無駄な買い物だった。
お花畑駅は西武秩父駅から5分ほどだが、この5分が不便だ。来た電車は熊谷駅行きで山ガールブームか女子高の山岳部(話によると雲取山での高校生のイベントだったとのこと)で混んでいた。
万福寺の裏手に昇り口があったが、このコースは関東ふれあいの道とは別コースだったと知った。われらの後にいたいた団体グループに追い抜かれなかったのに頂上で出会ってわかった。ただ、このコースのおかげで、キビタキ、クロツグミの声が聴けた。②-④
したがって、我らジジ・ババだけの静かな山行になった。「桜の名所」も静けさにつつまれ、木陰の涼しさもあり「激しい運動を控えること」と医者に言われた身には快適な山行だった。
桜は散ったが、山ツツジの散り際が見られ、ジュウニヒトエ(十二単)が咲いていた。昆虫と違い植物の和名はロマンを感じる。山頂からは秩父の象徴の武甲山 両神山の眺めが素晴らしいが、気温のせいか空気が揺らぎ山の写真は冬に限る。④-⑥
山頂は正に自然破壊の見本だろう。花見に合わせた駐車場のため駐車場を結ぶための道路が錯綜し「ゴミは一人でかえれない」の看板はなにをかいわんやだった。土建屋行政はこの地域の経済にどう反映されたのか知りたいものだ。
ある意味年年武甲山のやせ細る山頂は、この地域の衰退の象徴に思えてならない。
下山道を探すのに往生した。里に降りたところでウスバシロチョウに出会った。⑥-⑦
恥ずかしながら大学受験に「日本史」を選択しなかったことからも、和銅開珎がどのような歴史的価値を持ち、後世にもたらした影響は何かは無知である。ここで知ったことは、この場所が精錬を必要としない銅そのものをを産出したとのことに、興味を持つとともに、都か遠くはなれたこの地の民が,銅が貨幣への転嫁をどのように知ったのか、その情報伝達手段を知りたいと思った。⑧-⑨
駅に鎮座する和銅開珎と駅前の閑散とする風景が1400年の歴史空間を埋めることができないのはなぜか自問しつつ電車を待った。
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