1月7日今年のカレンダーでは実質の仕事始めだろう。電車もそのせいか気持ち混みだしていた。
事務所に着くなりオフクロの入院先の西大宮病院から電話が入る。要件は主治医のT先生からの経過報告をしたいので、今日の14-16時に来て欲しい。もし今日がダメならば9日の水曜日13時以降に来て欲しい。」との連絡だった。
正月の3日に見舞った時は点滴の種類・量が増えていたことから退院の通告ではなかろうと思い、入院当初に一ヶ月と言われていたことから「何事だろうか?」と思った。
仕事を終え何時もどおりに帰宅。11時に風呂に入り寝床り鼻に電話がなった。病院の夜間担当の看護士さんだった。「至急病院に来て欲しい」とのことだった。入浴中のカミサンを呼び出し、夜間の場合は道が不案内のため事前に「西武タクシー」の評判を聴いていたので、頼んだ。運転手さんから、指定の経路を尋ねられたが、カーナビ道理で構わない旨を告げた。
するとてっきり浦和ー所沢街道を選択するものと思っていたら。新所沢で西武線、上福岡で東武線を越え荒川を渡り、親父の眠る青葉園に出たのだ。タクシーの運転手もこのナビの選択には驚いたようだが、私が一番驚いた。まさか青葉園に出るとは思ってもいなかったからだ。正直この時オフクロの命は終わったと思った。親父が呼び寄せたのだろう。
西大宮病院では夜間救急受付に出てすぐに病室に通された。オフクロは寝ているようだった。しかし心臓のペースメーカーは0を示していた。すぐに看護士さんは当直の先生を呼び、瞳孔、及び心肺停止を告げ死亡を確認した。2013年1月8日0時19分
死亡診断書では肝硬変症となっていた。88歳、親父は87歳両親ともに長寿を全うしたのだろう。
すぐに看護士さんから葬儀社を呼んで欲しいと言われた。これにはびっくりした。霊安室に夜明かし可能と勝手に思っていたからだ。すぐに親父の葬儀を行った東光寺に電話を入れた。すると東光寺から1時10分ころに霊柩車を向かわせるので、それに乗って東光寺にきてくれとのことだった。その間病院では看護士さんが遺体の清浄ときせかえをするので待合室で待機しろとの指示を受けた。
その間親戚に取り敢えず1報を入れた。叔母は昨日見舞いに行ったときは会話してきたのにと言われた。
看護士さんからはきせかえは終わったので、病院内の個人物を持ち帰って欲しいと言われたが、オフクロのパジャマとタオルと日用品なので処分を病院にお願いした。
程なくして霊柩車が着き、東光寺に付いた。東光寺の事務所は電気がついておりお坊さんと葬儀社の人がスタンバイしていた。オフクロは東光寺の安置所に運ばれた。私たちは、そこで思わぬ事情を聞かされた。正月開けで今週は火葬場が混んでいて大宮の火葬場には空きが無い。葬儀の日程は火葬場次第なので、今週に葬儀を希望するのであれば空いている火葬場は12日の15時の浦和だけなのでその日を取り敢えず押さえておきましょう。どうしても大宮を希望するのであれば明日から受付なので明日にしましょう。お寺さんの紹介の葬儀社の人を紹介され、取り敢えず安置所でお線香をあげて、明日の日程(日付がすでに変わり同日なのだが)を決めましょうと言われ、お寺は2時、葬儀社は3時に打ち合わせを行うことで散会し、お寺でタクシーを呼んでもらい、その日は帰宅した。
お寺で頼んだタクシーはバイパスから浦和ー所沢街道のオーソドックスな道で1時間ちょっとで付いた。やはり行きの46分は早かったし安く済んだが、真夜中だから出来たコースだろう。新所沢、上福岡の踏切は何時も渋滞しているのだから。
家に着き寝たのは4時半頃だった。
母逝きて、寒灯導く 寺の道
事務所に着くなりオフクロの入院先の西大宮病院から電話が入る。要件は主治医のT先生からの経過報告をしたいので、今日の14-16時に来て欲しい。もし今日がダメならば9日の水曜日13時以降に来て欲しい。」との連絡だった。
正月の3日に見舞った時は点滴の種類・量が増えていたことから退院の通告ではなかろうと思い、入院当初に一ヶ月と言われていたことから「何事だろうか?」と思った。
仕事を終え何時もどおりに帰宅。11時に風呂に入り寝床り鼻に電話がなった。病院の夜間担当の看護士さんだった。「至急病院に来て欲しい」とのことだった。入浴中のカミサンを呼び出し、夜間の場合は道が不案内のため事前に「西武タクシー」の評判を聴いていたので、頼んだ。運転手さんから、指定の経路を尋ねられたが、カーナビ道理で構わない旨を告げた。
するとてっきり浦和ー所沢街道を選択するものと思っていたら。新所沢で西武線、上福岡で東武線を越え荒川を渡り、親父の眠る青葉園に出たのだ。タクシーの運転手もこのナビの選択には驚いたようだが、私が一番驚いた。まさか青葉園に出るとは思ってもいなかったからだ。正直この時オフクロの命は終わったと思った。親父が呼び寄せたのだろう。
西大宮病院では夜間救急受付に出てすぐに病室に通された。オフクロは寝ているようだった。しかし心臓のペースメーカーは0を示していた。すぐに看護士さんは当直の先生を呼び、瞳孔、及び心肺停止を告げ死亡を確認した。2013年1月8日0時19分
死亡診断書では肝硬変症となっていた。88歳、親父は87歳両親ともに長寿を全うしたのだろう。
すぐに看護士さんから葬儀社を呼んで欲しいと言われた。これにはびっくりした。霊安室に夜明かし可能と勝手に思っていたからだ。すぐに親父の葬儀を行った東光寺に電話を入れた。すると東光寺から1時10分ころに霊柩車を向かわせるので、それに乗って東光寺にきてくれとのことだった。その間病院では看護士さんが遺体の清浄ときせかえをするので待合室で待機しろとの指示を受けた。
その間親戚に取り敢えず1報を入れた。叔母は昨日見舞いに行ったときは会話してきたのにと言われた。
看護士さんからはきせかえは終わったので、病院内の個人物を持ち帰って欲しいと言われたが、オフクロのパジャマとタオルと日用品なので処分を病院にお願いした。
程なくして霊柩車が着き、東光寺に付いた。東光寺の事務所は電気がついておりお坊さんと葬儀社の人がスタンバイしていた。オフクロは東光寺の安置所に運ばれた。私たちは、そこで思わぬ事情を聞かされた。正月開けで今週は火葬場が混んでいて大宮の火葬場には空きが無い。葬儀の日程は火葬場次第なので、今週に葬儀を希望するのであれば空いている火葬場は12日の15時の浦和だけなのでその日を取り敢えず押さえておきましょう。どうしても大宮を希望するのであれば明日から受付なので明日にしましょう。お寺さんの紹介の葬儀社の人を紹介され、取り敢えず安置所でお線香をあげて、明日の日程(日付がすでに変わり同日なのだが)を決めましょうと言われ、お寺は2時、葬儀社は3時に打ち合わせを行うことで散会し、お寺でタクシーを呼んでもらい、その日は帰宅した。
お寺で頼んだタクシーはバイパスから浦和ー所沢街道のオーソドックスな道で1時間ちょっとで付いた。やはり行きの46分は早かったし安く済んだが、真夜中だから出来たコースだろう。新所沢、上福岡の踏切は何時も渋滞しているのだから。
家に着き寝たのは4時半頃だった。
母逝きて、寒灯導く 寺の道
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